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平成25年5月13日

科学技術振興機構(JST)
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産業技術総合研究所(産総研)
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知覚意識を支える神経メカニズムを解明
—視床枕に「コレ、分かった!」の脳活動を発見—

ポイント

JST 課題達成型基礎研究の一環として、産業技術総合研究所の小村 豊 主任研究員らは、知覚意識を支える上で不可欠な「確信度注1)」という信号が、視床枕注2)という脳領域で、計算されていることを発見しました。

視床枕は、マウスなどのげっ歯類には存在せず、霊長類の脳では大きな容積を占めていること、回路としては大脳皮質注3)のなかでも視覚系皮質領域と密接に結合していることは知られていましたが、その働きや意義については不明でした。

本研究では、霊長類のモデル動物(サル)に、行動心理学的手法(損得の幅が大きい選択肢を選ぶか、回避するかの行動選択によって自信の程を評価する方法)を適用して、神経活動の振る舞いおよび視床枕を働かなくさせた場合の行動変化を調べました。その結果、視床枕の活動が、目の前で見えている世界の主観的な確からしさ(知覚の確信度)に影響を及ぼすことを明らかにしました。

今後、盲視注4)や妄想など、あるタイプの意識障害の病態メカニズム解明や、コンピュータービジョン注5)など、人工知能への応用に役立つことが期待されます。

本研究成果は、2013年5月12日(英国時間)に英国科学誌「Nature Neuroscience」のオンライン速報版で公開されます。

本成果は、以下の事業・研究領域・研究課題によって得られました。

戦略的創造研究推進事業 個人型研究(さきがけ)

研究領域 「生命システムの動作原理と基盤技術」
(研究総括:中西 重忠 (公財)大阪バイオサイエンス研究所 所長)
研究課題名 「脳内を縦横に結ぶ意思決定リンク」
研究代表者 小村 豊(産業技術総合研究所 ヒューマンライフテクノロジー研究部門 システム脳科学研究グループ 主任研究員)
研究期間 平成19年10月~平成23年3月

JSTはこの領域で、 生命システムの動作原理の解明のために新しい視点に立った解析基盤技術を創出し、生体の多様な機能分子の相互作用と作用機序を統合的に解析して、動的な生体情報の発現における基本原理の理解を目指しています。

<研究の背景と経緯>

私たちの日常生活は、周りの世界を認識して、次の行動を決定していくというサイクルの繰り返しです。例えば、車を運転して信号機に近づいた時に、青であればゴー、赤であればストップという行動を選択します。しかし大雨が降っていて、信号の色が青か赤か判別しにくい場合、私たちは、ゴーかストップかという選択をやめて、一旦車を道の脇に寄せて様子を見るでしょう。このような判断をする時に、脳のなかでは何が起こっているのでしょうか(図1 上)。まず、目から入った視覚情報は第一次視覚野に到達し、中次視覚野にかけて、色や動きなどの視覚特徴の分析が進みます。この後、高次視覚野にかけて、これらの特徴が統合されて、私たちが見ている内容が形成されていくと考えられています。しかし視覚情報が私たちの意識にのぼる際には、これだけでは不十分で、統合された視覚情報がどのくらい確からしいかを計算する過程を経ていることが、近年の研究で示唆されています。例えば、盲視という知覚意識の障害を持った人がいます。その人に、ある視覚刺激を提示すると、本人は「見えていない」というにも関わらず、その内容(色や動きなど)を弁別する課題を行ってもらうと、決して偶然ではないレベルで、正しい成績を残すことが知られています。このことは、見えているという知覚意識が成立するためには、色や動きなどの知覚の内容が形成される以外に、その内容を「確かに理解している」という主観的な情報が付与される過程を必要とすることを示しています(図1下)。しかし、その主観的な確からしさを計算する脳内メカニズムについては、ほとんど分かっていませんでした。

