事業成果

超高速・超高集積・超低消費電力な次世代メモリーへ

世界に先駆けるトポロジカル反強磁性体の研究2023年度更新

写真:中辻 知
中辻 知(東京大学 トランススケール量子科学国際連携研究機構 機構長)
CREST
「トポロジカル材料科学に基づく革新的機能を有する材料・デバイスの創出」領域・「電子構造のトポロジーを利用した機能性磁性材料の開発とデバイス創成」研究代表者(2018-2024)
未来社会創造事業
大規模プロジェクト型「スピントロニクス光電インターフェースの基盤技術の創成」研究開発代表者(2020-2030(最大))

反強磁性体への情報書き込み技術、電流制御技術を開発

研究チームは、次世代のテラヘルツ電子デバイスの実現につながる不揮発性メモリーの開発を見据えたトポロジカル反強磁性金属※1 Mn3Sn(図1)の研究に取り組んでいる。また、Mn3Snの研究を通して、現状のシリコン半導体技術の性能を超えた高速・低消費電力な情報処理技術につながる、不揮発性の磁気抵抗メモリー(MRAM)の常識を破る「磁化が不要な量子トンネル磁気抵抗効果」の実現に初めて成功した。

①トポロジカル反強磁性金属の超高速スピン反転を実証

トポロジカル反強磁性金属Mn3Snを用いてスピンの動きを実時間で捉えることに成功し、その反転速度が10ピコ秒(1ピコ秒は1兆分の1秒)以下と超高速であることを実証した。これは実用化されているMRAM(磁気抵抗メモリー)に比べて10〜100倍程度の速い読み書きに相当し、本材料を用いた電子デバイスを作製すれば、超高速動作が可能になることを示した。

②140年以上の常識を破るピエゾ磁気効果※2を用いた反強磁性体への情報の書き込み技術

磁化をほとんど持たないにもかかわらず、室温で巨大な異常ホール効果※3を示す反強磁性体Mn3Snにおける巨大なピエゾ磁気効果を室温で実現し、通常は磁場で制御される異常ホール効果の符号を結晶の歪みで制御することに初めて成功した。1880年に異常ホール効果が発見されて以来の常識を破り、異常ホール効果が磁化でなく、拡張磁気八極子に由来することを明らかにした。

③世界初の反強磁性体における垂直2値状態の電流制御

強磁性体から成る不揮発性メモリーであるMRAM(磁気抵抗メモリー)において、情報記憶の低消費電力化・高密度化に重要な役割を果たす垂直2値状態を反強磁性体で実現した。反強磁性体の垂直2値状態を電流で制御する技術を開発した。これは反強磁性体が20世紀初頭に発見されて以来、初めてその磁気状態にて180度反転を実現した例である。

④室温で駆動する新しい量子トンネル磁気抵抗効果の発見

反強磁性体Mn3Snが、磁化を持たないにもかかわらず、室温で量子トンネル磁気抵抗効果※4を示すことを世界に先駆けて発見した。電気的な出力を飛躍的に増大させる量子トンネル磁気抵抗効果の発見は、これまで不可能と思われていた「テラヘルツ(THz)帯の動作速度で駆動する超高速・高密度・低消費電力なMRAM(磁気抵抗メモリー)の実現」に向けた大きな一歩となる。

※1 反強磁性金属、強磁性金属
トポロジカル材料は、金属、絶縁体、半導体などの分類ができない物質。内部では、電流を流さず絶縁体としての性質を持ち、表面では特殊な金属状態(電子が特別な状態)が発現し、高速かつ不純物の影響を受けにくい特性を持つトポロジカル絶縁体はその典型例。物質中の原子一つ一つは磁石としての性質、すなわちスピンを持つ。反強磁性体では個々の原子磁石のスピンが一方向にはそろわず、全体として正味のスピン(磁極)がほぼゼロになる。強磁性体では個々の原子磁石のスピンが一方向にそろい、正味のスピンを有する。一般に、磁石と呼ばれるものの多くが強磁性体。トポロジカル反強磁性体Mn3Snは内部が半金属状態で、表面状態は金属状態となるトポロジカル半金属状態を示すワイル半金属を磁性体で初めて実現した例。このワイル半金属状態により反強磁性体としてそれまで不可能と思われていたさまざまな物性(異常ホール効果、異常ネルンスト効果、磁気カー効果等)を発現することが見いだされた。

