学習・記憶を可能にする神経細胞レベルの現象として、神経活動に依存したシナプス伝達の持続的変化であるシナプス可塑性注2)が知られています。小脳におけるシナプス可塑性の1つに長期抑圧注3)と呼ばれる現象があり、運動学習注4)を支えるメカニズムと推定されてきました。
本研究グループは今回、小脳のプルキンエ細胞注5)上のシナプスに局在しているデルフィリン注6)というたんぱく質を欠いたミュータントマウスを作製し、このマウスでは長期抑圧が起こりやすくなり、ある種の運動学習がより速やかに起こることを突き止めました。
本研究成果は、運動学習に関与して小脳が働くメカニズムの理解を深めることに貢献するものと思われ、将来的には小脳疾患に起因する運動障害などの改善に役立つ可能性があると期待されます。
本研究成果は、平成20年5月28日(米国東部時間)発行のオンライン科学誌「PLoS ONE」で公開されます。
戦略的創造研究推進事業 チーム型研究(CREST) | ||
研究領域 | : | 「脳の機能発達と学習メカニズムの解明」 (研究総括:津本 忠治 (独)理化学研究所脳科学総合研究センター グループデイレクター) |
研究課題名 | : | 小脳による学習機構についての包括的研究 |
研究代表者 | : | 平野 丈夫 (京都大学 大学院理学研究科 教授) |
研究期間 | : | 平成15年10月~平成21年3月 |
<研究の背景と経緯>
学習・記憶を可能にする神経細胞レベルの基盤現象として、シナプス可塑性が知られています。小脳におけるシナプス可塑性の1つに長期抑圧と呼ばれる現象があり、運動学習を支えるメカニズムと推定されてきました。これまでに、長期抑圧が起こらない状態では運動学習が障害されることが報告されていましたが、長期抑圧と運動学習の関連性を否定する意見もありました。
本研究グループは、以前、グルタミン酸受容体デルタ2サブユニット注7)分子が長期抑圧に必要であることを報告しました。今回の研究で注目したデルフィリンは、グルタミン酸受容体デルタ2サブユニットと結合するたんぱく質として発見されたもので、長期抑圧が起こる小脳プルキンエ細胞上のシナプスに局在しています。
本研究グループは今回、デルフィリン欠損ミュータントマウスを作製し、シナプス機能と運動学習能力を調べました。
<研究の内容>
本研究では、デルフィリン欠損ミュータントマウスの性質を調べることによって、このマウスでは長期抑圧が引き起こされやすく、眼球の動きの運動学習がより速やかに起こることを発見しました。
デルフィリン欠損ミュータントマウスの行動・脳形態などは、一見したところ通常のマウスと違いませんでした。また、小脳内のシナプス構造も通常のマウスと同様でした。
しかし、デルフィリンと結合するグルタミン酸受容体デルタ2サブユニットが長期抑圧に必要であることから長期抑圧を調べたところ、デルフィリン欠損ミュータントマウスでは通常マウスより少ない回数の神経活動で長期抑圧が引き起こされました。
これまでに、細胞内のカルシウムイオン濃度の上昇が長期抑圧を引き起こすのに必要なことが分わかっていますが、デルフィリン欠損ミュータントマウスでは、長期抑圧が起こる際のカルシウムイオン依存性が低下していることも判明しました。デルフィリン欠損ミュータントマウスでは、カルシウムイオン濃度上昇が小さくても、少ない回数の神経活動で長期抑圧が引き起こされるものと推定されます。
次に、長期抑圧は運動学習の基盤になる現象と考えられていることから、デルフィリン欠損ミュータントマウスの運動学習能力を、運動学習のテストとして定量的な評価ができる視運動性眼球運動の適応注8)現象によって調べました。マウスの眼前で縦縞模様のスクリーンを動かし、その動きを追う眼球の動きを計測すると、初めはスクリーンの動きより小さな動きをし、次第に大きく的確に追従するように適応します。デルフィリン欠損ミュータントマウスでは、この適応が通常のマウスより速やかに起こりました。
本研究成果は、特定のシナプス可塑性の亢進が学習を促進しうることを示唆し、長期抑圧が運動学習に重要であるという説を支持するものです。
<今後の展開>
小脳の長期抑圧などのシナプス可塑制御の分子レベルでの理解は、学習・記憶の基盤を理解するために必要です。また、脳内に多数あるシナプス各々での可塑性がさまざまな学習・記憶にどのように寄与しているかを理解することも、脳・神経科学における重要な課題です。
本研究では、特定のシナプス可塑性亢進の学習に与える影響が検討されました。今後の課題として、長期抑圧およびその他のシナプス可塑性制御の分子メカニズムをよりよく理解し、各シナプス可塑性がさまざまな学習・記憶にどのようにかかわるかを調べていくことが求められると思います。
デルフィリン欠損ミュータントマウスでは、視運動性眼球運動の適応は促進していましたが、運動学習全てが亢進されるということではありません。脳内のさまざまなシナプス機能制御の役割を解明していくことが必要で、そのような知見が脳の機能メカニズムのより深い理解を導き、将来的には多様な脳・神経疾患の治療などにも役立っていくものと期待されます。
<参考図・用語解説>
図1 シナプスにおける情報伝達 |
図2 小脳皮質神経回路 |
図3 デルフィリン分子の発現パターン |
図4 デルフィリン欠損ミュータントマウスでは、長期抑圧が起こりやすい |
図5 マウスで視運動性眼球運動を計測する方法 |
図6 デルフィリン欠損ミュータントマウスでは視運動性眼球運動の適応が亢進している |
用語解説 |
<論文名>
"Enhancement of Both Long-Term Depression Induction and Optokinetic Response Adaptation in Mice Lacking Delphilin"
(デルフィリン欠損マウスにおける長期抑圧誘導と視運動性眼球運動適応の亢進)
doi: 10.1371/journal.pone.0002297
<お問い合わせ先>
平野 丈夫(ヒラノ トモオ)
京都大学 大学院 理学研究科 教授
〒606-8502 京都市左京区北白川追分町
Tel:075-753-4237 Fax:075-753-4229
E-mail:
三品 昌美(ミシナ マサヨシ)、竹内 倫徳(タケウチ トモノリ)
東京大学 大学院医学系研究科 教授、同校 同研究科 助教
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瀬谷 元秀(セヤ モトヒデ)
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