○テレンセファリンはシナプス結合を柔軟に保つために必須な分子であることを発見
○テレンセファリンがなくなると安定な"かたい"スパイン構造となり、増加させると運動性に富む"やわらかい"樹状突起フィロポディア構造ができる
○脳の発達障害、記憶障害の治療法の開発など医学的応用につながることへ期待
記憶、学習など脳の高次機能を発揮する過程において、神経細胞同士が結合している部位であるシナプスの形態が、柔軟に変化することが知られています。しかしながらその分子メカニズムについては不明でした。研究チームは、ほ乳類の高次脳機能をつかさどる「終脳」と呼ばれる脳領域に特異的に発現するタンパク質「テレンセファリン」に注目し、研究を行いました。その結果、発達期の脳の神経細胞に多く存在し、運動性に富み、新しいシナプスの形成に重要な役割を果たす樹状突起フィロポディア※2に、テレンセファリンが豊富に含まれていることがわかりました。さらに、神経細胞にテレンセファリンを過剰発現させると、樹状突起フィロポディアの数が劇的に増加しました。逆にテレンセファリン欠損マウスでは、神経回路が環境によって大きく変化する発達期において、すでに安定なシナプス構造であるスパイン※3がたくさんできあがっていました。これらの知見は、テレンセファリンが、樹状突起フィロポディアの形成・維持を促進し、神経回路をやわらかく保ち、情報の入力に伴うシナプスのつなぎ替えを容易にしていることを示唆しています。
今回、神経回路結合をやわらかく保つ分子メカニズムの一端を明らかにし、脳の発達や記憶、学習過程の解明に向けた新たな道筋を得たことにより、今後、脳の発達障害、記憶障害の治療法など、さまざまな医学的応用につながると期待されます。
本研究成果は、米国の科学雑誌『Journal of Neuroscience』(2月8日付オンライン)に掲載されます。
1.背 景
私たちの脳は、構造的かつ機能的に"やわらか"なコンピューターです。さまざまな外界からの情報入力によって、迅速にその神経回路を変化させることができます。そのメカニズムとしては、神経活動によるシナプス形態の変化が報告されています。また、シナプスの長期的な形態変化が、学習や記憶の基盤となることが提唱されています。
神経細胞は、軸索と樹状突起という形態及び機能の異なる2種類の神経突起を有し、おもに軸索がシナプス前部の構造を、樹状突起がシナプス後部の構造を形成しています。樹状突起表面にはさらに細かな2種類の突起構造があり、それらは樹状突起フィロポディア及びスパインと呼ばれています。樹状突起フィロポディアは、脳の神経回路形成初期に多く見られる構造で、バラの棘のように細長く、運動性に富み、他の神経細胞の軸索と未熟なシナプス結合を作ります。樹状突起フィロポディアはその後、スパインといわれるキノコ型の形態へと成熟します。スパインは樹状突起フィロポディアに比べて運動性が低く、軸索と安定なシナプス結合を形成します(図1)。
近年の研究より、神経活動によって新しい樹状突起フィロポディアが形成されることや、スパインの数や大きさが変化することがわかってきました。また、スパインへの成熟や安定化を促進する数多くの分子群の存在が報告されています。しかしながら、スパインの前駆構造である樹状突起フィロポディアの形成や維持に関するメカニズムについてはほとんど分かっていませんでした。
一方、神経細胞は、その形質膜表面に細胞間の認識や接着をつかさどる細胞認識・接着分子群を発現しており、これら分子群が神経突起の伸長やシナプス形成・維持に重要な役割を果たすことが分かっています。研究チームでは、細胞認識・接着分子の1つであるテレンセファリンに注目し、神経回路形成における役割について研究を行ってきました(図2)。テレンセファリンは、嗅覚神経系における研究から東京大学大学院医学研究科の森憲作教授らによって1987年に発見され、1994年に吉原チームリーダーらによって構造決定されたタンパク質であり、終脳(telencephalon:テレンセファロン)と呼ばれる脳領域の神経細胞のみに特異的に発現するというユニークな特徴を有しています。終脳は、大脳皮質、海馬、扁桃体などを含み、学習及び記憶、認知、情動、意志決定といった脳の高次機能を担う領域であり、高等動物になるほど脳全体の中での終脳の占める割合が大きいことが知られています。
今回、研究チームは、シナプスの形成過程におけるテレンセファリンの機能について着目し、解析を行いました。
2.研究手法と成果



また、成体のテレンセファリン遺伝子欠損マウスの神経細胞では、正常マウスのスパインよりも大きなスパインが多数観察されました(図6)。この結果は、テレンセファリンが欠損すると、より安定な"かたい"シナプスが多くなってしまうことを意味しており、成体脳においてもテレンセファリンが脳にやわらかさを与えるという重要な役割を果たしていることを示唆しています。
これまで細胞認識・接着分子群として、カドヘリンやEph/エフリン等がスパインの成熟及び安定化を引き起こすことが報告されています。しかしながらテレンセファリンは、これらとは逆の方向に働く、すなわち未熟な運動性の高いシナプス結合を維持する新規の細胞認識・接着分子であることが分かりました。私たちはこのような双方向のシナプス形態調節メカニズムがうまくバランスをとることにより、発達期および学習、記憶、情動といった高次脳機能における神経回路再編成が調節されていると考えています(図7)。
3.今後の期待
樹状突起フィロポディアは、その運動性の高さから、新しいシナプスの形成や既存のシナプスのつなぎかえといった神経細胞間の柔軟な相互作用を担う構造とされています。今回の研究成果は、テレンセファリンが神経回路形成期や成体において、シナプス結合のやわらかさを保つという重要な役割を果たすことを明らかにしたものです。
これらの成果は、臨界期における入力情報依存的神経回路編成メカニズム、さらには成体期における記憶、学習過程の神経可塑性メカニズムを理解するための大きな手がかりとなると考えられます。また、テレンセファリンは、アルツハイマー病をはじめとするさまざまな脳疾患において、その発現の異常が報告されています。
今回、得られた新たな知見により、脳の発達障害や脳疾患の発症メカニズムの解明および治療法の開発に貢献することが期待されます。
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