事業成果

脳機能から考える少子化・児童虐待対策

脳科学で親子のつながりを解き明かす2023年度更新

写真:黒田 公美
黒田 公美(理化学研究所 脳神経科学研究センター 親和性社会行動研究チーム チームリーダー)
RISTEX
「科学技術イノベーション政策のための科学」研究開発プログラム
「家族を支援し少子化に対応する社会システム構築のための行動科学的根拠に基づく政策提言」 研究代表者(2018-2022)

科学技術で効果的な少子化対策に貢献

黒田公美理化学研究所チームリーダーらのプロジェクトは、日本の対少子化政策が必ずしも効果的ではなかった背景の1つとして、政策形成プロセスにおける子育てと子どもの発達に関する生物科学的・行動学的知見が十分に参照されておらず、科学的根拠を欠いたまま、実際の政策が立案・実施されていたのではないかと考えた。

子育てと子の親への愛着を司る、脳神経回路の解明を研究する黒田チームリーダーらは、RISTEX「安全な暮らしをつくる新しい公/私空間の構築」研究開発領域「養育者支援によって子どもの虐待を低減するシステムの構築」プロジェクトで、子育てが困難となる要因を分析。それぞれの要因に応じた、適切な支援のあり方や仕組みを提言した(図1)。

また、プロジェクトでは、霊長類(サル)の子育ての寛容性に必要な脳部位を特定。科学的根拠に基づく赤ちゃんの泣きやみと寝かしつけのヒントを発見し、マスコミでも話題となった(図2)。

図1

図1 養育者支援推進のための段階別提言

困難に直面している養育者へニーズに即した支援を提供するため、何が必要かを明らかにし、養育困難の程度に応じた支援策を実施する。

図2

図2 泣いている赤ちゃんの泣きやみ、寝かしつけのヒントを科学的に解明

赤ちゃんが泣いているとき、母親が抱っこして5分間連続で歩くと、泣きやむだけでなく、約半数の赤ちゃんが寝付くことを発見した。

複雑に重なり合う親と子の問題

日本で子どもを取り巻く問題を考えるとき、2つのキーワードがある。「少子化」と「虐待」だ。この2つの課題は、いずれも子育ての困難さがベースにある。親子にはあらかじめ、深い愛情に裏付けられた強いきずながあるというのは、イメージでしかない。また、愛情だけでは解決できない問題もある。

子どもの問題は、親子の問題でもある。親と子の関係は、親子双方の性格や心身の健康状態、経済状況など複数の事情が重なり合って困難な状況となることがある。親子関係を脳から研究することで、そうした問題の解決につなげたいと考えていた。

チームではすでに、子育てに重要な脳部位として、前脳底部にある「内側視索前野中央部(cMPOA)※1」の特定の神経細胞に注目していた。マウスを使った実験では、この脳部位の機能が抑制されると、子育て経験を積んだ母親マウスでさえ、自分の子を育てずに攻撃してしまうことがわかっていた。

一方、親子関係に関する子どもの脳の活動は不明なことが多い。子どもが泣いたり、親を後追いしたりといった親に対する愛着を示すために必要な脳部位については、最新の脳科学でもあまりわかっていない。泣きやまず寝付かない状況は、親にとってはストレスになり、まれに虐待につながることもあり得る。しかし赤ちゃんを効果的に泣きやませ、寝付きやすくさせる効果的な方法はよくわかっていなかった。

※1 内側視索前野中央部(cMPOA)
cMPOA(Medial preoptic area, the central part)は、前脳底部、視床下部前方にある視索前野の中の小領域。この部分の機能を阻害すると、特異的に子育てができなくなる。マウスのほか、サルにも同じ領域が存在する。

虐待の要因と、子育てに関する脳機能を解き明かす

まず、虐待対策へのアプローチでは子育て困難事例研究として、子ども虐待事件で受刑中の男女の養育者と一般の養育者に、生育歴、養育当時の生活環境や養育者ストレスを含む詳細なアンケート調査を実施。哺乳動物で養育放棄・子への攻撃が起きやすい3つの要因(①生育環境、②脳機能の問題、③養育当時の環境不適)の有無を調べた。事件群では、養育放棄リスク要因が重複して存在するケースが過半数だった。親の喪失、虐待された経験など養育者本人の生育歴上の困難は、虐待発生に影響すると示唆される。