<研究の内容>

本研究では、まずサルに色(赤あるいは緑)と動き(上あるいは下)を組み合わせた視覚刺激を提示し、その視覚刺激から知覚内容(赤色が下に動くなど)を判別させる課題(図2A)を遂行させました。この課題でサルは、あらかじめ指定されたターゲットの色(赤あるいは緑)のドットの集合体が、上に動いているか、下に動いているかを判別し、上に動いている場合は右のバーを、下に動いている場合は左のバーを触って報告しなければいけません。この課題を遂行中の神経活動を記録したところ、視床枕の活動は知覚の内容に関わらず、視覚刺激が曖昧(ターゲットの色の動きが上下半々に近くで判別が難しい場合)になればなるほど、応答性を弱めていることが分かりました。そこで次に、自分の知覚判別に自信がない時に選択できる第三のバーを加えて、判別を回避できる行動課題(判別回避課題)(図2B)をサルに課しました。するとサルは、視覚刺激が曖昧になればなるほど、回避する(下のバー)割合が増えました(図3A)。この判別回避課題を遂行している時の視床枕の神経活動を解析したところ、同一の視覚刺激に対しても、視床枕の応答が弱い場合にはサルは回避行動を選択し、応答が強い場合には、判別行動を選択する傾向が、示されました(図3B)。これらのことから、視床枕の活動は単に刺激の物理的な曖昧さに相関しているのではなく、主観的な確からしさ(確信度)を反映していることが分かりました。最後に、このような視床枕の信号が損なわれると、行動にどのような影響が出るのかを、視床枕を薬物で働かなくさせた実験で検証しました(図4)。すると、視床枕が働かなくても、内容判別自体の行動には変化はありませんでしたが、判別を回避する行動が増加しました。視床枕は左右に一対ありますが、この判別回避課題への影響は右側の視床枕の神経活動を抑制すると、視覚刺激が左側に提示された場合のみ観察されました。

判別回避課題は、直接的には判別行動を積極的に選択するか、回避するかという行動決定に対する自信の程度を測定しています。しかし、本研究のように視覚刺激の曖昧さを操作するような場合、その視覚情報をどのくらい確かに判断できたかによっても、自信は揺らぎます。図3Bのデータを時間的に追っていくと、視床枕の神経細胞は視覚刺激を提示している期間には活動するが、行動決定をする期間には活動していませんでした。また、視床枕の神経活動は、反対側の視野に視覚刺激を提示している時のみに認められ、図4のデータからも、その効果は空間的に限られていることが分かりました。

これらの結果を総合すると、視床枕は、行動決定に対する自信ではなく、「今、ここで」見えている世界をどのくらい確かに理解しているのかという、知覚の確信度を決定する役割を果たしていると考えられます。

<今後の展開>

視床枕は、ほぼ全ての視覚系皮質領域と双方向に結合しています。過去の研究の視覚情報処理に関する知見と合わせると、図5のような情報の流れによって、知覚の確信度が生まれている可能性があります。今後は、この詳細を実験的に検証していきたいと考えています。哲学の分野では、私たちが主観的に体験している意識は、その人固有のもので、究極のところ他人には分からないものとされてきました。本研究の知見を手がかりに、これまで定量的にアプローチしづらかった意識の神経メカニズムの解明が、進展することが期待されます。同時に、盲視や妄想(幻覚)など、知覚意識が低下あるいは逸脱している病態について、新規の診断・治療法が開発されることが期待されます。また不確かな情報を、うまく制御している霊長類の視覚認識メカニズムを解明することで、実世界に適応するコンピュータービジョンへの応用にも、貢献する可能性があります。

<参考図>

図1

図1 視覚情報が、意識にのぼるまでの過程

目から入った視覚情報は、脳のなかで、まず、A)色や動きなどの特徴ごとに分析されます。そのあと、B)特徴が統合され、知覚の内容が形成される過程と、C)知覚の確からしさを計算する過程を経て知覚意識が成立し、我々は適切な行動を選択しようとします。盲視の場合、知覚の内容は保たれるものの、C)の過程が損なわれているために、知覚意識は成立しないと考えられます。

図2

図2 2種類の行動課題

  • (A)内容判別課題:あらかじめ指定された色(ターゲット、この場合は赤)のドットの集合体が、上下どちらに動いているか(知覚内容)を、サルは左右のバーを選択することで報告します。色と動きの混合比を操作することで、視覚刺激の曖昧さが変化します。
  • (B)判別回避課題:左右のバー以外に判別行動を忌避しても良いように、第三の選択肢(下のバー)を用意しました。左右のバーを選択して、判別が正しければ報酬(ジュース)を多く、間違っていればブザー音がなります。一方、下のバーを選択すれば、どのような刺激の場合でも少量の報酬がもらえます。図のように報酬量に差をつけると、サルは自分が下した判断に対して、自信がある時には判別行動(左右のバー)を選択し、自信がない時には判別行動をあきらめて、下のバーに回避すると予想されます。
図3

