取材レポート

東京大学研究倫理セミナー「研究の作法とグレーゾーンを考える」レポート

 2017年9月7日、東京大学にて研究倫理セミナー「研究の作法とグレーゾーンを考える」が開催されました。
昨今の研究不正事案の発生に対して「自分たちとは無縁の一部研究者の行為であり、厳罰化すればよい」という考えを持つ研究者は、世の中に少なくありません。講師らはそのような考えに警鐘を鳴らし、日頃の研究活動や研究データ管理そのものの質の向上を唱えました。質疑応答では、教員・職員・学生等の参加者も、研究倫理を担う当事者として、問題点や解決策について充実した議論を交わしました。

意図しない不正を防ぐために、国際誌の投稿ルールの国内周知を

 はじめに信州大学医学部の特任教授であり一般財団法人公正研究推進協会(APRIN)の専務理事でもある市川家國氏より、「撤回論文を生まない・生ませない研究者の作法について」と題して講演がありました。
 冒頭、講師は米国NIHの研究不正のリポートを紹介し、日本人の名前が多くあがっているが、この中には知らずに不正を行ってしまったと思われるケースが含まれることと、その理由として近年の国際誌が求める規範の急速な刷新に、国内の認識が追いついていないことをあげました。そして、本講演にて国際誌が最近問題視している点について情報提供を行いました。
 講師によると、最近の国際誌では特に、再現性がない実験が多いことが問題となっているとのことです。また、再現性を妨げる原因の一つとして、不適切な統計解析があることを紹介し、代表的な傾向について、複数の実例をあげて説明しました。 他にも、ライバルに追い抜かれたくないため実験の方法を十分に記載していない、ネガティブデータを記載しない、なども再現性を妨げる原因と認識されているとのことです。

 また講師は、他に国際的な規範と比べて日本が遅れているところとして、研究倫理教育の対象者が専任研究者を中心とされており、大学院生や学部生など若手対象の対策が比較的薄いことも指摘しました。

 講師は、研究者の責務には自分自身(セルフ)の研究の質を高める (=不正を生まない)とともに、査読や研究不正の審査などで研究者としての社会的責任(ピア)を果たす(=不正を生ませない)という両面があるのだと述べました。そして自身はこれからの活動として、論文撤回に繋がる不正を生ませないために、国際誌のルールに関する教材の配信など、研究機関に最新情報を届けたいと抱負を語りました。

「特定不正行為」さえしなければ良い? 目指すのは「責任ある研究活動」

 第二の講演は、近畿大学医学部臨床研究センターの医師である榎木英介氏より、「有害な研究行為とは何か? 研究不正より害を与える」と題して行われました。榎木講師は、特定不正行為(FFP)さえしなければよいという研究倫理の捉え方に警鐘を鳴らし、責任ある研究活動を目指そうと語りました。

FFP-QRP-RCR
出典:榎木講師のスライド(近畿大学医学部 研究倫理セミナー1)より
 捏造・改ざん・盗用に代表される特定不正行為の対極にあるのが責任ある研究活動(RCR: Responsible Conduct Research)ですが、この両者の間にはグレーの領域があり、「疑わしい研究行為」(QRP: Questionable Research Practice)と呼ばれています。明らかな研究不正ではないものの、問題ある行為がこれにあたると講師は整理して説明しました。
 疑わしい研究行為の具体的な行動としては、ギフト・ゴーストオーサーシップ、二重出版、サラミ出版、ジャーナル編集者や査読者によるアイデアの盗用、誤った統計分析、先行研究の不十分な調査など多岐に渡ります。

 講師は疑わしい研究行為の問題点としてまず、その割合の多さをあげました。そして「Scientists Behaving Badly」と題されたNatureのコメンタリー*を紹介しました。記事によると、アンケート調査の回答者のうち、特定不正行為経験者の割合は改ざんが0.3%、盗用は1.4%でしたが、疑わしい研究行為経験者の割合は、

  • ・先行研究と矛盾するデータを意図的に公表しなかった 4%
  • ・論文著者を不適切な形で表示した 10%
  • ・研究プロジェクトにかかわる記録を適正に保管しなかった 27%

など特定不正行為よりも大きな割合を占めしているとし、疑わしい研究活動による時間、労力および経済的な損失は、特定不正行為などの研究不正に匹敵する悪影響があると述べました。
 また講師は、米国科学・工学・医学アカデミーが研究不正防止のための提言をまとめた「Fostering Integrity in Research」(2017年4月改定)を紹介しました。同アカデミーはこの提言にて、今まで疑わしい研究行為と言われていた行動(例えば、改ざんには至らないような統計のミスリードやデータの不十分さ)について、今日では社会に害をなす「有害な研究行為」(DRP: detrimental research practices)と考えており、その経済的損失が280億ドルにのぼるとの試算を示しました。

