ポイント
- 高分子膜の高速プロトン伝導を実現する、膜内で水分子が無限につながる“三次元アクアシート”の合成に成功した。
- さらに、ジャイロイド構造の重合固定化による高分子フィルム化に成功し、実用化への展開可能性を示した。
- 燃料電池などの電解質膜に要求される、省エネ、低環境負荷、低コストを同時に達成することが見込まれる。
東京農工大学 大学院工学研究院 生命機能科学部門の一川 尚広 特任准教授のグループとSheffield大学のXiang-bing Zeng 博士のグループは、独自の“分子設計”により両親媒性分子注1)の自己組織化を制御することで、三次元に無限につながるジャイロイド構造注2)をもった高分子膜を生み出すことに成功しました。この膜に水を染み込ませることで、ジャイロイド界面構造に沿って水分子が取り込まれ、厚みが1ナノメートルよりも薄く、三次元に無限に広がる水分子のシート(三次元アクアシート)を創成できました。換算すると、水1滴で面積100m2の三次元アクアシートを張ることができることになります。さらに、このアクアシートでは、水素イオン(プロトン)がバケツリレー型のメカニズム(ニュートンのゆりかご)により輸送されるため、極めて高速なプロトン伝導特性(10–1Scm–1)を達成しました。
本研究の成果で得られた高分子膜は、燃料電池の電解質膜としての展開を期待することができます。さらに、高分子電解質膜の需要は多彩な領域において高まっていることを考えると、今後、幅広い研究に革新をもたらす高分子膜として期待できます。
本研究は、東京農工大学の一川 尚広 特任准教授のグループが材料開発を行い、Sheffield大学のXiang-bing Zeng 博士のグループが詳細なナノ構造解析を行いました。
本研究成果は、Royal Society of Chemistryの「ChemicalScience」(2019年6月17日付)のオンライン版で公開され、後日出版される号の表紙を飾る予定です。
本研究は、JST 戦略的創造研究推進事業 さきがけ「超空間制御と革新的機能創成」(研究総括:黒田 一幸)研究領域における研究課題名「三次元Gyroid極小界面を用いたプロトン伝導性空間の創成」(研究者:一川 尚広 東京農工大学 特任准教授)の支援を受けました。
<現状>
プロトン(水素イオン)伝導性高分子膜注3)は燃料電池を始めとするさまざまなデバイスに組み込まれている重要な部材です。高分子膜の膜中において高速プロトン伝導を実現するためには、膜中に水分子の“水素結合ネットワーク”を形成することが鍵となります。水分子のネットワークの存在が、バケツリレー型のプロトン輸送を可能にするためです。この伝達機構はニュートンのゆりかご注4)になぞらえることができます(図1)。つまり膜中において、膜の表から裏まで、水分子を途切れなく並べることが優れたプロトン伝導膜の開発に重要です。
これまで、プロトン伝導性高分子膜としてはナフィオンなどのスルホン酸基を有するフッ素系高分子が広く使われています。ナフィオン膜中において高分子鎖はランダムに配列しており、結果としてスルホン酸基も無秩序に配置しています。この膜に水を取り込ませたとき、水分子はスルホン酸基の周りから順に配列し始めます。そのため、無秩序に配置されたスルホン酸基間を水分子で橋渡しするためには、多くの水分子を取り込ませなければなりません。膜中のスルホン酸基を等間隔にかつ膜の表から裏まで連続的に配置できれば、スルホン酸基と強く結びつく蒸発しにくい水分子(結合水注5))だけで連続性を確保でき、高温にも耐えるプロトン伝導性高分子膜を設計できると期待できます。本研究では、高分子膜中でのスルホン酸基の配列を高度に制御する手法として、三次元の連続周期性を有するジャイロイド構造を高分子膜中に創り込むことで水分子が途切れず並び、『三次元のニュートンのゆりかご』を生み出すアプローチに着目しました(図2)。
<研究成果>
ジャイロイド構造は1960年代に発見された単位構造で、軽量かつ高強度を有する材料を設計する際に注目を浴びてきました。近年では3Dプリンタを使って格子長が数センチメートルのジャイロイド構造を簡易に作製することもできるようになってきましたが、格子長が“数ナノメートル”のジャイロイド構造を設計する“技術”とその“応用”に関してはいまだに発展途上です。