次に、子育てに必要な親の脳機能の研究では、マウスを使った実験で、視床下部前方にある内側視索前野中央部(cMPOA)領域で、子育て中に活性化するカルシトニン受容体(Calcr)※2を発現する神経細胞群の機能が、子育て意欲に重要であることを解明していた。そこで、霊長類(サル=コモン・マーモセット)でcMPOAに相当する脳部位を調べたところ、やはりCalcrを発現する神経細胞が存在し、子育てによって神経活動活性が上昇していることがわかった(図3)。

プロジェクトでは、cMPOAのアミリン※3-Calcr神経回路が、大人同士の社会性にも関わっている可能性があると考えている。

※2 カルシトニン受容体(Calcr)
カルシトニン受容体(Calcr=calcitonin receptor)は骨ではカルシトニンと結合し、骨へのカルシウム沈着を促進する。脳にもCalcrがあり、後脳ではアミリンと結合して食欲を抑える機能がある。黒田チームリーダーらのプロジェクトは、CalcrがcMPOAでは子育てを促進する機能があることを報告した。

※3 アミリン
脳と消化管の信号伝達を担う「脳腸ペプチド」の1種。脾臓や脳内で産生される。膵臓から放出されるアミリンは満腹情報を伝えて、摂食を抑制する機能がある。視索前野で産生されるアミリンは、母になると増えるため、母性行動に関係すると示唆されていた。

図3

図3 霊長類で育児の寛容性(忍耐強さ)に必要な脳部位(cMPOA)を発見

cMPOAの機能を抑制すると、子に対する寛容性がなくなり、子を拒絶して背負わなくなってしまうことが明らかになった。

また、子どもの親への愛着行動では、養育者のストレス増加や、虐待にもつながりかねない赤ちゃんの泣き止みと寝かしつけに注目した。親が赤ちゃんを運ぶとおとなしくなる「輸送反応※4」を、マウスとヒトにおいて発見していたが、赤ちゃんが泣いているとき、母親が抱っこして5分間連続で歩くと、泣きやむだけでなく、約半数の赤ちゃんが寝付くことが判明した(図4)。さらに、親の腕の中で眠った赤ちゃんをベッドに置くとき、ベッドに置いた後で一部の赤ちゃんは起きてしまう。眠り始めから座って5~8分間待ってからベッドに置くと、赤ちゃんが起きにくくなることがわかった。

※4 輸送反応
哺乳類の赤ちゃんに生得的に備わっている、運ばれるときにおとなしくなる反応。赤ちゃんは、運ばれるときに泣く量が減って鎮静化し、副交感神経優位状態となる。四足歩行動物では、コンパクトな姿勢になることも多い。親が子を運ぶときに安全にスムーズに運べるよう、親に協力する反応だと考えられている。

図4

図4 初めに泣いている赤ちゃん 抱っこして5分歩く

激しく泣いていた赤ちゃんに抱っこ歩きを5分間行うと、全員が泣きやみ、45.5%が寝てしまった。さらに、18.2%の赤ちゃんは歩くのをやめたときには起きたが、それから1分間以内に寝た。抱っこして5分間歩くと、赤ちゃんの泣きやみに効果が高いだけではなく、約半数の赤ちゃんを昼間でも寝かしつける作用があることがわかった。

科学的知見が反映された制度づくりを目指す

生物の進化が育んできた哺乳類の「子育て本能と、それに必要な神経機構」は、極端なストレス環境下や子側の要因(病気や障がいなど)などによって、子育て意欲を失う場合がある。

一方で社会は、子どもについては親にその責任を果たすように要望する。しかし親だからといって、子育てのすべてをうまく行うことは困難だ。そうした場合は社会が、そのような状況に置かれた親たちを支援する必要がある。これは親のためだけではなく、子どもの利益のためにも重要だ。親子双方への支援を社会制度の中で実現する上で、親子関係の脳科学の成果が貢献できれば、対策の効果のさらなる向上が期待される。