ポイント
- 抗菌剤を歯の表面に吸着させて持続的な抗菌作用を持つ新概念の口腔ケア剤
- 吸着材として、岡山の地元企業発の天然多糖プルランを使用
- セルフケアが困難な高齢者や要介護者、避難所での口腔感染症などの予防に
JST(理事長 中村 道治)は産学連携事業の一環として、大学・公的研究機関などの研究成果をもとにした起業のための研究開発を推進しています。
平成21年度より岡山大学に委託していた研究開発課題「要介護者向け口腔ケア剤の開発」(JST起業研究員:難波 尚子 岡山大学 大学院医歯薬学総合研究科 特任助教)において、抗菌剤CPC注1)の歯面への固定化を目指した研究の過程で、地元企業が独占的に供給する天然多糖であるプルラン注2)にCPCを固定して歯質に吸着させる方法で、持続的に抗菌効果を発揮して口腔感染症を予防する口腔ケア剤の開発に成功しました。また、この成果をもとに平成24年6月1日(金)、研究開発に参画したメンバーらが出資して「株式会社グライコポリマーサイエンス」を設立しました。
現在、抗菌剤を配合した多くの口腔ケア剤が市販されていますが、それらの商品には抗菌剤が歯の表面に長く留まるための特別な工夫がされていません。このため、口腔ケア剤を口に含んでうがいなどにより洗口をしたとしても、抗菌剤が直ちに口腔外に排出されてしまい、抗菌剤の効果が長い時間継続するということは期待できませんでした。
難波特任助教らは、リン酸化プルランと抗菌剤CPCからなる組成物を用いた口腔ケア剤と、歯の表面分子との荷電状態を利用して、多くの殺菌剤成分が標的とする歯面に吸着できる特性を与えることにより、持続的な抗菌効果を持たせることに成功しました。これによって、特に口腔内のセルフケアが困難な高齢者や要介護者が、口腔感染症や口腔感染症から誘発されるいろいろな症状(う蝕注3)、歯周病注4)、誤嚥(ごえん)性肺炎注5)、菌血症注6)など)を予防できる可能性があります。
さらに、入院治療中の患者や幼児を含む健常者にも十分に本口腔ケア剤が適用できると考えられます。また、自然災害による避難所での生活や、極端な水不足で口の中を清潔に保つことができず、高齢の方が誤嚥性肺炎を引き起こし命にかかわることがあるような状況などでも、多くの需要が見込まれるものと考えます。
今後は、設立したベンチャー企業を通じて多様な場面で多くの人たちに広く普及していく計画であり、平成26年度を目途に製造販売承認の取得を経て、上市3年後には売上目標17億円を目指します。
今回の企業の設立は、以下の事業の研究開発成果によるものです。
若手研究者ベンチャー創出推進事業
研究開発課題 |
「要介護者向け口腔ケア剤の開発」 |
JST起業研究員 |
難波 尚子(岡山大学 大学院医歯薬学総合研究科 特任助教) |
研究開発期間 |
平成21~23年度 |
本事業は、現在、「研究成果最適展開支援プログラム(A-STEP)」に発展的に再編しています(詳細情報:https://www.jst.go.jp/a-step/)。
今回の「株式会社グライコポリマーサイエンス」設立により、JSTの「プレベンチャー事業」、「大学発ベンチャー創出推進」、「若手研究者ベンチャー創出推進事業」および「A-STEP」によって設立したベンチャー企業数は、121社となりました。
<開発の背景>
現在、医学の進歩に伴い、高齢者の増加だけでなく、がん患者や臓器移植患者などが易感染性状態となる機会が増加しています。特に、高齢化社会を迎える日本では、この間題が今後の医療政策のみならず経済的な面などの多くの社会的な問題となることが懸念されています。これら高齢者や易感染性患者などでは、口腔内の常在細菌の感染が、生命を脅かす肺炎や菌血症などの原因となる場合があります。口腔感染を制御する方法は細菌の塊であるバイオフィルム注7)を機械的に除去することが主体であり、セルフケアが困難な状態の者に対しては他者による介助が必須となります。このような介護などの場ではマンパワーの不足や経済的問題のために、専門的な機械的除去が必ずしもできず、通常は化学的な除去(バイオフィルム形成の制御)が行われてきました。その方法として、現在多くの口腔ケア製品が市販されていますが、抗菌物質を歯質表面に長く留められるものはありません。また、抗菌剤などを歯面に固定化してその機能を持続させる技術は検討されてはいますが、その解決策はいまだ見いだされていないのが現状でした。
<研究開発の内容>
JST起業研究員(難波 尚子 特任助教)は大学院生時代から、抗菌剤CPCの歯面への固定化を目指した研究を進め、最終的に地元企業が独占する天然多糖であるプルランに着目し、荷電状況を変化させるためにリン酸化したプルランを、歯面に吸着させる方法を考案しました。具体的には、リン酸化プルランは陰性に荷電しており、陽性荷電した抗菌物質を陽性荷電したヒドロキシアパタイトを主成分とする歯面へ運ぶ担体として機能することができます(図1)。CPCとリン酸化プルランを組み合わせた本剤は、歯面へのバイオフィルム形成を抑制することが可能であり、「口腔ケア剤」として使用することが考えられます(図2)。また、本剤は歯面に効率よく吸着されることから、低濃度にて使用することが可能です。そのため、本剤は高齢者や要介護者、入院中の患者、幼児を含む健常者が使用することができます。