※2 ピエゾ磁気効果
磁性体において、外部から加えられた応力(歪み)によって磁気分極(磁化)が生じる現象。磁化と歪みは線形結合しており、ピエゾ磁気効果を示す磁性体では、歪みにより磁化を誘起するだけでなく、磁場をかけて試料自体に物理的な変形を起こすことも可能。

※3 異常ホール効果
電気を流すことが可能な物質において、磁場・電流と垂直方向に起電力が生じる現象をホール効果と呼ぶ。互いに垂直に磁場と電流を与えた際に、電流として流れている電子の運動方向が磁場により曲げられることが原因となり起こる。強磁性体では、外部から磁場を与えなくても磁極の向きを制御することでホール効果が生じる。この効果を異常ホール効果と呼ぶ。最近では仮想磁場(波数空間に存在する有効磁場で、電子構造のトポロジーに起因する新しい物理概念)を持つ特殊な反強磁性体やスピン液体でも異常ホール効果が現れることがわかっている。

※4 量子トンネル磁気抵抗効果
電極として金属磁性体を用い、電極がトンネル障壁層である絶縁体を挟む構造を有する接合素子を磁気トンネル接合素子(MTJ)と呼ぶ。従来型の接合素子は電極として磁化を持つ強磁性体を利用していた。この磁気トンネル接合(MTJ)素子に電圧を加えたとき、量子トンネル効果によって流れる電流が、両側の磁性薄膜における磁化の向きに依存して変化する現象を量子トンネル磁気抵抗効果と呼ぶ。この磁化が平行と反平行な状態での2値の抵抗が、不揮発な1bitの情報となる。

図1

図1 トポロジカル反強磁性金属Mn3Snのスピン(左)および結晶構造(右)

磁気メモリーのさらなる高速化・高密度化へ

コンピューターやスマートフォンなどの情報処理には、電力供給をしないと情報が失われる揮発性半導体メモリーが用いられている。近年、インターネットの普及による社会のIT化は著しく、爆発的に増加する情報を低消費電力で処理するために、データの維持に電力を必要としない不揮発性メモリーとして、磁石として知られる強磁性体を用いたMRAM(磁気抵抗メモリー)の実用化が進んでいる。MRAMのさらなる高速化や高密度化を実現する研究開発指針の1つが、「強磁性体の反強磁性体による代替」である。反強磁性体は、情報の記憶速度がピコ秒レベルになると期待され、また、電子の動きであるスピンが互いの磁化を打ち消し合う配置になり、正味の磁化を持たないため、「従来より100倍速い演算が可能」かつ「小型でも大容量なMRAMが原理上、実現可能」という利点を持つ。一方で、反強磁性体を用いたMRAMを実現するための、「0」と「1」の情報に対応する電気的信号を検出・制御する技術は、まだ発展途上にある。

また、反強磁性体MRAMからの信号の読み出しに必須となるトンネル磁気抵抗効果は、これまで磁化が必要と考えられており、磁化を持たない反強磁性体ではトンネル磁気抵抗効果の利用が不可能とされていたことも課題だった。

トポロジカル反強磁性金属のさまざまな特性を研究

①トポロジカル反強磁性金属の超高速スピン反転を実証

本研究ではストロボスコープ法※5により、図2に示す測定系を用いてパルス幅が0.1ピコ秒程度(1ピコ秒は1兆分の1秒)のごく短いレーザーパルス光を用いて、Mn3Snにおけるスピンの動きを検出した。測定の結果、トポロジカル反強磁性金属Mn3Snにおいて超高速スピン反転が可能であることが示された。

