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平成18年2月14日

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神経変性疾患を引き起こす緩慢な神経細胞死メカニズムを解明

(転写抑制により生じる新しい神経細胞死のかたち)

 JST(理事長 沖村憲樹)と国立大学法人東京医科歯科大学(学長:鈴木章夫)は、神経変性疾患と関連する新しい細胞死モデルを見出しました。
 中高年で発症することの多い、アルツハイマー病注1パーキンソン病注2筋萎縮性側索硬化症注3脊髄小脳変性症注4などの神経難病は、いずれも神経細胞内部に異常蛋白質の蓄積がおこり、やがて神経細胞に選択的な細胞死が生じることから、共通の発症機構を持つ神経変性疾患と考えられています。その進行は概ね2~20年と極めて緩慢で、従来の細胞死(アポトーシス注5ネクローシス注6など)の概念で症状や病理像の進行の遅さを説明することは困難でした。
 本研究では、神経細胞におけるDNA上の遺伝情報を読み取り、RNAを合成する段階(転写)を特異的に抑制したときに起きる神経細胞の変化を解析することで、1)転写を抑制された神経細胞は極めてゆっくりした細胞死を生じること、2)その形態学的・生化学的特徴が従来の細胞死の概念に当てはまりにくいこと、3)新規分子が新しい細胞死に関与していること、4)新規分子によりショウジョウバエモデルでの神経変性を抑えられること、を明らかにしました。今回の成果は、神経変性疾患の進行の緩慢さを説明できる新しい細胞死モデルを提唱するもので、神経変性疾患の新しい治療法開発につながることが期待されます。
 本成果は、戦略的創造研究推進事業「タイムシグナルと制御」研究領域(研究総括:永井克孝)における研究テーマ「RNAポリメラーゼII注7機能障害による神経変性」(研究者:岡澤均、東京医科歯科大学 教授)により得られたもので、米国学術雑誌「Journal of Cell Biology」 オンライン版に2006年2月13日(米国東部時間)に公開され、誌面でも同日に掲載されます。

【成果の概要】

<研究の背景と経緯>

 高齢者社会を迎え、アルツハイマー病、パーキンソン病、筋萎縮性側索硬化症、脊髄小脳変性症などの難治性神経疾患の発症機構の理解と治療法の開発が急務となっています。これらの疾患の共通点は神経細胞内部(細胞質あるいは核)に異常蛋白質の沈着が見られることです。過去20年余りの遺伝学的研究から多くの神経変性疾患原因遺伝子が同定され、その多くは沈着する異常蛋白質をつくり出す遺伝子あるいは異常蛋白質を代謝する遺伝子であることが明らかになってきました。
 また、蛋白質の高次構造の変化が凝集性亢進につながることも示されています。
 一方、細胞内異常蛋白質沈着がどのように神経細胞機能を障害し、神経疾患の発症に至るかについては、依然として不明な点が多く、今日活発に研究が行われています。
 治療の観点から、神経細胞死は治療可能な段階(可逆的段階)から治療不可能な段階(不可逆的段階)に進行する重要な病態過程です。にもかかわらず変性疾患の細胞死の本質については、未だ解決されていません。培養下の非神経細胞に疾患蛋白質を発現させるとアポトーシスが起きることが報告されていますが、現在では疾患蛋白質を神経細胞に発現させた場合にはアポトーシスは起きないこと、疾患遺伝子の種類によっては短期の培養では細胞死自体も起きないことが認識されています。また、病理学的にもヒト疾患脳でのアポトーシスの存在は多くの研究者が探索したにも関わらず、確固たる証拠がこれまで得られていません。
 神経変性疾患の大部分を占めるポリグルタミン病注8は、核内部に異常蛋白質が凝集すること、凝集前後に多数の転写因子注9やRNA修飾因子が結合することが報告されています。この中で、転写因子を介する遺伝子発現の変化とともに、転写総量も変化することが示唆されています。岡澤研究者らも、疾患蛋白質の結合相手としてRNAポリメラーゼIIの作用を調節する分子の一つであるPQBP1注10を発見し、PQBP1と疾患タンパクが協調してRNAポリメラーゼIIの作用を減少させることを報告しました(Neuron 34, 701-713, 2002)。さらに、疾患蛋白質を神経細胞に発現させ、正常蛋白質と異常蛋白質の発現を比較し、異常蛋白質の転写総量が減少していることを報告しました(BBRC 313, 110-116)。これらの背景の下に、転写過程の障害が神経細胞に与える影響を検討することにしました。

