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科学技術振興機構報 第368号

平成18年12月21日

東京都千代田区四番町5-3
科学技術振興機構(JST)
電話(03)5214-8404(広報・ポータル部広報室)
URL https://www.jst.go.jp

植物の気孔を作り出す遺伝子を発見

(作物の品種改良や環境問題の解決に期待)

 JST(理事長 沖村憲樹)とワシントン大学(総長 マーク・エマート)の研究チームは、気孔ができるまでの一連の細胞分化を司る遺伝子(マスター遺伝子(注1))を発見しました。
 気孔とは、植物表皮に無数に存在するミクロサイズの通気口で、環境に応じて開閉し、呼吸や炭酸同化(光合成)のために酸素と炭酸ガスを交換したり、植物体内の水分量を調節しています。気孔は植物の生存に必須不可欠なだけでなく、植物と大気環境とのいわば接点として、地球環境にも大きな影響を及ぼしています。しかしながら、その細胞分化の指令スイッチとして働くマスター遺伝子の実体は謎のままでした。
 本研究チームは、SPCHMUTEFAMAと名付けられた3つのbHLH転写因子(注2)が、気孔の細胞分化における3つのステップに、それぞれ順次連続的に作用することによって、均一な原表皮細胞(注3)から気孔を作り出していることを明らかにしました。ヒトの特殊に分化した細胞(例えば筋肉細胞)の分化過程でも同じbHLH転写因子が順次作用することが知られており、本成果は、特殊な細胞分化において動植物の枠を超えた普遍的なメカニズムが存在することを示唆するものです。また、植物の物質生産(食料)や炭酸同化の向上に寄与するとともに、環境問題の改善に貢献することが期待されます。
 本成果は、戦略的創造研究推進事業 チーム型研究(CRESTタイプ)「植物の機能と制御」研究領域(研究総括:鈴木昭憲 東京大学名誉教授)の研究テーマ「植物発生における細胞間シグナリング」(研究代表者:岡田清孝 京都大学大学院理学研究科 教授)の研究メンバーである、鳥居啓子(米国ワシントン大学生物学部 准教授)らによって得られたもので、2006年12月20日付の英国科学雑誌「Nature(ネイチャー)」オンライン版に公開されます。


<研究の背景>

 陸上植物は、表皮に存在するミクロサイズの通気口である気孔を通して、酸素や二酸化炭素などのガス交換を行ったり、水蒸気を蒸散させて体内の水分量を調節しています(図1)。気孔は、一対の孔辺細胞(注4)およびその周辺の細胞からなる構造で、膨圧の増減で孔辺細胞が収縮・膨張することにより開閉します。
 気孔の分化は、植物の光合成器官(葉など)が成長していく過程で、表皮の未分化細胞が非対称分裂(注5)することにより始まります。この非対称分裂によって、メリステモイド細胞(注6)と呼ばれる前駆細胞(注7)が誕生します(図2)。メリステモイド細胞は非対称分裂を数回繰り返した後、丸い孔辺母細胞(注8)へと分化し、最終的に孔辺母細胞が真ん中から対称に分裂し通気口を囲む2つの孔辺細胞が作り出されます。
 研究グループはこれまで、モデル植物であるシロイヌナズナを用いて、気孔の数と分布を制御している細胞間シグナル伝達機構の実体について成果を上げてきました(文献1文献2)。しかし、実際に気孔を作り出す司令塔として働く遺伝子の実体と機能は解明されていませんでした。

<本研究の成果>

 本研究では、特殊な探索法を用いて、メリステモイド細胞が孔辺母細胞へ分化できなくなったシロイヌナズナ変異体muteを単離しました。mute突然変異体の表皮では、メリステモイド細胞が過剰に非対称分裂を繰り返した後、発生を停止します(図2)。この観察結果から、自然に一番多く存在する型(野生型)のMUTE遺伝子がないと、メリステモイド細胞が孔辺母細胞へと分化できないことがわかります。研究グループはMUTE遺伝子のクローニングに成功し、 MUTE遺伝子が新規のbHLH転写因子をコードすることを明らかにしました。このMUTE遺伝子から得られるMUTEタンパク質は、成熟したメリステモイド細胞の核に一過的に蓄積されます。さらに、このMUTE遺伝子を別の場所で過剰に発現させると、すべての表皮細胞が気孔へ分化することがわかり(図3)、MUTE遺伝子が気孔の分化のオン・オフスイッチとして働くことが判明しました(図2図3)。
 また、MUTEと最も塩基配列の似ているSPEECHLESS(SPCH)遺伝子を欠損したシロイヌナズナでは、気孔に分化するための最初のステップである非対称分裂が全く起きず、結果として表皮のすべてが厚いワックス層をもつ通常の表皮細胞へと分化しました(図2図3)。したがって、SPEECHLESS(SPCH)遺伝子は原表皮細胞からの非対称分裂の開始とメリステモイド細胞の誕生を制御していると言えます。MUTEと二番目に塩基配列が似ているFAMA遺伝子は、最後のステップである孔辺母細胞が孔辺細胞への成熟を支配することが(図2)、他の研究グループによってごく最近解明されました(文献3)。
 これらの研究から、3つのよく似たbHLH転写因子が、以下の3つの鍵となるステップを順番に制御するマスター遺伝子として、表皮細胞から気孔を作り出していることを明らかにしました。
 (i)非対称分裂の開始とメリステモイド細胞の分化:SPCH
 (ii)非対称分裂の停止とメリステモイド細胞から孔辺母細胞への分化:MUTE
 (iii)孔辺母細胞から孔辺細胞への分化:FAMA
 ヒトの特殊に分化した細胞(例えば筋肉細胞や神経細胞)の分化過程でも、一連の類似したbHLH転写因子が順次作用することが知られています。本成果は、気孔の細胞分化を支配するマスター遺伝子の発見のみならず、細胞分化には動植物の枠を超えた普遍的メカニズムが存在することを示唆しています。