さらに、震災後などの避難所や極端な水不足で口の中を清潔に保つことができない環境下では、高齢の方が誤嚥性肺炎を引き起こし、命にかかわることがあります。実際に多くの方が同様の状況で誤嚥性肺炎で亡くなっています。このようなときにも応用することができるので、今後の日本における社会的インパクトは大きいものと考えられます。
JST起業研究員の難波 尚子は歯科医師としての立場から、新たな口腔ケア剤の研究開発と事業化を望んでいました(図3)。本事業のリン酸化プルランと抗菌剤CPCからなる組成物が、臨床研究を含む基礎的な研究開発段階から事業化を目指す段階になったことを受け(図4)、共同研究者の協力のもとに自分自身で事業化を目指した起業を決意しました。
<今後の事業展開>
超高齢化社会が到来し、脳卒中や骨折が原因になり要介護者が急増しています。要介護者は一般に健常者に比べて口腔内を清潔に保つことが難しく、誤嚥性肺炎などで死に至る確率も高くなっています。そこで、設立したベンチャーでは「現場のニーズを踏まえて、しかも現場で使い易い形で材料提供する」ことを基本理念とし、事業展開を進めていきます。しかし、国内の薬用洗口液の市場は、大手企業4社で売上額の約80%を占め、さらに各社が独自の販売ルートを確立しているため、新規企業が独自にこの市場に入り込むのは非常に難しい状況にあります。従って、今後は大手4社を含めた企業の中から最適なライセンス・技術移転先を迅速に決め、自社での材料研究開発を事業基盤とした企業戦略を展開していきます。具体的な経営指標として、商品化されてから3年後に、売上目標17億円(2011年度薬用洗口液の市場の10%)を目指します。
<参考図>
図1 リン酸化プルランの化学構造(左)と機能メカニズムのイメージ(右)
リン酸化プルランと抗菌剤CPCからなる組成物は、ミクロ的に見れば高分子量で負に荷電して長い分子鎖を持つリン酸化プルラン分子が、低分子量で分子鎖の短いCPC分子を内包した構造を形成し、これらが一体化されたまま、リン酸化プルラン分子の負荷電と正に荷電している歯の表面分子の間で静電気的な強い結合が速やかに生じるものと考えられます。洗口後、徐々にCPC分子がリン酸化プルラン分子から解放されて抗菌性を発揮するため、抗菌効果が長い時間継続するものと考えられます。
図2 効果に関するデータ:各種材料で洗浄した後の電子顕微鏡観察
このたび開発した口腔ケア向け材料(③)では、細菌の発生がほとんど見られないが、市販の口腔ケア剤を含めて他の材料(②と④)では、細菌の発生が著しいことが分かります。
図3 アンケート結果
県内の特別養護老人ホームおよび養護老人ホーム138施設の施設長、介護担当者約300名に対して調査を行い(回収率 約60%)、日常使用している口腔ケア剤に十分満足している介護担当者は25%に過ぎず、改善の余地があることが分かりました。
図4 安全性データ
生体内外において上記の安全性試験を行って安全性を確認した後、大学内での倫理委員会の承認を得て、健常者での臨床試験を実施しました。
<用語解説>
- 注1) CPC
- 塩化セチルピリジニウム。カチオン性殺菌剤で、デンタルリンスやのど飴など、すでに多くの商品の殺菌成分として広く応用されている。
- 注2) プルラン
- デンプンを原料として天然酵母様カビを用いて作られる天然多糖。現在、薬のカプセルの材料や食べ物にとろ味を付与するために広く使用されている。
- 注3) う蝕
- 一般的にいう虫歯のこと。歯が溶解して穴が開く。口の中の好気性菌が主な原因で、老若男女の多くが罹患している。
- 注4) 歯周病
- 昔でいう歯槽膿漏。歯の周りの組織の病気で、歯茎は腫れ、骨が減り、膿が出て、進行すると歯が抜ける。口の中の嫌気性菌が主な原因で、日本人成人の8割が罹患している。
- 注5) 誤嚥性肺炎
- 誤嚥に引き続いて発症する肺炎のこと。誤嚥は、明らかで大量の誤嚥よりも、不顕性誤嚥と呼ばれる意識せずに口腔内分泌物や胃液が少量ずつ肺内へ吸引される誤嚥のほうが原因として重要である。この不顕性誤嚥にあわせて細菌が吸引され、肺炎が引き起こされる。特に高齢者や脳卒中患者で多く見られる。
- 注6)菌血症
- 血液内に細菌が侵入した状態。通常、一時的なものですぐに消滅するが、易感染患者では重篤な状態になる。
- 注7) バイオフィルム
- 菌膜(Biofilm)とは微生物により形成される構造体であり、歯垢や台所のヌメリなどがある。自然界にも広く存在し、基質と水があれば、あらゆる場所に存在する。バイオフィルム内では酸素がなくても生存する嫌気性菌が多い。