科学技術振興機構報 第1411号

令和元年12月24日

東京都千代田区四番町5番地3
科学技術振興機構(JST)

1次元モット絶縁体の光励起状態を精密計算する電荷モデルを開発

~光学スペクトルの理論解析による光誘起現象の解明へ~

ポイント

JST 戦略的創造研究推進事業において、名古屋工業大学の大村 周 助教、高橋 聡 教授らは、1次元モット絶縁体注1)の光励起状態を記述するための理論モデルとして電荷モデルを開発しました。さらに光励起状態の局在基底となる多体ワニア関数注2)を構築して、実験結果と比較できる大きな系の光学伝導度スペクトルを得ることに成功しました。

近年、光照射や電場印加によって強相関電子系注3)の電子状態が超高速に変化することが注目を集めています。例えばモット絶縁体を強い光で励起すると、荷電キャリアであるホロンとダブロン注4)が生成され、高速に金属化が起こることが実験で示されています。この物理的機構を理解するには、系の波動関数を理論計算する必要があります。強相関電子系の電子状態は拡張ハバードモデル注5)で記述できますが、現在の計算機の能力では、最も単純な電子状態を持つ1次元系でも、実験結果と比較できる大きな系で波動関数を計算することや、それを使って光学スペクトルを求めることはできませんでした。

そこで1次元拡張ハバードモデルにおいて、1次元モット絶縁体のスピン-電荷分離注6)の性質に加えて、電荷揺らぎ注7)を正確に取り扱う電荷モデルを開発しました。拡張ハバードモデルと電荷モデルで精密に計算した光学伝導度スペクトルを比較し、1次元モット絶縁体の光励起状態の記述には電荷揺らぎが不可欠であり、電荷モデルが有効であることを実証しました。さらに、電荷モデルに情報科学的手法を適用して、電子間相互作用の効果を取り込んだ多体ワニア関数を構築し、実験結果と直接比較できる100以上の原子や分子からなる系の光学伝導度スペクトルを得ることに成功しました。

本研究で用いた情報科学的手法は、さまざまな強相関電子系の光誘起現象の理論解析に活用できると考えられます。このような光誘起電子ダイナミクスの機構解明は、強相関電子系を用いた超高速光デバイスの開発につながると期待されます。

本研究成果は、2019年12月23日(米国東部時間)に米国物理学会誌「Physical Review B」のオンライン版で公開されます。

本成果は、以下の事業・研究領域・研究課題によって得られました。

戦略的創造研究推進事業 チーム型研究(CREST)

「計測技術と高度情報処理の融合によるインテリジェント計測・解析手法の開発と応用」
(研究総括:雨宮 慶幸 (公財) 高輝度光科学研究センター 理事長、副研究総括:北川 源四郎 東京大学 数理・情報教育センター 特任教授)
「強相関系における光・電場応答の時分割計測と非摂動型解析」
岡本 博(東京大学 大学院新領域創成科学研究科 教授)

<研究の背景と経緯>

電子間の強いクーロン相互作用のために電子が局在化したモット絶縁体に光を照射すると、興味深い高速の電子状態変化が引き起こされます。実際に、1次元モット絶縁体では、フェムト秒レーザーパルスの照射によって、1ピコ(10-12)秒よりも短い時間で荷電キャリアであるホロン・ダブロンが生成され金属化することが明らかになっています。この現象は、電荷とスピンの自由度が分離するという強相関1次元系に特有の性質に由来することが指摘されていますが、その物理的機構は十分に解明されていません。このような光誘起現象を理解するには、光学スペクトルの詳細な理論解析が必須です。

