取材レポート

【イベントレポート】内部告発者が語る韓国「ES細胞ねつ造事件」の経緯とその後

平成29年3月4日(土)、第117回くすり勉強会が、「提報者 韓国 人クローン胚由来ES細胞ねつ造事件をめぐる内部告発者の証言」をテーマに行われました。有名な研究不正事件の内部告発者(韓国語では「提報者」)、本人により語られた事件の概要とその後の経緯から、韓国国内では本事件がまだ収束したとは言えず、今でも後を引いているようです。

ES細胞ねつ造事件とは

 ソウル大学の研究者が、2004年から2005年にかけて発表した、クローン胚由来ES細胞に関する論文は世界的な反響を呼びました。人間の細胞をクローンし、そこからES細胞を作製することに成功したという内容でした。これによって、ES細胞を利用した、新しい治療法の可能性が期待され、事故等で脊椎損傷などの障がいを負った患者の治療が可能になるとメディアで大きく取り上げられました。不正研究者は、オートバイの事故によって車椅子での生活を余儀なくされた韓国の有名なミュージシャンを訪ね、「再び立つことができるようにします」と発言するなど、その研究成果と行動は韓国社会で大きな注目を集め、当時は国民的英雄として称えられました。
 しかし、その後今回の講演を行った告発者による内部告発等をきっかけに、卵子提供に関する倫理手続き等の不正や、論文の写真、DNA指紋など様々なデータのねつ造が指摘され、結局ES細胞自体が存在しなかったことが明らかになりました。
 本講演では、告発者自身が自らの体験に基づき、この研究不正事件の経緯を告発者の視点から語ったものです。以下にその内容の概要を報告します。

告発までの苦悩と告発後の社会からのバッシング

 告発者は、当初は不正研究者の研究室に所属していましたが、毎日実験に励むものの思うような成果は得られず、また治療の可能性に対しても、次第に疑問を感じるようになっていきました。告発者は、研究室にいた時は常に成果を出さなければならないと考え、強いプレッシャーを感じていたそうです。また、不正研究者の婉曲的に圧力をかけてくる手法にも強いストレスを感じていました(学位授与や研究職ポストをちらつかせ、成果をあげるよう迫る等)。やがて告発者は研究所を離れて臨床医となります。
 その後も、ES細胞の研究は韓国社会から高い注目を集め続けました。そして、11個のES細胞が作製されたという発表を知り、告発者は強い疑問を持ちました。ただ、すでに研究室を離れていることもあり、研究不正を確信しつつも行動を起こすことはありませんでした。しかし、そのES細胞を使って治験が始まることを聞き、さらにその治験の対象者2人のうちの1人が、告発者もよく知る当時8歳の脊髄損傷患者の少年だということが分かります。告発者は、研究成果がねつ造であること、また、それによる治療の危険性についても理解していたことから、人命に関わる問題に対して、どう行動するべきか悩み始めました。
 そんなある日、仕事の合間の休憩時間に深夜番組を見ていた時、報道番組のキャスターが「これまで圧力によって、真実を明らかにできなかったことはない」と番組内で発した言葉を聞き、心が動きます。深夜の番組だったため、番組終了後もそのまま眠らず、告発すべきかどうか悩み続け、そして夜明け前についに告発を決断します。その日の午前中に再び気持ちの整理をし、午後にその報道番組のホームページに研究不正について、所属と氏名を明らかにして書き込みました。程なくしてから、番組関係者から連絡があり、初めて会った際、当時の大統領も支援する国民的な英雄を告発することについて、国民的英雄を擁護しようとする世論などの反発を予想しつつ、「真実が優先なのか、それとも国益が優先なのか」と番組に対して覚悟を問いました。番組関係者の「真実こそが国益である」との答えを聞き、告発者はより決意を固くしました。
 しかし、告発当初は物証がありませんでした。そんな中、廃棄される予定だった実験用のES細胞を入手することができたことを契機に番組による取材が始まりました。こうして、2005年11月にテレビで、卵子売買などの倫理問題を指摘する報道番組が放送されました。ノーベル賞を期待されていた研究者の疑惑に対し、当然のことながら大きな反響と番組に対する批判がおき、番組内で放送された告発者のモザイクが外れたり、画面に映り込んだ告発者が使用している手帳などによって、告発者個人が特定されてしまいます。自宅前には多くの報道陣が押し寄せ、テレビ局と告発者に対する韓国社会からの激しいバッシングが始まります。番組はスポンサーの撤退を始め、多くの圧力を受け、ES細胞ねつ造を告発するはずの次回放送も一時延期されてしまいます。告発者は、生まれて間もない子供を実家に預け、ホテルを転々とする生活が続いたそうです。仕事も当然辞めざるを得なくなり、告発者にとって非常に過酷な日々が続くこととなりました。講演では、こうして状況について、誇張した表現もなく、終始淡々と語られました。

過度な成果主義による研究不正

 このように研究不正者を擁護する動きが大勢を占める中、変化が起き始めます。若手研究者のコミュニティサイトに若い研究者達から、画像の改ざんを始め、ねつ造の証拠を示して研究不正を指摘する投稿がされ始めます。やがてアメリカや日本からも研究不正を疑う声が上がり始め、国外からも不正を示す証拠が出始めました。これらを契機として、学会やマスメディアの中にも研究不正を疑う者が増えていきました。一時延期されていた報道番組も再開され、そして、ついにソウル大学が調査委員会を立ち上げ、一部の研究を除き研究不正が認定されました。
 人間の体細胞から作製したES細胞とされていたものは、一人の研究員が病院から持ち出した全く別の幹細胞でした。その研究員は気弱な性格のため、当初は告発者が研究不正者からの指示等を仲介していたそうです。しかし、告発者が研究室を出た後は、研究不正者から直接プレッシャーを受ける立場となりました。講演の中では、その研究員が不正を行ったのは、期待された通りのデータを得ることができず、ストレスに耐えかねたからではないかと説明されました。
 研究不正を認定された後も、一部の熱狂的な支持者は調査結果を受け入れず、研究不正者が検察から起訴されても、しばらく混乱は続きました。事件から10年以上が経過した現在でも、研究不正者を支持する人々が存在し、それら支持者の支援を受けてクローン研究は続けられています。最近では人のクローンの研究を始める等のニュースもあり、韓国国内では終わった事件とは言えず、今でも後を引いているようです。
 なお、現在、告発者は国立大学の教授職に就いており、事件の大きさを考えると極めて希なことだと語りました。

 今回の講演は、内部告発を行うことのリスクの高さ・難しさを改めて考えざるを得ない貴重な機会となりました。また、本事件において研究不正が明らかになる過程で、ネットが大きな役割を果たしたことも注目されます。そして、これまで他の多くの不正事件の場合でも指摘されていた、過度な成果主義が研究不正を招く大きな要因の一つであることを再認識することになりました。
 いかにすれば研究の自由闊達な推進を妨げずに、過度な成果主義を排除できるか、今後の科学コミュニティーにおける活発な議論とその成果に期待します。

参考:
開催案内(『臨床評価』誌ウェブサイト)
講演記録 掲載号「臨床評価」45巻4号(『臨床評価』誌ウェブサイト)