研究代表者 | 茅根 創 | 東京大学大学院 理学系研究科 助教授 |
主たる研究参加者 | 小池 勲夫 | 東京大学海洋研究所 教授 |
宮島 利宏 | 東京大学海洋研究所 助手 | |
山室 真澄 | 産業技術総合研究所 主任研究員 | |
山本 正伸 | 北海道大学大学院地球科学研究科 助教授 | |
野崎 健 | 産業技術総合研究所 主任研究員 |
サンゴ礁はサンゴ体内の共生藻によって、単位面積当りでは海洋で最大、陸上の森林と同等かそれ以上の光合成生産力を持つと云われている。光合成産物はサンゴを経由してサンゴ礁にもたらされ、これによって海洋でもっとも多様な生物が維持されている。同時に、サンゴ礁では石灰化によってサンゴ礁地形が構築され、生物に棲家を提供するとともに、光合成のための受光面積を拡大する。しかしながら、このサンゴ礁は急激な海岸開発と地球環境変動とによって、今世紀中にほとんど破壊される危機にさらされている。海洋環境と地球環境におけるサンゴ礁の機能を評価し、その維持メカニズムに基づいてサンゴ礁の保全・活用・修復を進めることが急務である。
地球規模の炭素循環との関係では、サンゴ礁の高い光合成生産はCO2吸収に働く。しかしながら、従来は、光合成によって生産された有機物の分解と石灰化とがCO2放出であることから、サンゴ礁は一般にはCO2放出の場であると考えが存在した。この考えでは、サンゴの多い健全なサンゴ礁はCO2放出であるが、サンゴ礁が破壊されて大型藻類が卓越すれば石灰化が減少・光合成が増加しCO2吸収になるとされた。この考えによれば、サンゴ礁の保全とCO2固定とは相容れないことになる。 研究代表者らは以前、サンゴ礁で光合成が石灰化を上回りCO2吸収となっている例を示したが、これについては様々な議論が起こっている。しかしながら、サンゴ礁の多様な機能と重要性を認めた上で現在必要な視点は、そもそもサンゴ礁が吸収か放出かを決定することではない。サンゴ礁におけるCO2循環のメカニズムと、それがサンゴ礁生態系と地形の維持にどのように関わっているかを明らかにして、CO2吸収ポテンシャルを評価し、これに基づいてサンゴ礁における大きなCO2フラックスをCO2固定のために活用する方策を提案することが必要である。 本研究では、こうした観点から、サンゴ礁におけるCO2循環メカニズムを解明し、吸収ポテンシャルを評価するとともに、CO2固定を促進する方策を提案し、望ましいサンゴ礁のデザインを提案することを目標とした。 本研究では、従来のサンゴ礁研究の問題点であった測定が少数・短時間という点を解消するため、サンゴ礁に適した測定システムの開発を行なった。次に、開発した測定システムによって、異なる二つの型のサンゴ礁、石垣島の裾礁とパラオ諸島の堡礁とにおいて、サンゴ礁の生物群集代謝とCO2変動との関係を明らかにする研究計画とした。期間中に起こった大規模な白化によって劣化したサンゴ礁では光合成機能が低下し、CO2放出になることを観測している。 最終的には、生産された有機物の分解・保存過程、栄養塩循環、海水流動モデル、地形形成プロセス、サンゴ群集の維持機構に関する成果に基づいて、CO2固定に資するとともにサンゴ礁生態系・地形を維持できるサンゴ礁のデザイン提案を試みた。 本研究の成果を以下に分説する。 |
(1)測定システムの開発 |
サンゴ礁のような沿岸域に適当なCO2測定システムとして、平衡器として従来のシャワー方式でなく気体透過膜を用いた小電力の測定システムを開発した。これを、CO2変化に関わる他の物理量の測定と組み合わせた統合型観測システムとして構成し、石垣島において1年間の連続通年観測に成功した。石垣島観測では、従来型のCO2測定システムを並列し、両者を比較して評価を行なった。評価結果に基づいて、パラオ諸島においては、海底設置型の観測システムを開発して通年観測に成功をおさめた。この結果、海洋におけるCO2循環、大気との交換の実態を把握するためには採水試料をバッチ測定しかできなかったが、海水の炭素系をフローで高精度自動計測が可能となった。本研究で開発したCO2計測システムと連続炭酸系測定システムによって、サンゴ礁におけるCO2と生物群集代謝の通年観測に世界ではじめて成功した。これらCO2と炭酸系計測システムは海洋におけるCO2変動の観測に広く適用可能である。 |
(2)CO2吸収ポテンシャル評価と循環メカニズムの解明 |
上記測定システムによって、石垣島とパラオ諸島のサンゴ礁において、CO2とサンゴ礁群集代謝、物理量の通年観測を行なった。本研究期間中の1998年夏に、エルニーニョによってもたらされた高温水による地球規模のサンゴ礁の白化が起こった。これによって、石垣島では白化によるサンゴ群集の劣化から回復過程の、パラオ諸島では白化後の劣化時のCO2変動と群集代謝を観測することができた。これによって、逆に、健全なサンゴ礁のCO2吸収ポテンシャルを評価することができた。 石垣島、パラオ諸島ともに、サンゴ群集が卓越する状態での礁原の群集純生産は100-130mmolCm-2日-1に低下した。この低下量は石灰化の低下量を上回り、CO2濃度も劣化時には上昇したことが確認された。 サンゴ礁礁原の群集純生産は、基本的には光によって規定されることが示された。炭素系の計測から代謝量を見積もる方法を確立した。また、サンゴ礁のCO2変動は、光合成と呼吸とに規定されて変動し、正味の吸収・放出は群集純生産に対応する。さらに年間のCO2変動は水温に対応し、これに群集代謝が重なってサンゴ礁海水のCO2変動が決定されることが明らかした。 |
