事業成果

最先端の科学技術で「育てる漁業」の高度化を目指す

タイ発・次世代養殖技術2018年度更新

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岡本 信明(学校法人トキワ松学園 理事長)
SATREPS
生物資源領域「次世代の食糧安全保障のための養殖技術研究開発」研究代表者(H23-H28)

拡大する水産物養殖が直面する課題

近年世界的に水産物の需要が急増し、2030年には2007年比でおよそ2倍近くになると予想され、天然水産物の乱獲につながりかねない状況である。また天然の水産物は豊漁不漁の波があるため、水産物の「養殖」への注目度が増している。すでに世界の食用水産物の5割以上を養殖が占めているが、この割合は今後も高まることが予想される。

需要が高まる一方で、養殖現場では、感染症対策、安全性や市場価値の確保など様々な課題を抱えている。さらに感染症対策が安全性の担保につながって市場価値に反映されるというように、それぞれの課題は相互に連関(れんかん)しているため、各課題を総合的にとらえることが重要だ。このような背景を踏まえ、東京海洋大学の岡本信明学長(現:トキワ松学園 理事長)らはJST地球規模課題対応国際科学技術協力プログラム(SATREPS)において、タイの研究者とともに「次世代の食糧安全保障のための養殖技術研究開発」に取り組んだ。

  • 図1

    世界の水産物需要は、2030年に2倍近くに

  • 図2

    食卓を彩る水産物の5割以上が養殖水産物

養殖の課題をトータルに研究

まず岡本学長らは、現在の養殖現場が抱える課題を整理し、5つの研究テーマを定めた。良い形質を持つ個体を選別する「分子育種」、成熟が早く丈夫な種の魚のお腹を借りて別種の高級魚の卵を育てる「借り腹」、ワクチン開発などによる「感染症防除」、養殖の飼料である魚粉を減らすための「代替飼料」、そして食品としての安全性を確保する「危害因子検出」である。これらのテーマを通して、市場評価の高い養殖水産物の増産に寄与する計画だ。研究対象の魚種は市場価値が高い、ハタ、スズキ、クルマエビ類に絞り込んだ。

「分子育種」では、世界で初めてハタ類の遺伝子同士の関係性を示す地図を作成した。この地図をもとに優れた成長性に関連するDNAマーカー(個体の遺伝的性質の目印)を開発するとともに、ブラックタイガー(ウシエビ)の耐病性に関連するDNAマーカーも開発している。これらを分子育種へ活用することで、成長性や耐病性などに優れた魚類を選別した養殖が期待されている。※特許出願済

「借り腹」の研究開発では、成熟まで7~8 年かかるハタ類のジャイアントグルーパー(タマカイと呼ばれる高級魚)の生殖細胞を、2年で成熟する同じハタ類で別種のタイガーグルーパーに移植する研究が進められた。取り扱いやすいニジマスでの基礎研究を経て、現在タイの水産局では、ジャイアントグルーパーの生殖細胞を移植したタイガーグルーパーが養成されている。借り腹技術が確立できれば、親魚の小型化や成熟期間を短縮し、有用な形質の選抜を効率的に行うことができる。また生殖細胞を凍結すれば遺伝資源の保存にもつながる。

「感染症防除」ではレンサ球菌症ワクチンの開発に成功し市販化の取組みが始まった。「危害因子検出」では研究対象のひとつにマラカイトグリーン問題を挙げた。マラカイトグリーンはかつて養殖で広く使われていた抗菌剤だが、発がん性が報告されてから現在では使用禁止となった。しかし地中に残留しているマラカイトグリーンによる汚染が現在でも問題視されている。本研究開発では残留マラカイトグリーンの迅速検出法を確立した。さらには再汚染リスクを低減させるために、マラカイトグリーン分解微生物の探索も行っている。「代替飼料」では、魚粉に替わる代替動物性たんぱく質飼料の開発を進め、開発した無魚粉飼料の養殖業者への普及活動が始まっている。

図3

養殖現場の緊急事態への機動的対応

「感染症防除」については特筆すべき出来事がある。本研究開発がスタートして2年、2013年初頭にタイのクルマエビ類(バナメイ)養殖池で、後にEMS/AHPNDと呼ばれる感染症が突然発生したのだ。肝膵臓が壊死するこの病気は、感染した稚エビの場合の死亡率はほぼ100%であり、タイにおけるバナメイの生産量は翌年には通常の半分以下に落ち込んでしまったのだ。EMS/AHPNDは、マレーシアやベトナム、中国、メキシコでも確認されたため、ことの重大性や緊急性から、当初計画されていなかったこの感染症を直ちに研究対象に加えた。

2013年7月には、米国アリゾナ大学のドナルド・ライトナー博士らによって、原因は腸炎ビブリオであることが報告された。しかし養殖現場には非病原性の腸炎ビブリオが存在する。病原性株と非病原性株との区別ができる診断法の開発が望まれていた。研究チームは、2014年6月に病原性株に特異的に存在する2つの毒素遺伝子を特定、そこをターゲットとする診断法を開発した。

図4

健康なエビ(上)とEMS/AHPNDに感染したエビ(下)。吹き出しは肝膵臓の場所を示し、壊死すると白色化する。

標準検査法はアジア、世界へ普及

本研究開発で確立されたEMS/AHPNDの検査法は、感染の有無を100%の精度で診断できる。直ちにタイ政府は標準検査法の一つとして採用し、タイ国内のエビ養殖業者へ普及を図った。その結果として途方に暮れていた養殖業者は息を吹き返し、タイのエビ生産量は回復を果たしたのだ。さらにこの検査法は、国際獣疫事務局(OIE)において、標準検査法の一つとして採用され、東南アジアをはじめ世界中のエビ養殖現場への普及が図られている。また本検査法は、養殖用の海水から病原性の腸炎ビブリオを除去し、被害拡大を抑えこむ新たな技術開発にも役立つはずだ。

図5

タイ水産局で、EMS/AHPNDの検査が行われている様子