強相関電子系では、電子間に強い相互作用が働くため電子状態が複雑であり、汎用の近似法を適用することができません。そのため、モット絶縁体の光励起状態の理論解析では、拡張ハバードモデルによる精密な数値計算が重要な役割を果たしてきました。しかし、現在の計算機の能力では、電子の運動が2次元や3次元の系はもとより、1本の直線上で表現できる1次元系であっても、原子や分子のサイト数が20以上の系で精密な数値計算をすることは困難です。精度を保ちつつ実験結果と比較できる100サイト程度の大きな系の理論計算を行う手法としては、密度行列繰り込み群(DMRG)法注8)が知られています。しかし、DMRG法では直接波動関数を求められないため、得られた結果から系の波動関数の性質を調べることが難しいという問題がありました。

1次元モット絶縁体では、特有の性質であるスピン-電荷分離を仮定したモデル(ホロン-ダブロンモデル)でのスペクトルの近似計算が試みられていました。このモデルでは、オンサイトクーロン(同一サイト内のクーロン相互作用)エネルギーがトランスファー(隣接サイト間の跳び移り)エネルギーに対して極限的に大きい(U/T→∞)という条件が仮定されており、電荷揺らぎが全く取り入れられていませんでした。しかし、実際の物質に対応するU/Tの領域では電荷揺らぎが大きな影響を与えることが予想されるため、その効果を取り入れ、かつ、系のサイズ拡張に適した新しいモデルの構築が望まれていました。

<研究の内容>

上記の問題を解決するために、本研究グループは、1次元拡張ハバードモデルの新しい有効モデルとして「電荷モデル」を開発しました。電荷モデルは、1次元モット絶縁体のスピン-電荷分離を仮定しつつ、電荷揺らぎを正確に取り入れたモデルです(図1)。まず、典型的なモット絶縁体のパラメーターであるU/T=10を用いて、この電荷モデルと拡張ハバードモデルそれぞれで計算した光学伝導度スペクトルを比較した結果、定量的に一致することが確かめられました(図2)。一方、電荷揺らぎの効果を除いたモデルを用いて光学伝導度スペクトルを計算したところ、他の2つの結果と比べて高エネルギー側にずれていることが分かりました(図2)。さまざまなU/Tの値における系統的な計算から、U/Tの値が10以下の領域では、電荷揺らぎを考慮することが光励起状態の記述に不可欠であることが明らかとなりました。

電荷モデルを用いても、計算できるサイズは40サイト程度が限界です。さらにサイズを拡張するために、電荷モデルに情報科学的な次元縮約注9)の手法を適用し、ホロン-ダブロン対を表す多体ワニア関数を構築しました。通常のワニア関数は、電子の1体の波動関数を対象に作られており、電子間相互作用が本質的な役割を果たす強相関電子系には不十分です。本研究では、16サイトの系において電荷モデルで計算した光励起状態の多体波動関数から主要な電子状態を抜き出して、それらをユニタリー変換注10)することにより、電荷揺らぎを考慮した多体ワニア関数を構築しました(図3)。この多体ワニア関数は局在した波動関数であるため、サイズ拡張が可能になります。以上の枠組みにより、図4に示すようなサイズ依存性が現れず、実験結果と比較可能なサイズでのスペクトルを得ることができました。このスペクトルは80サイトにおいてDMRG法で計算したスペクトルとよく一致することから、本手法の有効性が確かめられました。この結果は、適切に電子間相互作用の効果を取り込み、かつ、波動関数を把握した上で100サイト以上の系の正確な光学伝導度スペクトルの計算が可能になったことを示しています。

<今後の展開>

本研究グループは、現在、この理論モデルを光誘起電子ダイナミクスの解析に利用する研究を進めています。このアプローチによって、実験で示されている1次元モット絶縁体から金属への変化のような、1ピコ(10-12)秒よりも短い時間の光誘起現象のダイナミクスの解明を実現できる可能性があります。また、そこで得られる知見は、超高速光デバイスの開発につながるものと期待されます。今後は本研究成果を基盤に、情報科学的手法を取り入れた電子状態の理論解析をさらに進め、2次元モット絶縁体などさまざまな強相関電子系の光誘起現象の解明を目指す予定です。