(3)CO2固定促進とサンゴ礁のデザイン |
サンゴ群集の劣化による光合成の劣化量は、400-500gCm-2年-1にあたる。本研究で観測した群集純生産量は、礁原生態系のすべての消費を差し引いた値であるから、陸上生態系でいう純生産(Net Primary Production)ではなく、生態系純生産(Net Ecosystem Production)に相当する。生態系純生産は、成長期の森林の最大値である500gCm-2年-1程度(極相林では0)であるから、サンゴ礁はすべての生態系の中で最大規模の光合成速度を持つ。サンゴ礁の劣化による生態系純生産の正味のロスは、0.1GtonC年-1にあたる。劣化によるロスが森林の消失のようにストックのロス(消失時だけのもの)でなく、フラックスのロス(毎年の吸収フラックスロス)であることから、地球規模の炭素循環に与える影響はきわめて大きい。本研究によって、健全なサンゴ礁の維持はCO2吸収にあたることが示された。
森林では、生産量を主に系内に植物体の形で蓄積するが、サンゴ礁では主に溶存有機炭素の形で形外に移行する。生産された有機物は、炭酸塩粒子に効率的に保存することが示された。有機物の分解実験から、溶存有機物には易分解性と難分解性のものがあることがわかった。こうした成果に基づいて、サンゴ礁において生産された有機物を炭酸塩などの微粒子に吸着・沈降させて効率的に深海に隔離する手法を提案した。 群集代謝を規定する要因と栄養塩循環、海水流動モデルに基づいて、光合成によるCO2固定機能を最適化するためのサンゴ礁デザインを提案した。さらに、サンゴ礁地形がサンゴ礁生態系の維持に果たしている役割を評価して、地形形成プロセスに基づいて将来の環境変動(海面上昇、温暖化)に対して、サンゴ礁地形維持のために必要な石灰化量を見積もった。最後に、サンゴ礁の維持機能に関する成果に基づいて、サンゴ礁を作る保全・修復のための基礎的知見を示した。 |
海洋におけるCO2循環、大気との交換の実態を把握するためには、海水の炭酸系(全炭酸、アルカリ度)の計測が必須であるが、従来はこの2つの量は採水試料のバッチ測定しかできなかった。しかし、本研究の前半で行なったこの開発によって、従来はなし得なかったサンゴ礁水域の通年観測を行なうことができた。石垣島における通年観測では、小型観測船上に設置で実現し、パラオ諸島ではさらに発展させて現地で必要とした海底設置型とすることができた。これら計測システムについて、適切な発表が行われた。
これら計測システム手法の確立の結果、世界ではじめて自動、通年観測に成功し、CO2収支などを主体としてサンゴ礁について組織的なデータ、知見を得た。発表論文の中心はCO2収支関連である。 論文発表件数は、公表済み論文(査読付き)15報、印刷中受理論文(査読付き)17報、投稿中論文11報、準備中論文14報となっている。これを国内外に分けると、海外52報、国内5報である。この他に、口頭発表は国内学会60件以上、国際学会30件と活発に行われた。 重要論文を適切に発表されているが、多くの成果についての論文が5年間の研究実施期間後に公表されることなり本評価に必ずしも含まれていないことは残念であった。 |
サンゴ礁に適した測定システムを開発し、1年間の精度高い実測とそれによる定量分析を可能とする連続観測に成功した点は諸外国に比較して高く評価できる。
この結果、サンゴ礁のCO2吸収ポテンシャル評価と循環メカニズムの解明が定量的に確認でき、サンゴ礁をめぐる議論にほぼ決着をつけた点を評価したい。 科学的には高いサンゴ礁の純生産の大きさが確かめられたが、固定した有機物の大部分は、長期間のあいだに外海へ流出しふたたび分解するとも考えられる。これに対して、バイオリアクター提案が本研究の課題であったが、構想具体化が研究期間内においては十分消化できなかったことは残念であった。これらの基本的考察及びバイオリアクターの構想具体化は本研究において残された課題であるといえる。 しかしながら、本研究において、第一に、上記のごとくサンゴ礁をめぐるCO2収支に関して徹底した観測を実施し適切なデータを取得しその結果を世界に発信したこと、第二に、サンゴ礁のCO2吸収の効果を高めるためことを目的とした研究である死滅したサンゴを回復させるための外部からの幼生の供給の研究、CO2固定のための有機物の難分解性化研究などにおいて新しい可能性をみいだした点を大いに評価したい。 |
バイオリアクター構想については具体化が不十分であった。これは、最初の研究計画が十分練られていなかったためで、特に、サブグループ編成が不十分であったと反省せねばならない。
一方、研究の全期間にわたって、研究代表者のリーダーシップが発揮された点は大変良かった。研究推進会議は、計測の開発、石垣島データ採取及びパラオ諸島データ採取を課題として、5年間で合計22回適切に実施された。国際ワークショップ、シンポジウムは、最終年度に各1回実施された(未来CANホールなど)。国内外のサンゴ礁専門家を招聘して行なわれたが、本研究の成果を大いに発信できたとおもわれる。 研究員工藤節子は、14年4月より国立富山工業専門学校物質工学科教授に転進した。 |