※5 ストロボスコープ法
一定間隔で瞬間的に点灯する光などを用いて、高速に動く対象物の変化をコマ送りで検出する手法。

図2

図2

(a)ストロボスコープ法による測定系の概略。励起パルス光に対して遅延時間を設けて検出パルス光を入射し、トポロジカル反強磁性金属Mn3Snにおけるスピンの動きを検出する。
(b)隣接した個々のスピンが互いに反対方向に運動するモードIの観測結果。1ピコ秒程度の速い周期で振動が見える。
(c)個々のスピンがすべて同じ方向に運動する強磁性体と類似した、モードIIの観測結果。この振動モードがトポロジカル反強磁性における拡張磁気八極子の振動モードに対応する。数十ピコ秒の比較的遅い振動が超高速で減衰する様子がわかる。この超高速減衰が、トポロジカル反強磁性金属Mn3Snにおいて超高速スピン反転が可能であることを示している。

②140年以上の常識を破るピエゾ磁気効果を用いた反強磁性体への情報の書き込み技術

反強磁性体Mn3Snの信号を制御する手法は、磁場や電流を用いるのが一般的だが、本研究では「歪み」に着目した。純良なMn3Sn単結晶試料に引張方向と圧縮方向へ一軸性の歪みを高精度、かつ、幅広い範囲で加えることが可能な「抵抗測定用圧電歪み測定ステージ」を開発し、「歪み」による異常ホール信号の変化を測定(図3a)。その結果、室温においてMn3Snがピエゾ磁気効果※3を示すことを発見した。通常、異常ホール効果などの電気輸送特性に観測可能なほどの変化をもたらすには、1%程度の「歪み」が必要だったが、0.1%程度の小さな「歪み」で異常ホール効果によるホール信号を変化させることに成功した(図3b)。
 ホール信号は、単に大きさが変化しただけでなく、その符号まで反転する振る舞いが観測され、ノンコリニア(非共線)反強磁性スピン構造を示すMn3Snでは、「歪み」により信号が非常に高効率に制御できることがわかった。Mn3Snでは、ピエゾ磁気効果により生じる微小な磁化とホール信号が、「歪み」によって別々に制御できることも実験と理論の双方よりわかった。異常ホール効果はエドウィン・ホールが1880年に発見して以来、磁化に比例すると考えられてきたが、この実験はその常識を覆し、磁化ではなく拡張磁気八極子に比例することを明らかにした。

図3

図3

(a) 概要図:「歪み」下での異常ホール効果の測定構成。ここではx方向への引張り「歪み」下で、試料のz軸方向に発生するホール電圧VHを測定している。Hyは外部磁場、Iは電流、εxxはx方向への「歪み」を示す。
(b) グラフ:さまざまな「歪み」εxx下でのMn3Snのホール抵抗率の磁場依存性。

③世界初の反強磁性体における垂直2値状態の電流制御

本研究では、カイラル(らせん構造)反強磁性体Mn3Snのエピタキシャル薄膜(原子がきれいに並んだ結晶性の薄膜)と重金属薄膜を含む多層膜を作製し、実験を行った。
 Mn3Snの磁気秩序である磁気八極子偏極※6は「6つの方向に向く」という自由度を持つが、Mn3Snのエピタキシャル薄膜作製時にカゴメ面(結晶格子などに見られる、原子などが籠目状に配列したパターン)に平行に引っ張り、歪みを導入することで膜面垂直方向にのみ自由度を持つ(垂直2値状態をとる)ことがわかった(図4a・4b)。
 また、この多層膜から成るホール電圧信号の測定用素子を作製し、書き込み電流によるホール電圧の変化を室温で測定。その結果、14MA/cm2程度の書き込み電流によって、素子が出力する信号を100%反転可能であることを確認した。この実験結果は、垂直方向を向いた拡張磁気八極子偏極を素子の全域において電流制御できていることを示す。これは反強磁性体が20世紀初頭に発見されて以来、初めて電流でその磁気状態の180度反転を実現した最初の例である。
 さらに研究チームでは、さまざまな測定や数値計算を行い、薄膜作製時にMn3Snの反強磁性秩序(磁気八極子偏極)がつくる垂直2値状態の電流制御を実証し、カイラル反強磁性体において、超低消費電力で信頼性の高い情報記録デバイスの作製が原理的に可能であることを明らかにした。

