筋収縮を調節する分子メカニズムの一端を解明
2.研究手法 ― 長い年月が必要であった理由
 私たちがこの研究を開始したのは1990年(当時、前田雄一郎はドイツの欧州分子生物学研究所で自らが主宰していた研究室で前田佳代とこの研究を開始しました)でしたので、成功するまでに13年の年月が経過しています。この研究課題は重要ですので、当初は世界中の多くの研究者がこの課題を手がけました。しかし困難であることが判ると次々と去っていき最後には私たちのみが残りました。何が困難であったのか、それをどう克服したのか、という点を中心に以下に研究手法の概要を説明します。
 現代の生物学では、生体のメカニズムを理解するためには、そのメカニズムの中心を担うタンパク質分子(複合体)の詳細な立体構造(分子を構成する原子の座標)を解明する必要があります。タンパク質分子(複合体)の詳細な立体構造を解明するにはX線結晶構造解析という方法による以外にありません。この手法の鍵は、解析に使えるような良質の結晶を得ることにあります。よい結晶を得られないと立体構造を知ることができません。私たちが成功した原因は次のようにまとめることができます。
第一、遺伝子工学の方法を駆使したこと
 よい結晶を得るにはまず均一なタンパク質試料を大量に得ることが必要です。トロポニンはニワトリなど動物の筋肉から大量に抽出できますが、こうして調製した試料には複数のアイソフォーム※1が含まれ不均一なため結晶を作りません。それで動物のトロポニン遺伝子を大腸菌に大量発現させる方法(遺伝子工学の方法)を採用し均一な試料を得ました。当初はトロポニンの遺伝子も判っていなかったのでこれらを得る作業から始めました。トロポニンの遺伝子として、ウサギ骨格筋、ニワトリ骨格筋およびヒト心筋の3種類を用意しました。それぞれに3つのポリペプチド鎖がありますので、3×3で合計9個のタンパク質の発現系を作りました。どの生物種のトロポニンから良質の結晶が得られるかについては、実際に結晶を作ってみないと判断がつきません。実際、よい結晶を得られたのはヒト心筋由来トロポニンだけでした。3つのポリペプチド鎖を大腸菌内で独立に産生させ、これをそれぞれ単離・精製した後に試験管内で3つを合わせ複合体を形成させ結晶を調製しました。
第二、多くの組み合わせをしらべ尽くしたこと
 均一の試料を得ても丸のままのトロポニン分子ではよい結晶を生じませんでした。トロポニンの場合、トロポミオシンと結合するための「のりしろ」を持っており、「のりしろ」同士が結合して沈殿物を形成し、結晶を形成しないのです。このような場合、タンパク質分子の機能が損なわれないのであれば、あらかじめ「のりしろ」を切除したタンパク質試料を用います。私たちもこの方法を採用しました。実際には、プロテアーゼによる限定分解法※2を用いて、切除してもよい「のりしろ」を明らかにし、機能部分を同定しました。ポリペプチド鎖それぞれについて機能部分の範囲にはある程度の幅がありました。各ポリペプチド鎖について複数の機能部分断片をそれぞれ大腸菌に作らせ、これを3生物種のトロポニンについて繰り返し、それぞれ結晶化条件を探すという気の遠くなるような膨大な作業をやり遂げました。この結果、ヒト心筋由来トロポニンの機能部分を含む2つの「中核部分」Tn46kとTn52kから良質の結晶を得ることができました。
第三、大型放射光施設SPring-8を利用したこと
 本研究では大型放射光施設SPring-8の理研構造生物学ビームラインを用いて、多波長異常分散法※3で立体構造を決定しました。その結果、最終的に2.6※4(Tn46k)および3.3Å(Tn52k)分解能のX線回折強度データ※5を得て、全体の構造を決定することができました。本研究に使用した結晶は2種類とも不安定であったため、SPring-8の高輝度X線を使用して短時間で精度の高い測定を実行できたことは決定的に重要でした。

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This page updated on July 3, 2003

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