<今後の展開>

 気孔の細胞分化を支配するマスター遺伝子の発見は、気孔を作り出す全遺伝子発現プログラムの解明に大きく寄与するものです。今回発見された一連のbHLH遺伝子は、直接DNA分子に結合し多数の下流遺伝子(注9)の発現を調節することにより、メリステモイド細胞、孔辺母細胞、そして孔辺細胞の性質を決定すると考えられます。今後、実際に気孔を構築する下流遺伝子(例えば孔辺細胞の特殊な細胞壁や細胞骨格に関わる遺伝子や、気孔の開閉に関与する遺伝子)の網羅的な解析を進展させると予想されます。
 応用面では、MUTEおよびSPCHとよく似た遺伝子は、イネなどの重要作物にも存在するため、気孔の分化を調節することにより、ガス交換能や蒸散にすぐれた品種開発が可能になります。気孔は植物の生存に必須不可欠なだけでなく、植物と大気環境とのいわば接点として、地球環境にも大きな影響を及ぼしています。地球上の全植物の気孔を介して年間 3 x 1018 グラムもの二酸化炭素が同化(バイオマスとして固定)されています。また、一年間に植物体を通じて循環する水分は、大気中の全水蒸気量の二倍にのぼると推察されています(文献4)。したがって、本成果は、太陽エネルギーを物質に変換するという植物固有の生産性の向上に寄与するとともに、環境問題の改善にも貢献すると期待されます。


<用語解説>
図1. 植物のガス交換・蒸散作用と気孔の作用
図2. 気孔の細胞分化のステップと3つのbHLH転写因子の機能
図3. 気孔の細胞分化を司る一連のマスター遺伝子による植物表皮の制御

<参考文献>

文献1科学技術振興機構報 第184号「植物のミクロの呼吸孔、気孔の形成と分布パターンを支配する遺伝子を発見」(平成17年7月7日)
文献2Shpak, E. D., J. M. McAbee, L. J. Pillitteri, and K. U. Torii (2005) Science 309: 290-293.
文献3K. Ohashi-Ito and D. C. Bergmann (2006) Plant Cell 18: 2493-2505
文献4Hetherington, A. M. and F. I. Woodward (2003) Nature 424: 901-908.

<論文名>

"Termination of asymmetric cell division and differentiation of stomata" by Lynn J. Pillitteri, Daniel B. Sloan, Naomi B. Bogenschutz, and Keiko U. Torii. Nature (2006) DOI10.1038/nature05467 (オンライン版)
(『非対称分裂の停止と気孔の分化』、著者:ピリテリ・リン、スローン・ダニエル、ボウゲンシュッツ・ナオミ、トリイ・ケイコ)

<研究領域等>

この研究テーマが含まれる研究領域、研究期間は以下の通りです。

戦略的創造研究推進事業 チーム型研究(CRESTタイプ)
研究領域:「植物の機能と制御」
(研究総括:鈴木昭憲 東京大学 名誉教授)
研究課題名:「植物発生における細胞間シグナリング」
研究代表者:岡田清孝 京都大学大学院理学研究科 教授
研究期間:平成13年度~平成18年度

なお本研究は米国エネルギー省「エネルギー・バイオサイエンス・プログラム」および全米科学財団(プリンシパル・インベスティゲーター:鳥居啓子)の研究の一環としても進められているものです。

<本件問合わせ先>

鳥居 啓子 (とりい けいこ)
米国ワシントン大学生物学部および幹細胞再生医療研究所
Department of Biology,
Institute for Stem Cell and Regenerative Medicine,
University of Washington
Seattle, WA 98195-5325 USA
Tel: +1-206-221-5701 FAX: +1-206-685-1728
E-mail:

佐藤 雅裕 (さとう まさひろ)
独立行政法人科学技術振興機構
戦略的創造事業本部 研究推進部 研究第一課
〒332-0012 埼玉県川口市本町4-1-8
Tel:048-226-5635 Fax:048-226-1164
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