図3 判別回避課題における行動パターンと視床枕の活動

  • (A)実際に判別回避課題を行うと、サルは視覚刺激が曖昧になればなるほど、下のバーを選択する割合が増えていきます。
  • (B)視床枕の神経活動は、視覚刺激を呈示した直後に、一過性に応答する早期成分と、そのあとに、ゆっくり立ち上がる後期成分に分かれます。早期成分に違いはありませんでしたが、後期成分の強さから、サルの異なる行動を予測できました。すなわち、曖昧さが同じ視覚刺激(ターゲット色の動き±5)に対して、視床枕の神経細胞が弱い応答を示す(青線)場合は回避行動を選択し、強い応答を示す(黒・ピンクの線)場合は判別行動を選択しました。
図4

図4 視床枕が機能している課題と条件

右側の視床枕の神経活動を、薬物を使って一過性に働かなくすると、課題としては判別回避課題のみ、視覚刺激としては左視野に提示した場合のみに、その影響が認められました。

図5

図5 知覚意識を支える神経回路の概念図

  • (A)目から入った視覚情報は第一次視覚野に到達し、中次視覚野にかけて、色や動きといった視覚特徴を別個に分析していきます(無意識に起こる処理)。
  • (B)次に、高次視覚野へ処理が進み、視覚特徴が統合された内容が形成されていきます。
  • (C)これらの視覚領域と密接に結合している視床枕が、情報をやりとりすることによって、知覚の確信度が計算され、知覚意識が成立すると考えられます。
図6

図6 脳における視床枕の位置

ある脳断面における視床枕(青で着色)と大脳皮質の位置関係を示しています。

<用語解説>

注1) 確信度
主観的な確からしさ。例えば、ある刺激が見えたか、見えなかったかというテストをした場合に、“絶対に見えた”、“おそらく見えた”、“見えたかどうか分からない”というように、ある事象をどのくらい確からしく感じるか程度の差が生まれる。
注2) 視床枕
脳深部に左右一対ずつある領域。一般的に、右(左)の視床枕には、左(右)視野からの視覚情報が入力される。げっ歯類の脳には存在せず進化の過程で拡大し、霊長類の視床の最大容積を占める。
注3) 大脳皮質
大脳の表面を覆い、神経細胞が層状に集まっている領域。機能によって、運動皮質、感覚皮質などに分類され、感覚皮質のなかでも処理する感覚種によって、視覚系領域や聴覚系領域などに細分化される。
注4) 盲視
1973年に、ワイクスランツによって報告された症例。第一次視覚野が損傷された患者が、見えているという意識を持たないにも関わらず、当てずっぽうでもよいから視覚弁別するように求めると、正しく答えてしまう。
注5) コンピュータービジョン
コンピューターに取り込んだ画像から、外界の状況を推定する技術。ロボットが実世界を認識するために用いられる。

<論文タイトル>

“Responses of pulvinar neurons reflect a subject's confidence in visual categorization”
(視床枕の神経活動は、視覚判別に対する主観的な確信度を反映している。)
doi: 10.1038/nn.3393

<お問い合わせ先>

<研究に関すること>

小村 豊(コムラ ユタカ)
産業技術総合研究所 ヒューマンライフテクノロジー研究部門 システム脳科学研究グループ 主任研究員
〒305-0035 茨城県つくば市梅園1丁目1番地1
Tel:029-861-6708 Fax:029-861-5849
E-mail:

<JSTの事業に関すること>

木村 文治(キムラ フミハル)、川口 貴史(カワグチ タカフミ)、落合 恵子(オチアイ ケイコ)
科学技術振興機構 戦略研究推進部 ライフイノベーショングループ
〒102-0076 東京都千代田区五番町7 K’s五番町
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(英文)A Novel type of confidence revealed by neural activities of the primate pulvinar