※6 磁気八極子偏極
強磁性体(磁石)は、N極とS極の2つの極(磁極)を持つが、磁性体の各格子点に配置されたスピンも2つの極を持ち、これらは磁気双極子と呼ばれる。複数の格子点に配置されたスピンで1つのユニットを考えた際に作られる特徴的なスピンの組み合わせを拡張磁気多極子といい、構成するスピンの数が1つ、2つ、3つと増えるにつれて、磁気双極子、四極子、八極子というように、その組み合わせの名前が変わる。反強磁性体Mn3Snのスピン構造では、2つのカゴメ格子(結晶格子などに見られる、原子などが籠目状に配列したパターン)上に配置された6つのスピンで拡張磁気八極子のユニットが考えられ、下図に示すように拡張磁気八極子偏極を持っていることがわかる。Mn3Snの磁気八極子偏極は、異常ホール効果などの源である仮想磁場の向きを制御するパラメータとして機能する。そのため、磁極のない反強磁性体においても、強磁性体で見られるような巨大応答を示すことができる。

図4

図4 カイラル反強磁性体Mn3Snでの、カゴメ面内の引っ張り歪みにより誘起された垂直2値状態

(a)本研究で用いた多層膜の概要図。基板に用いたMgOとMn3Snの不整合により、Mn3Sn層には引っ張り歪みが生じる。
(b) Mn3Snの持つ拡張磁気八極子偏極はカゴメ面内に6値の自由度を持つ。
しかし、図4aに示した歪みを導入することで、この自由度は膜面垂直方向の2値に減少し、垂直2値状態になる。

④室温で駆動する新しい量子トンネル磁気抵抗効果の発見

現在、半導体企業が量産するMRAMでは、情報の読み書きはトンネル磁気抵抗効果を発現する磁気トンネル接合(MTJ)素子が担う(図5)。MTJ素子は、主に強磁性層/トンネル障壁層/強磁性層から構成されており、2つの強磁性層の磁化方向が平行および反平行になることで「0」と「1」の情報を保持する。本研究では、強磁性層を反強磁性体Mn3Snで置き換えたMTJ素子を作製。反強磁性体のみから成るMTJ素子で初めてトンネル磁気抵抗効果の観測に成功した。さらに、今回、確認できた磁気抵抗効果の変化を、理論計算から現在強磁性体で見られる値と同程度(100%程度)まで十分に増強可能であることも併せて明らかにした。

図5

図5 MRAM(磁気抵抗メモリー)・磁気トンネル接合(MTJ)素子の模式図

磁気トンネル接合素子は、強磁性層/トンネル障壁層/強磁性層で構成される。オレンジ色の矢印は磁化(磁極)の向き、黄色部分は電極を示す。強磁性層を反強磁性体に置き換えることにより、動作周波数の向上と微細化を見込める。

次世代電子デバイスの実現と、ポスト半導体産業への貢献

トポロジカル反強磁性金属を用いた電子デバイスの超高速動作が実証されたことにより、すでに実用化されているMRAMよりも、10〜100倍程度、速く読み書きができる超高速動作が可能なテラヘルツ級の電子デバイスの作製が可能となる。

また、反強磁性体の磁気状態の高度な制御技術は、MRAMをはじめ、さまざまな磁気デバイスの高機能化に関する研究に展開できることが期待されている。

さらに、研究グループがMRAMの基盤技術であるMTJ素子で量子トンネル磁気抵抗効果を発見したことは、従来のシリコン半導体に比して、より高速で低消費電力な情報技術の可能性を示しており、産業界に大きな波及効果をもたらし、今後の日本のポスト半導体産業の育成にもつながると考えられる。