事業成果

ユニバーサルな量子コンピュータの実現に向けて

世界に先駆ける超伝導量子ビットの研究を展開2023年度更新

写真:中村 泰信
中村 泰信(東京大学 大学院工学系研究科 教授/理化学研究所 量子コンピュータ研究センター センター長)
ERATO
「中村巨視的量子機械」 研究総括 (2016-2021)

量子の制御・観測の基盤技術を確立

今までのコンピュータをしのぐ非常に高効率な計算を実現する量子コンピュータは、量子情報を保持する基本素子としての量子ビットの状態を制御・観測することで計算を行う。実際に使える量子コンピュータを実現するためには、解ける問題の計算規模や解の精度に影響する高性能の量子ビットを物理的にどう実現するかが、極めて重要になる。

超伝導回路を使った世界初の量子ビットを実証(1999年)した中村泰信センター長は、超伝導量子ビットとそれを用いた量子回路に関する技術を独⾃に発展させてきた。本プロジェクトでは、さらに超伝導量⼦回路技術を活⽤した高精度な量子状態制御・観測手法の確立に取り組んだ。

大規模量子コンピュータの実現に向けて超伝導量子ビットを集積化していく際の課題のひとつとなる配線技術においては、回路規模が増大してもクロストーク(信号やノイズが他の配線へ伝わる事象)を抑えられる「超伝導量子ビット2次元稠密(ちゅうみつ)集積化」を実現するアーキテクチャを開発した。また量子ビット素子の拡張・高機能化に必要なマイクロ波光子によるモジュール間接続を支える「マイクロ波単一光子の量子非破壊測定」に世界で初めて成功した。さらにハイブリッド量子系※1の構築にも取り組んでおり、超伝導量子ビットを使った新しい量子センサーを開発し、量子もつれ現象※2を利用した「単一マグノン」の検出に成功した。

※1 ハイブリッド量子系
異なる物理的自由度(物質や電磁場などにおける様々な自由度)を相互作用させて結合することにより、量子力学的な状態を相互に受け渡すことを可能にし、それを通じてこれまで実現できなかった制御・観測を可能にする系。

※2 量子もつれ
2つあるいはそれ以上の部分系の間の相互作用により生成される量子力学的相関を表す性質。一旦2つの部分系の間に量子もつれの関係ができると、どんなに遠く引き離されても、測定により片方の状態が確定すると同時に、もう一方の状態も確定する。

量子コンピュータの研究における様々な課題

1.超伝導量子ビット2次元稠密(ちゅうみつ)集積化

超伝導量子コンピュータの回路技術では、大規模な量子ビット集積回路に対応できるアーキテクチャ(構造)の確立が重要な課題となっている。半導体素子の基板にも使われる方式を採用している研究チームが多いが、量子ビット数を増やすと配線密度も大きくなり、クロストーク増加などの問題が生じていた。

2.「マイクロ波単一光子」の量子非破壊測定

量子コンピュータの制御に関わる基盤技術として注目される電磁波(光子)の測定や検出には、新たな手法が求められていた。これまでは通常、飛来した光子を検出器で吸収していたため、検出した光子を後で利用できないという問題点があった。そこで、光子の飛来の有無の情報のみを取得し、光子を吸収せずに反射する「量子非破壊測定」が提案されていた。近赤外光子※3については2013年に実証されていたものの、相対的にエネルギーが4~5桁小さなマイクロ波光子の測定は実現されていなかった。

3.単一マグノンの検出

量子の世界で、様々な波長の電磁波の量子である光子を制御・観測したり、それらの状態を交換したりできるプラットフォーム「ハイブリッド量子系」を構成することが期待されている。その構成要素の候補の量子の1つが強磁性体中※4のマグノンである。マグノンとは、磁性体中の電子スピンの集団運動であるスピン波の量子に相当するもの。これまでの研究は、検出感度の制限により、多数のマグノンを対象にしたものが中心であり、1個、2個とマグノンを数える手段はなかった。

※3 近赤外光子
近赤外領域(波長が約1μm)のエネルギーを持った光の量子。マイクロ波領域の光子と比べて、エネルギーが4~5桁大きいので、室温環境下においても量子情報を保持したまま転送できる。

※4 強磁性体
電子はその自転運動に相当する「スピン」と呼ばれる微小な磁石としての性質を有する。磁性体は巨視的な数の電子スピンが何らかのパターンで整列する磁気秩序を示し、例えば、スピンが一様な方向にそろうことで磁石として磁極を持つ強磁性体や、隣り合うスピンが反平行や互いを打ち消し合うように配列することで磁極を持たない反強磁性体に分類される。

量子コンピュータの研究を一歩先へ進める

1.超伝導量子ビット2次元稠密集積化

本プロジェクトでは、「基板を貫通した電極と同軸ケーブルで量子ビットに垂直にアクセスする」という方法をとることにより、集積する量子ビット数が増えても配線密度が変わらず、クロストークを抑えられるアーキテクチャを新たに設計・開発した。

さらに考案したアーキテクチャに基づく16量子ビットおよび64量子ビット回路(図1)のプロセス技術を確立し、試作および評価実験を行った。2次元稠密集積化された量子ビット回路上で、1ビットゲート・2ビットゲート・周波数多重化量子ビット読み出しを実装した。