<付記>

本研究は、高エネルギー加速器研究機構 物質構造科学研究所 岩野 薫 研究機関講師、山口 辰威 研究員、東京理科大学 理学部 新城 一矢 研究員、遠山 貴巳 教授、理化学研究所 計算科学研究センター 曽田 繁利 研究員、東京大学 大学院新領域創成科学研究科 岡本 博 教授らと共同で行いました。

<参考図>

<用語解説>

注1)モット絶縁体
バンド理論において、価電子帯が部分的にしか満たされていない時、系は金属となる。しかし、強相関電子系の一種であるモット絶縁体は、電子間の強いクーロン反発のために電子が各サイト(原子や分子)に局在して絶縁体となる。
注2)多体ワニア関数
局在した波動関数で、これを基底として用いればサイズ拡張が容易となる。通常は1体のワニア関数が用いられるが、本研究では電荷揺らぎの効果を取り込んだ多体のワニア関数を構築する手法を開発した。
注3)強相関電子系
電子間に強いクーロン相互作用が働く物質群の総称。電子間相互作用の効果が本質的な役割を果たし、金属-絶縁体転移をはじめとして、さまざまな興味深い物性を示す。
注4)ホロンとダブロン
本研究で対象とするのは、各サイトに1つの電子が存在するモット絶縁体である。この系では、電子が存在しないサイトは正電荷を、電子が2つ占有したサイトは負電荷を持ち、それぞれホロン、ダブロンと呼ばれる。モット絶縁体に光を照射すると、これらが対となって生成される。その状態をホロン-ダブロン対と呼ぶ。
注5)拡張ハバードモデル
価電子のみを考慮して、隣接サイト間の跳び移り(トランスファー)、同一サイト内のクーロン相互作用(オンサイトクーロン相互作用)、隣接サイト間のクーロン相互作用を取り入れたモデル。適切にパラメーターを設定することにより、さまざまな物質の低エネルギー状態をよく再現できることが知られている。
注6)スピン-電荷分離
スピン自由度と電荷自由度(ホロン・ダブロンの運動)が独立であることを指す。オンサイトクーロンエネルギーが大きな1次元モット絶縁体においてスピン-電荷分離がよく成り立つことが、実験・理論双方で示されている。
注7)電荷揺らぎ
近似的には、モット絶縁体の基底状態では電荷の励起はなく、光子が1つ吸収された状態ではホロン・ダブロンが一対のみ励起された状態となる。しかし、量子力学的には、系はさまざまな数のホロン・ダブロン対が励起された状態の重ね合わせで表現する必要がある。これは、電荷の揺らぎが存在することに対応する。オンサイトクーロンエネルギーが極限的に大きい場合を除けば、電荷揺らぎの効果は必ず存在する。
注8)密度行列繰り込み群(DMRG)法
密度行列を用いて重要自由度を選択し、効率的に量子多体系の計算を行う手法。厳密計算と比べて大きなサイズの系の電子状態を高精度に求められるが、波動関数を直接求めることはできない。
注9)次元縮約
強相関電子系の電子状態は膨大な数の基底の線形結合により表すことができる。この基底の数を次元と呼ぶ。本研究では、統計的手法により光励起で支配的な状態を選び出し、次元数よりもはるかに少数の状態により電子状態を記述した。
注10)ユニタリー変換
電子状態を表す基底の集合は1つだけではない。ユニタリー変換により、基底は異なる基底に変換される。

<論文タイトル>

“Effective model of one-dimensional extended Hubbard systems: application to linear optical spectrum calculations in large systems based on many-body Wannier functions”
(1次元拡張ハバードモデルの有効モデル:多体ワニア関数を用いた大サイズの系における線形光学スペクトルの計算への応用)
DOI:10.1103/PhysRevB.100.235134

<お問い合わせ先>

(英文)“Development of a Charge Model for Precisely Calculating the Photoexcited States of One-Dimensional Mott Insulators — Clarification of photoinduced phenomena through the theoretical analysis of optical spectra”

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