取材レポート

米国の研究公正の現状と"ARC of Integrity" ~ゾイ・ハマット氏講演会報告レポート~

 2017年11月21日、キャンパスイノベーションセンター東京にて、研究公正の推進に関する講演会が開催されました。主催は一般財団法人公正研究推進協会(APRIN)で、米国研究公正局元教育部門長のゾイ・ハマット(Zoë Hammatt, JD, MPhil)氏が「Engaging Researchers in the ARC of Research Integrity (研究者を研究公正のARCに引き込むこと)」と題して講演を行いました。講師は、研究公正担当者*や指導者などの責任ある立場の人々向けに、米国の研究公正の現状を紹介し、なすべきことを語りました。

ARC of Integrity
Zoë Hammatt講師のスライドより

研究公正のビジョン: ARC of Integrity

 講演の冒頭で、講師は自らの研究公正のビジョンをまとめたARCという言葉を紹介しました(上図参照)。

  • ・管理者(Administrators): 責任ある管理者は、適切な措置を講じ、全員に気を配る
  • ・研究者(Researchers): 責任ある研究者は、ロールモデルとなり、ルールに従って行動する
  • ・コミュニティ(Community): コミュニティは、公正と探求心を重視する文化をはぐくむことに、思いやりをもって寄与する

 講師は、現在米国では政府による研究予算削減のため、過度の成果主義やポスト争奪戦が激しくなり、特に不安定な立場にいる若手研究者には強いプレッシャーがかかりやすい環境になっていると述べました。その中で若手を指導する研究室主宰者等が権威主義的にふるまえば、研究室等のコミュニティ(C)における組織文化はネガティブになり、プレッシャーによるストレスがさらに増して、疑わしい研究行為や研究不正行為が発生しやすい土壌になることを指摘しました。
 このような研究環境で、大学や研究機関の研究公正担当者等の管理者(A)および研究室主宰者や指導者等の研究者(R)は、何を念頭に置いて公正な研究コミュニティを作っていくべきか、講師は以下の内容を説明しました。
*米国の大学・研究機関では、それぞれ研究公正室を設置し、そこに研究公正担当者を置いて研究公正業務に当たらせているところが多い。

US_FFP
 Zoë Hammatt講師のスライドより

米国における研究不正の定義と認定

 米国法における研究不正の定義は、右図の通り捏造、改ざん、盗用です。そして研究不正は、通常の研究行為からの逸脱があり、その逸脱行為が意図的に行われることであり、それらが証拠で示されることで認定されます。
行為が意図的に行われたことについては、「intentionally (意図的に), knowingly(故意に), or recklessly(無謀に)」のいずれかが認められることが必要とされます**。
 この中でrecklesslyは行為者が明確に研究不正を行うことを意図していないため、intentionallyやknowinglyと比べると認定が難しい要素です。実際の研究不正事案では、recklesslyが見いだされたとしても、それは指導者が適切に監督せず、助成金を得たいなどを理由に学生の研究不正行為を看過したことが原因の可能性があると考えられるケースもあるそうです。今のところ、その研究室等における研究環境や組織文化の実態をきちんと把握できないと、この判定は困難であると、講師は語りました。
 また「証拠」について、研究公正担当者は、研究不正の調査において事案に関する資料や記録を取りまとめますが、こうして収集された資料や記録が重要な証拠になり、有罪/無実どちらにしても真実を示すことができると述べました。
 しかし、各機関の研究公正担当者の収集・管理する資料や記録の書類は膨大な量であり、ときには十分に整理できていないこともあります。そのため、それらの中から証拠を発見・特定し、あるいはその保全状況を確認するのに難航することもあるのだそうです。このような困難があったとしても、関係する多くの資料や記録を取りまとめ、証拠として提示することが非常に重要なのだと講師は指摘しました。

**「The misconduct be committed intentionally, knowingly, or recklessly;」
(出典: 「Federal Research Misconduct Policy」, もしくは 「Requirements for making a finding of research misconduct」 42 CFR 93.104
 尚、「オネストエラー(誠実に行った上での間違い)」は認定から除外されるということも意味する。