<今回の論文の概要>

 培養神経細胞を転写で重要なRNAポリメラーゼIIの働きを阻害する薬剤で処理し、転写過程に障害が起きている状態と類似した状態にすると転写総量が抑制され、細胞死が起きます。このときの培養神経細胞の生存時間をみると、その細胞死("トリアド"と命名)が数日(半減期:5日程度)であり、アポトーシスやネクローシスが数時間であるのに比べ、極めてゆっくりと起きていることがわかりました。
 また、トリアドではアポトーシスやネクローシス等の典型的な細胞死を示唆する生化学的、形態学的変化は見られませんが、一部の細胞では核周囲に特徴的な空胞を認めました(図1)。
 次に、トリアドを調節する分子をスクリーニングし、神経細胞特異的に発現するYAPdeltaC(ヤップデルタC)と命名した新規分子を同定しました。これは、YAP注11と呼ばれる発ガン遺伝子Yesに結合する分子の関連分子ですが、転写過程に必須な部分を欠如しているために細胞死抑制効果を持っています。実際に、神経細胞のトリアドでは、YAPdeltaCが細胞死を遅らせる働きを持っています。さらに、ヒト疾患脳を用いて解析すると、将来変性するべき神経細胞はYAPdeltaCを発現していました。したがって、変性過程にある神経細胞では、第1には、転写障害からアポトーシスへの流れをYAPdeltaCが阻害し、別のより遅い細胞死の流れにスイッチしている可能性が考えられます。また、第2には、YAPdeltaCによって大部分の細胞死は抑制されても、一部漏れ出た細胞死の情報により極めて弱い細胞死過程につながることも考えられます。
 いずれにせよ、YAPdeltaCは細胞死抑制の機能を持つので、ハンチントン病ショウジョウバエモデルを用いて、YAPdeltaCを遺伝子導入し、その治療効果を検討したところ、神経変性を抑制できることが明らかになりました(図2)。

<今後期待できる成果>

 トリアドの分子機構を検討し、変性疾患病態との関連を検討することで、神経変性の分子過程を理解できる可能性が出てきました。またトリアドの解析から、YAPdeltaCと同様な変性抑制効果を持つ新規分子をさらに見出すことができる可能性があります。また、YAPdeltaCについてはマウスモデルの作製を開始しており、マウスレベルで神経変性に対する治療効果が確認できれば、将来ヒトへの遺伝子治療に応用できる可能性が考えられます。また、トリアド形成を抑制する低分子化合物をスクリーニングすることで変性疾患治療に有用な薬剤を開発できる可能もがあります。

【用語解説】
図1:トリアドの形態学的特徴
図2:YAPdeltaCはハンチントン病の神経変性を抑制する

【論文名】

Transcriptional repression induces a slowly progressive atypical neuronal death associated with changes of YAP isoforms and p73
(転写抑制は、YAPアイソフォームとp73の変化を伴う緩徐進行性非典型的神経細胞死を誘発する
doi :10.1083/jcb.200509132

【研究領域等】

戦略的創造研究推進事業 個人型研究(さきがけタイプ)
「タイムシグナルと制御」研究領域 (研究総括:永井克孝)
研究課題名: RNAポリメラーゼII機能障害による神経変性の研究」
研究者: 岡澤均(国立大学法人東京医科歯科大学 難治疾患研究所 教授)
研究実施場所: 国立大学法人東京医科歯科大学 難治疾患研究所
研究実施期間: 平成14年11月から平成18年3月

【研究者プロフィール(岡澤均)】

1984年 東京大学医学部医学科卒業
1984年 東京大学医学部付属病院内科研修医
1988年 東京大学医学部付属病院神経内科医員
1991年 ドイツ、マックスプランク研究所 常勤研究員
1993年 日本学術振興会特別研究員
1994年 東京大学医学部神経内科助手
2001年 東京都神経科学総合研究所 分子治療研究部門 部門長
2003年 東京医科歯科大学 難治疾患研究所 神経病理学分野 教授

【筆頭著者プロフィール(星野将隆)】

1992年 神戸大学医学部医学科卒業
1996年 東京大学神経内科 医員
2003年 東京都神経科学総合研究所 非常勤研究員
2004年 東京医科歯科大学 COE特別研究員

【お問い合わせ先】

岡澤 均(オカザワ ヒトシ)
 国立大学法人東京医科歯科大学 難治疾患研究所 神経病理学分野
  〒113-0033 東京都文京区湯島1-5-45
  TEL:03-5803-5847 FAX:03-5803-584
  E-mail:

白木澤 佳子(シロキザワ ヨシコ)
 独立行政法人科学技術振興機構 戦略的創造事業本部 研究推進部 研究第二課
  〒332-0012 埼玉県川口市本町4-1-8
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