これまで研究グループでは、ジャイロイド構造を自発的に形成する両親媒性分子を世界に先駆けて多数開発してきました。本研究では、これらの両親媒性分子に重合性の官能基の導入などさまざまな工夫を盛り込み、ジャイロイド構造の重合固定化に挑戦しました。
分子設計や実際の合成・精製では、非常にたくさんの困難がありましたが、研究グループのメンバーである東京農工大学 博士後期課程2年の小林 翼さんが本研究の目的に適した両親媒性分子の開発に成功しました(図3)。開発した両親媒性分子を用いて、ジャイロイド構造を創り、光照射により分子を重合していくと、ジャイロイド構造を保ったまま高分子化が進行し自立性の高分子膜を作製できました(図3)。
この高分子膜の構造解析を行ったところ、ジャイロイド界面構造に沿って親水的なスルホン酸基が配列した構造になっていることが分かりました(図4中央の紫色)。さらに、この高分子膜に水を染み込ませた含水膜についてシンクロトロンX線散乱測定を行ったところ、紫色のレイヤーの中に厚みが1nm以下の青いレイヤーが形成され始めることが分かりました(図4右)。これは、膜の中に取り込まれた水分子が自発的にジャイロイド界面のスルホン酸基に集合・配列しているためと考えられ、厚みはナノメートルに満たないにも関わらず無限に連続した“三次元アクアシート”が形成されているものと思われます。換算すると水1滴で約100m2の面積のアクアシートを創ることができることになります。
この高分子膜中におけるプロトン伝導特性を調べたところ、既存のプロトン伝導性高分子膜に匹敵(または凌駕)する伝導特性(10–1Scm–1)を示すことが分かりました。三次元アクアシートを介して、「ニュートンのゆりかご」のようなプロトン伝導機構が発現し、プロトンの高速な輸送が起こっていると考えられます。
<今後の展開>
今後、本研究で開発した膜を実際に燃料電池セルに組み込み、燃料電池としての性能を評価する予定です。既存のプロトン伝導性高分子膜と比較して、非常に精密なナノ構造を有する膜であるため、電極上の触媒との接面におけるプロトンの授受が大幅に改善される可能性があります。
<参考図>
<用語解説>
- 注1)両親媒性分子
- 水になじむ「親水基」の骨格と油になじむ「疎水基」の骨格を連結することで得られる分子の総称。親水基は親水基同士で集まりたがり、疎水基も疎水基同士で集まるため、これらの分子は自発的に配列する。
- 注2)ジャイロイド構造
- X軸Y軸Z軸の3方向に無限に連結した三次元周期極小曲面である。1970年にアラン・シェーンによって発見された。
- 注3)プロトン(水素イオン)伝導性高分子膜
- さまざまな高分子膜の中でも、プロトン(水素イオン)を流すことができるもの。高分子鎖の分子骨格に酸性の官能基を導入することで設計できる。
- 注4)ニュートンのゆりかご
- 日本ではカチカチ玉とも言われる。運動量保存則と力学的エネルギー保存の法則の実演のために作られた装置である。
- 注5)結合水
- 極性の高い官能基と強く相互作用しているため、氷点でも凍結しにくく、蒸発もしにくい水分子。
<論文情報>
- タイトル
- “Gyroid structured aqua-sheet with sub-nanometer thickness enabling 3D fast proton relay conduction”
- DOI
- 10.1039/C9SC00131J
<お問い合わせ先>
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<研究に関すること>
一川 尚広(イチカワ タカヒロ)
東京農工大学 大学院工学研究院 生命機能科学部門 特任准教授
Tel/Fax:042-388-7275
E-mail:t-ichicc.tuat.ac.jp -
<JST事業に関すること>
中村 幹(ナカムラ ツヨシ)
科学技術振興機構 戦略研究推進部 グリーンイノベーショングループ
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