研究不正事案の取扱いでは他部署との連携が不可欠

 また、講師は、各大学・研究機関のポリシーで扱われる不正には、先に述べた米国法で定義された研究不正(ねつ造、改ざん、盗用)よりも幅広く、個人情報保護、利益相反、経理不正なども含まれていることを解説しました。これは各大学・研究機関で行われている研究の領域により、関連する法律が様々であるためで、その数だけ多様なポリシーが存在しています。
 従って、各研究不正事案が扱われる場合も、研究公正とは別の多くの法律が関わり、それに関係する他の部署も関わることを意味します。また、研究不正事案を検討する組織を作る際には、常設委員のみならず、個別案件に即した専門家の助力を得ることになります。例えば、ヒトを対象とした臨床研究に関する指針、ITや法医学、あるいは各事案に関する研究分野など、それぞれの専門家にも専門委員として協力してもらう必要があります。
 そして、各委員および担当部署と調整し、互いに理解し連携することが、研究公正担当者の重要な仕事のひとつになります。例えば、研究公正担当者は、多忙なところをボランティアで協力してもらう専門委員本人には感謝を伝え、彼らの貢献をその上司に伝えるなどして、良好な意識と協力体制を作っていくことが大切です。
 一方で、専門委員は、研究不正対応については素人であるため、時に不適切な行動をすることもあります。例えば、被告発者に対してTVショーのような尋問を行う、あるいは適切な手続きや公正な手順を尊重しない、などのケースがあります。このような中で研究公正担当者のなすべきことは、公平なプロセスを管理することです。不正の認定は、たとえ不正行為を行った人に対してであっても、尊厳をもって扱われる公正なプロセスであるべきなのです。
 研究不正事案の取扱いにあたって、研究公正担当者はARC of IntegrityのA(管理者)として、責任をもって全員に気を配り、必要な措置を進めるべきだといえるでしょう。

RCR教育を担当する者の気配り

 研究不正の調査に続いて、講師は研究不正の防止や教育についても述べました。
 講師は、自らが大学の研究公正責任者であったときの経験を踏まえて、RCR教育にあたっては、RCRに関する知識だけでなく学生に研究公正に関する問題を誰に質問・相談すればよいかを、理解してもらうことが重要だと述べました。実際にRCR教育の講義を行った後に、学生に研究不正事例についてのディスカッションやロールプレイなどのセッションを行ったところ、「研究公正責任者は質問ができる相手だ」と認識され、学生が質問や相談に訪れるようになり、研究室で抱えている研究環境などの問題を語ってくれるようになった、という効果について紹介しました。
 さらに講師は、来訪した学生がリラックスして話せるよう自らのオフィス室の環境を整えることで、研究室の実情を聞き出して問題の発見に繋げた、あるいは相談の内容に応じて関係部署へ紹介したなど、学生との信頼関係作りのための工夫も行っていたそうです。
 RCR教育は始まったばかりであるため、効果の長期的な測定結果はまだ出ていないそうですが、このように管理者の気配りによって、思いやりのある公正な組織文化が作られるようにすることも肝心なことです。

指導者のなすべきこととデータ管理

5 WAYS SUPERVISORS CAN PROMOTE RESEARCH INTEGRITY
米国研究公正局のインフォグラフィックより

 講師は、研究室の指導者のあるべきふるまいについても解説しました。指導する若手には具体的にかみ砕いて教えるべきことや、生データは責任をもって確認することなど、米国研究公正局が作成したインフォグラフィック(右図参照)「5 ways supervisors can promote Research Integrity (研究公正推進のために指導者が出来る5つのこと)」 をもとに、時に実例を示しながら解説しました。

 そして、指導者が考慮しておくべきポイントについても三つ強調しました。
一つ目は、データの管理について研究室内で話し合っておくことです。そのためにNIHガイダンスFAIR Data Principles等の原則も確認します。
 二つ目は、研究室やプロジェクトにおけるデータ管理方法の基準を定め、研究室メンバー各自の役割と責任を明確にすることです(William K. Michenerの「10シンプルルール」参照)。講師はまた、データのライフサイクル上の最大のリスクは、研究室内での一人作業だったという調査結果を紹介し、指導者の役割と責任の一例として、そのようなリスクを避けることについても言及しました。
三つ目は、行き違いが起きた時の調整方法やオーサーシップについて、事前に取り決めておくことの必要性について述べました。

ARC of Integrityの実現に向けて

 講演内容は、主に研究公正の先進国である米国の状況を述べたものでした。その米国でも研究公正をとりまく状況は複雑で、困難な点が数多くあり、それらを解決するための特効薬や画期的な方法があってそれに頼ればよいという訳でもありません。それでも、上に立つ管理者(A)や研究者(R)が、各自の立場で地道に適切なコミュニケーションを取り、必要な専門家の協力を得ながら、相互に理解し、コミュニティー(C)における組織文化をより良いものとして作り続けて行くことが、研究公正を実現する道だと説きました。
 講師は講演の締めくくりに、責任ある立場の人々は常に、コミュニティとともに働き、次の世代に良い文化を手渡す必要があるのだと語りました。
 講演後、講師と参加者らによるクローズドで自由闊達な意見交換が行われ、講演会は盛会のうちに終了しました。