取材レポート

「第3回科学者の不正行動に関する研究会」イベントレポート ~研究不正問題の本質を教育で伝えることの難しさ~

 平成29年7月7日(金)、田町のキャンパス・イノベーション・センターにて「第三回科学者の不正行動に関する研究会」が開催されました。同研究会は、大学・研究機関を横断した若手研究者(研究支援職含)の自主的な研究・情報交換の組織です。毎年全国から集まって研究会を開催し、研究倫理が実際に研究現場で実践される際に明らかになった課題や最新情報を話し合っています。
 本レポートでは当日のプログラムの中から、三番目の発表「"研究不正"教育という難問-研究不正問題の本質をどう伝えるか-」について紹介いたします。 講師の岡林浩嗣氏は、現在は筑波大学 生命領域学際研究センターに勤務されており、近年、複数の国立大学で研究倫理教育を担当してきました。その経験から、この講演では研究倫理教育の現状について紹介、問題点を整理し、実践的な解決案を提案しました。以下、岡林講師の講演を要約いたします。

 日本では平成17年、18年の不正事件を受け、文部科学省が平成18年に最初のガイドライン(「研究活動の不正行為への対応のガイドラインについて -研究活動の不正行為に関する特別委員会報告書-」)を制定しています。これを受けて筑波大学では平成19年から、学生指導の一環として大学院生向けに研究倫理教育が行われてきました。これは、「研究不正を起こさない人材を作る」という観点に基づく大学院教育として、元々筑波大学の小林信一元教授が立ち上げた共通科目であり、これまでに10年にわたり実施されてきました。
 平成26年に文部科学省による「研究活動における不正行為への対応等に関するガイドライン」改訂があり、大学の組織としての管理責任が問われるようになりました。学生のみならず教員・研究者への組織的な研究倫理教育の取り組みも必須となったため、筑波大学では新しい研究倫理教育の制度を設計することになりました。

新しい研究倫理教育体制の確立に向けて考えるべきこと

 現在筑波大学では、主に教員と大学院生を中心として全学で研究倫理教育が行われています。大学院生に対しては、入学時に必ずガイダンスとして研究倫理のセミナーを実施します。全教員対象の研究倫理教育も年に一度実施し、さらに部局単位で研究倫理教育・FD(Faculty Development)を行い、分野毎の特性に対応して効果的に研究倫理の履修を行うことになっています。
 部局単位の履修は、大学の研究の独立性を確保するための工夫です。組織防衛の観点のみを強調しないよう、各学科の教員が自主的に考えることを大切にしているのです。しかし研究倫理も含めた様々な法令遵守の対応は必須とはいえ、教員の負担増に繋がっており、これは研究マネジメント上の課題でもあります。

 現在進めている新しいシステムは、学部から大学院、教員に至るまでの研究倫理教育カリキュラムを階層的に組み、ガイダンス、講習、研修と方法を少しずつ変えながら、類似したテーマを立場に応じた形で教えるしくみになっています。今後の問題として、以下の4つが見えてきました。

  1. ① 「カリキュラム設計の問題」:教員の負担増をどう抑制するか。「研究活動の品質保証」(データ管理上必須の手続き)と「心がけ」の区別など
  2. ② 「形骸化の問題」:学生の中には回答を暗記してしまい、授業が形骸化する、研究活動へのモチベーションをそぐといった事態も発生し得る
  3. ③ 「教育制度としての質の維持」:学部から教員までの各階層で「何を」「どこまで」「どのように」教えるべきか
  4. ④ 「効果とコストのバランス」


何をどの段階で教えるか

 研究倫理教育の扱う範囲は多岐に渡ります。これは、〔研究公正(Research Integrity)---研究倫理(Research Ethics)---法令遵守(Research Compliance)〕等の内容的な範囲もあれば、〔責任ある研究活動(RCR)--好ましくない研究行為(QRP)--研究不正行為(FFP)〕等のレベル的な範囲もあります。
 学部から教員に至るまでのどの段階で、どこまでの範囲を扱うか、何を教えるかが重要になります。
 この基準を確立する為、「事例の収集と機関を跨いだ教育・FD(Faculty Development)コンテンツの共有化」を提案します。機関横断的に研究倫理教育のグッドプラクティスの例を集めて、「このレベルでは大体このように教えたら良い」という内容を定式化していくと、どの大学も効率化・コスト削減が実現できるというものです。
 また、明文規定の理解を促すといった教育も必要となり、これは不正から自分の身を守ることに繋がります。一方で、この場合「書いてあることだけ守る」という形に陥らないよう気をつける必要があります。

特定不正行為と研究倫理 研究倫理ではどこまでを扱うべきか

教員向け研究倫理教育について

 分野毎のデータの扱いの違い(データや試料保存期間等を一律に定義できない)があり、分野共通の基準が明示できない問題や、まだ答の無い課題も数多くあります。
 現在のところ、教員向けの研究倫理教育については、最低限の部分はある程度完成に近づきつつあると考えています。研究倫理の講習会は、既存の生命倫理、技術倫理などの講習会と連携させて行うことにより、「プロフェッショナルとして本来守るべきルールの体系」として相互の関連が分かりやすいように組み直して運用することも検討すべきです。
 「不正に繋がるケースを最小化するための施策」の検討にあたっては、教員に「上からの強制」ではなく「自分が考えるべきこと」として理解していただくことで、ボトムアップの議論を施策に反映できる体制を作ります。研究分野毎の特性に合わせた丁寧な議論を根気よく続けることで、施策の有効性向上に繋がります。
 他にも、一般的に研究不正問題の背景には、学生の指導に関するコミュニケーション不全に起因する研究管理上の問題が内在していると考えられることから、指導や研究室運営のあり方への注意喚起なども注力すべき点です。