図1

図1 超伝導量子ビット集積回路とアーキテクチャのイメージ(左)、試作した量子ビットチップ(右)

2.マイクロ波単一光子の量子非破壊測定

本研究グループは、入射するマイクロ波単一光子が伝搬するための伝送線路(同軸ケーブル)と超伝導量子ビットを、マイクロ波空洞共振器を介して結合させた(図2)。まず、超伝導量子ビットの初期状態として、基底状態と励起状態の適切な重ね合わせ状態(「+」状態と呼ぶ)を用意する。マイクロ波単一光子が飛来し、共振器に反射されると、共振器の内部に置かれた重ね合わせ状態が変化し、初期状態と直交した状態(「-」状態と呼ぶ)をとる(図3)。その直後に、超伝導量子ビットの状態が「+」状態なのか、「-」状態なのかを判別すれば、マイクロ波単一光子の飛来の有無を確認できる。飛来した光子は反射されて伝搬し続けるので、量子非破壊測定が実現する。本研究グループは、高感度なジョセフソンパラメトリック増幅器※5を用い、マイクロ波光子検出効率84%を実現し、さらに検出された光子が破壊されずに反射されていることを実験で確認して、量子非破壊測定を世界で初めて実証した。

※5 ジョセフソンパラメトリック増幅器
共振回路において、コイルやコンデンサーなどの回路パラメータを例えば共振周波数の2倍の周波数で変調したときに起こる「パラメトリック増幅」という現象を利用した増幅器をパラメトリック増幅器と呼ぶ。ジョセフソン接合(2つの超伝導体を絶縁体障壁を介して弱く結合させた素子)を用いたパラメトリック増幅器では、2つの並列ジョセフソン接合の持つ実効インダクタンスにマイクロ波磁場で変調をかけることにより、パラメトリック増幅を起こす。この方式では、非常に高利得かつ低雑音の信号増幅を実現できる。

図2

図2 マイクロ波空洞共振器と結合した超伝導量子ビット素子

図3

図3 超伝導量子ビットを用いた量子非破壊型単一マイクロ波光子検出器の原理

マイクロ波単一光子が共振器で反射すると、共振器内部の超伝導量子ビットの基底状態と励起状態の重ね合わせが、初期状態(「+」状態)から変化し、初期状態と直交した状態(「-」状態)をとる。

3.単一マグノンの単一試行読み出しの実現

これまで、マグノンに関する実験的研究は、検出感度の制限により、膨大な数のマグノンが励起された状態を対象にしたものが中心であり、マグノンを直接数える手段はなかった。本プロジェクトでは、同じ共振器内に配置された超伝導量子ビットによって(図4)、強磁性体中に1つのマグノンが励起されている状態を単一試行測定(複数の測定結果の平均ではなく、単発的に測定)する技術を世界で初めて実現した。

具体的には、強磁性体イットリウム鉄ガーネット(YIG)単結晶中のマグノンと超伝導量子ビットとを共振器を介して相互作用させ、マグノン数に応じて超伝導量子ビットの共鳴エネルギーがシフトする強分散領域と呼ばれる状況を実現し、単一マグノンの単一試行測定を高い検出効率71%で成功させた。

図4

図4 単一マグノン検出器

磁性体単結晶球中のマグノンと、超伝導量子ビットを、マイクロ波の空洞共振器を介してコヒーレントに結合し、単一マグノンの検出を実現する。

各領域の基盤確立や応用展開への可能性

本研究グループの活動は、超伝導量子コンピュータの研究開発の加速に寄与する取り組みとして、学術的および産業的に大きなインパクトをもたらしている。

1.超伝導量子ビット2次元稠密集積化

より大規模な量子ビット集積回路の実現に向けて、現在は64量子ビット回路の試作が完了し、評価実験を開始している。これらは経済・社会的な重要課題に対し、量子科学技術(光・量子技術)を駆使して、非連続的な解決(Quantum leap)を目指す研究開発プログラム「Q-LEAPフラグシッププロジェクト」においても、基盤技術となっている。

2.「マイクロ波単一光子」の量子非破壊測定

本研究の成果は、超伝導回路上の量子ビット素子間で量子情報をやりとりする量子ネットワーク技術の基礎となる。今後、マイクロ波単一光子の伝搬制御や状態制御を自在に行うための回路コンポーネントを開発していくことで、量子ネットワーク技術の深化、より大きな規模の量子コンピュータ開発などへの応用が期待される。またマイクロ波領域においてこれまで存在しなかった、高い感度と低い暗計数※6を持つ単一光子検出器は、様々な量子センシング技術への応用が期待される。

3.単一マグノンの単一試行読み出しの実現

単一マグノン検出器開発の成功は、超伝導量子ビットが量子コンピュータの基本素子というだけではなく、量子センシングの分野でもブレークスルーをもたらす素晴らしい例の1つともいえる。今後、単一マグノンのレベルで磁性体中の集団スピン励起を量子的に観測・制御する量子的な実験的研究が加速するとともに、未だ実現していない非古典的なマグノン状態を生成する道を切り開く礎となると期待される。

※6 暗計数
光子が飛来していないのに、誤って検出信号を発してしまう事象の数。