 講師は医師としての経験をもとに、人の命を預かる医療現場では一件の事故の背後に多数のヒヤリハットがあると考えて対策をとっていることを紹介しました。そして、同様に研究不正でも、一件の特定不正行為の背後にはそこに至らない相当な数の「疑わしい研究行為」があり、さらにその背後には過度に競争的でプレッシャーの高い研究環境があるという構造を指摘しました。
 そして、研究倫理は「ルールを守って研究不正をしなければよい」と考えるだけではなく、責任ある研究活動を行うことを、参加者らに呼びかけました。

*Brian C. Martinson, Melissa S. Anderson and Raymond de. Vries,
Scientists Behaving Badly, Nature 737-738 (2005); doi:10.1038/435737a


データ保存の意義と課題をめぐりパネルディスカッション

 後半は、講師の市川氏、榎木氏に加えて、主催者である東京大学から医科学研究所の武藤香織教授、工学系研究科の鄭雄一教授、および教育学研究科の小方直幸教授の3名の方々が参加してパネルディスカッションが行われました。 まず武藤氏がテーマの背景と趣旨を説明し、鄭氏が学生に教えているデータ管理指導内容を具体的に紹介し、小方氏が文系領域におけるデータ管理について語りました。

 ディスカッションではデータの帰属について話題となりました。研究データは原則として所属機関に帰属しますが、日本ではなかなか研究者にその意識が浸透してこなかったことがパネリストから指摘されました。これに対し、従来日本では実験ノートは研究者自身が用意するのが慣習でしたが、米国にならい研究機関側で配布することで回収しやすくなったことが紹介されました。そして、データを研究室で共有し皆で確認できるようになれば不正が減るだろうとの指摘がなされました。

 会場から、全てのデータを保管対象とすると物理的に実現が難しいため、各研究室において論文発表したデータだけは10年間保存することにしているという、苦心している現状の報告もありました。そして、データ保存の体制・設備に関する有効事例の紹介を求める声があがりました。パネリストからは、学部を超えて連携することで全体のデータ保存のためのリソースを拡大・効率化している米国の例が紹介されました。

 関連して、講演でも話題となった「先行研究や自らの仮説と矛盾するデータを意図的に公表しない」行為を防ぐために、公表されないデータの保存の必要性について議論されました。特定不正行為や疑わしい研究行為防止の観点からは全てのデータを保存することは理想ではあるものの、実験手法等が適切でなかったために失敗したデータは膨大にあり、公表された成功データと比較して、科学的価値の観点からデータ保存の優先度は低いとする意見が複数ありました。一方で、仮説等に矛盾するデータであっても、それによって仮説自体が棄却される場合には、科学的にも価値が生じるという見方も示されました。

 さらに、データ保存の意義が再確認されました。あるパネリストからは、保存されたデータをデータベース等に提供・公開し、他の研究者にも利用してもらうことにより、重複したリサーチをしなくてすむようになるという意義が語られました。 また別のパネリストからは、これまでは「限られた事象の中から名人芸的に仮説を見つけて証明する」手法のみの時代でしたが、「ビッグデータ自体の分析により仮説が生まれる」手法も発達してきたため、今後ますます質の高いデータを保存・提供・公開することの価値が高まるであろうと言及されました。
 しかし現状では、多くの提供されたデータを含むデータベースを利用して、他の研究グループで研究成果があがった場合でも、データ提供者の業績につながるとは限りません。提供されたデータを利用して論文発表した研究者だけで無く、その成果の基盤となるデータを保存・提供・公開した研究者も評価される仕組みが必要となるという考えが示されました。
 データを保存・提供・公開することの意義が広く再認識され、データ提供者の貢献が適切に評価されるようになれば、良質なデータの保存・提供・公開が増大し、適切な研究とそのデータの管理へと繋がるでしょう。これはデータの利活用による科学の発展をもたらすと同時に、研究不正抑止にも役立つものです。

 ディスカッションは、第一線の研究者がデータ保存の意義と課題を再確認すると共に、新しい時代のより良い研究のあり方についての問題意識を議論した意義深いものとなりました。会場各所からも様々な意見が寄せられ、活発なセミナーとなりました。

会場写真

参考:
「東大features」(東京大学 学内広報)no.1501より http://www.u-tokyo.ac.jp/content/400071410.pdf
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