 これらの考えに基づき、例えば筑波大学の生命領域学際研究センターでは教員向けの研究倫理教育の機会を定例化しつつあります。
 4月に新人教員向け講習を一度行い、さらに7(〜9)月頃の科研費申請前の時期をねらい、科研費説明会と一体化してセミナーを開催します。4年に一度のペースでeラーニング教材による研修を行い、その他に、必要に応じて随時、学生向けの授業と一体化した形で研究倫理関連のセミナーを実施します。回数を限定して教員の負担を減らす一方で、年一度の7月のセミナーの際には、例えば最近国内外で処分対象となった具体的な不正事例を紹介して具体的な説明を行うなど、教員が継続的に興味を持って取り組めるよう、工夫を試みているそうです。
 目下の問題はコンテンツのアップデートや品質向上であり、米国ORIのように研究公正に関して一定の品質を保った情報を広く提供する公的なしくみが望まれます。

学生向け研究倫理教育について

 学生向けの研究倫理教育は、現状では講義の有効性を高めるべく、教え方に関して様々な試みを行っている一方で、困難な点や長期的な視点から考え直すべき部分もあり、例えば以下の傾向があります。
 学生向けの研究倫理教育は「研究不正教育」になってしまう、即ち「これは駄目」「あれも駄目」という授業になってしまい、どんなに丁寧に説明したとしても、単純に「これさえ避ければ、後は何をしてもよい」と捉えてしまう学生が出かねない、という懸念があるようです。また、指導教員に対する不満などが誘発されることで、本来の目的である自省になかなか繋がらない可能性もあります。他にも、不正と誤解されることを恐れて萎縮してしまうなど、研究職の進路を躊躇するような感想を述べる学生もいます。

 このような逆効果に陥らないために、研究倫理教育はどのように進めればよいでしょうか?
 解決策として、研究倫理教育を「倫理面」と「マネジメント面」に整理し、それぞれ「理想的目標」と 「リスク管理」(と必要な振る舞い)について、学部生/院生/教員といった段階に即して教えることが重要になります。
 そして、学生に最も教えるべきポイントは、「自己管理し、グループの一員としてやっていく能力」の意識付けになると思われます。他人と関わる際に、誰かに丸投げしない態度。つまり、先生方や学生同士のコミュニケーションについて、教えるべきなのです。
 本来注力すべき教育内容に集中するために、標準化・システム化できる手順やルールについては大学間連携を進めて整理をし、最低限守るべきルールとして確立したいと思っています。

「研究倫理教育を解消」して解決する? ―思い切った提案と将来の見通し―

 さらに、これは試案ですが、「研究不正教育」から脱却するために「学生向け研究倫理教育を発展的に解消する」という考えも有効かもしれません。
 研究倫理教育の内容は、突き詰めると以下の4つに分離できます。

  1. ①「データの信頼性 (実験等によるデータの取り方、適切な管理方法、統計の知識)」
  2. ②「コンプライアンス (法令順守)」
  3. ③「サイエンスコミュニケーション (論文発表、一般人への説明など)」
  4. ④「タイムマネジメント、周囲とのコミュニケーション(組織の中での振る舞い)」

 このうち①「データの信頼性」については、部分的には、学生実習などに組み込んで実地で覚えさせることも有効でしょう。。
 また②から④に関しては、実際には実務的な知識やビジネススクールにおける教育に近い内容になると考えられるため、この内容を大学や大学院の共通教育(教養教育)の中に項目立てして、場合によっては既存の講義科目に分散して入れ込むことが出来る可能性もあります。
 一方、上記の実習や教養教育に入りきれないような、不正に繋がる「やってはいけないこと」や不正事例の紹介などは、別途セミナーや研修の形で端的に説明し、議論を通じて理解を深めます。
 以上により、学生の中に早い段階から研究倫理を下支えする物事の考え方や振る舞い方について大まかなコンセンサスができ、その中で研究不正を自律的に避ける姿勢ができてくるのではないか、というものです。

 その他の論点も紹介します。
 今後、論文投稿などの電子システムの更なる発展やAI等の発達により、論文の盗用チェック体制は整っていくと思われます。しかし実験作業についての不正チェックにはまだ十分に有効なシステム等がないため、ねつ造、改ざん等への対応は「実験作業における手順の標準化」の可能性やそれを例えば「学生実験」などの授業でどの程度教える事が可能か、更なる検討が必要と考えられます。
 また、教員業績の評価システムのあり方や、研究倫理担当者による業務対応の結果として、かえって教員の負担が増えてしまう問題など、様々な検討すべき論点もあります。
 なお、筑波大学では「論文受理報告書登録システム」を導入し、論文作成に使った元データ(数値データや写真・グラフ等)や著者分担の情報を大学側が責任を持って保存する事で、研究公正への対応や投稿論文に使用したデータの管理を分かり易く出来る様、新たな教員の支援も試みています。

 以上、岡林講師の講演でした。
 教育現場で研究倫理教育経験を重ねた実践的な視点とそれに基づく提案に、参加者は興味深く聞き入っていました。
 講演後の参加者とのディスカッションプログラムの場では、筑波大学で苦労している点として、外国人へ倫理の細かいニュアンスを伝えるのは難しく、日本語が得意な外国人教員や研究者の協力が必要とされていることの紹介や、研究現場からもそれぞれの学問分野に特徴的な事柄についてのルール(例:データ管理等)に対するニーズがあるが、研究分野毎に事情が異なるため学協会で定めてほしいといった、活気ある議論が繰り広げられました。

講演風景