”役に立つのか”を
問い続ける
研究者でありたい

第7回 輝く女性研究者賞
科学技術振興機構理事長賞
原 祥子HARA Shoko 東京科学大学 大学院医歯学総合研究科 
脳神経機能外科学分野 
講師(キャリアアップ)、医局長
専門分野: 脳神経外科、神経科学

写真:原 祥子 写真:原 祥子

2025年12月15日掲載
*所属・掲載内容は取材当時のものです

インタビュー写真1 インタビュー写真1

#ResearchMRIで脳の細かな変化を探り
もやもや病の治療へ繋げたい

私は大学病院の脳神経外科で医師として患者さんの診療を行う一方で、大学では講師として学生に授業をし、さらに研究者として脳のMRI(磁気共鳴画像)を使った研究にも取り組んでいます。MRIは体内の水分子の微細な動きを解析することで脳の構造や機能を画像化する技術で、これによって生きたヒトの脳の状態を外から詳しく調べることができます。私は拡散MRIという手法を使い、脳の血管が細くなり血流が悪化することで起こる「もやもや病」の研究を進めています。

もやもや病は脳の血管が細くなって血流が悪くなることで起こる、原因不明の厚生労働省の指定難病です。子どもや30~40代の方がかかりやすい病で、過呼吸のような状態の後に、一時的な手足の脱力などの症状が見られます。治療薬もなく、脳の手術を行っても完治しないため、長期的な通院が必要です。

私は、もやもや病患者の脳内では構造がどう変化するかを研究し、神経細胞の密度低下、ネットワーク構造の単純化、ミエリン(*)の減少、脳内に流れる水のうっ滞、これらが認知機能の悪化につながる可能性を明らかにしました。現在、手術で脳の血流が改善されると、これらが回復するのかを調べています。

これまで通算1,000名以上の通院患者さんのデータを用いて、病気の原因や悪化要因、適切な治療法、長い人生の中でどのような問題が起こるのかを検討してきました。遺伝的要素の関係、血流改善手術の安全性を高める方法、長期的な問題とその対処法などを提案していますが、この成果が患者さんのより良い人生に繋がるよう、日々研究を続けています。

*ミエリン(髄鞘)とは、神経細胞(ニューロン)から伸びた軸索の周りにある、鞘(さや)のような構造体のこと

インタビュー写真2 インタビュー写真2

#Career人生、何が吉と出るかわからない
だから柔軟さは
人生にあった方がいい

「人の心はどこから来るの?」と脳に興味があった高校生の私は、脳と心を学べる進学先を探していました。小児科医の母からの「脳を知るなら医学部が一番よ!」という助言もあり、素直に信じた私は医学部へ進学しました。

大学4年で所属した脳神経内科の研究室では、基礎研究を一日中行いました。病気治療に繋がるかなり前段階の研究の担当でしたが、せっかちな性格もあり、目に見える成果が出ないことを辛く感じていました。この仕事を一生は続けられないかも…と目標を見失っていた中、転機は突然訪れました。

病棟実習が始まり、初めて脳神経外科手術を見たときのことです。MRIで撮影した脳の形が美しく、さらに実際の手術で目にした脳がその画像と同じ形であることに感動。基礎研究者適性の無さを痛感していたところへ、にわかに脳神経外科医の進路がすっと躍り出ました。

次の転機は、結婚・出産を経て27歳で復職したときでした。上司は臨床診療に使用する脳血流MRI解析の担当と、データ解析の研究テーマを私に割り当てたのです。保育園のお迎えで18時前に帰宅する、若手外科医として働く時間を確保できない私の将来を心配し、自尊心を保てるよう役割を与えたのかもしれません。戸惑いつつも、任された脳血流MRI解析に取り組み、研究を行うにつれ、次第にもやもや病そのものへ興味を抱くように。こうやって様々な巡り合わせを経て、私は現在専門とする研究に辿り着きました。人生何が吉と出るかわからないものです。やってみてわかることもあるので、柔軟さは人生にあった方がいいと思っています。

現在、他大学の先生と共同研究の準備中ですが、今後はこうしたコラボレーションを増やしたいです。人脈が広がればチャンスが生まれます。また任せる部分は任せ、私は臨床情報や外科医としての視点を提供することで、新しいアイデアが生まれることを期待しています。

インタビュー写真3 インタビュー写真3

#Life超多忙だとわかっていても
脳神経外科医になることを
諦めたくなかった

大学を卒業し初期研修を行う病院での2年間は、結婚を控えていたこともあり、多忙な脳神経外科医が私に務まるのかと悩みました。ですが、将来わが子と向き合うとき「この子のために、自分はやりたいことを諦めた」と思うのが嫌で、パートナーの応援もあり脳神経外科医の道へ進みました。

初期研修医2年目で結婚、脳神経外科医として働き始めてすぐに想定外の妊娠がわかりました。体調は悪くメンタルも不安定で「医者人生、終わった」とふさぎ込んでいましたが、男性が大多数を占める環境の中、同期や上司がみな気遣ってくれて、なんとか産前休まで働けました。長女が0~2歳の時は主に病院勤務だったのでとても大変でしたが、周りの助けも借りてどうにか乗り切り、夫と協力しあった保育園の送り迎えは、長女と次女で12年続きました。

子育てとの両立で悩み苦しみ、仕事を辞めたいと思ったことは数知れません。ですが幸いにも職場の人間関係に恵まれ、働き続けることができています。

脳神経外科医として、研究者として、そして母として――いくつもの壁を経験してきました。私は女性たちが出産後もフルタイムで働くことを諦めずに済むには、男女双方の勤務負担軽減が必要であると考えます。今は医局長の立場から、働き方の選択肢を広げる活動にも取り組んでいて、学内のみならず関連病院も含め、男性にも積極的に育児休業を取ってほしいと働きかけています。

プライベートでは、たまの休みに家族4人で旅行、登山、キャンプへ出かけます。夫婦だけでミュージカル鑑賞をした後に、子連れでは入れないレストランに行くことも。そうやって休息時間を意識的に作ることで仕事の視野を広く保て、新たなアイデアが湧きやすくなると感じています。

私は仕事で自己実現を果たしたいので、家事や育児はその時間を奪うものかもしれません。ですが家族以上に人としての幸せを与えてくれる存在はなく、今の自分に後悔は何もありません。医師そして研究者として、臨床研究の本分である“患者さんの役に立つ研究”に力を注ぎたい。そしてもやもや病で不安を抱える方の役に立つかを常に問い続けながら、自分らしい自己実現と社会貢献を重ねていきたいです。

Private Photo

プライベート写真1
家族で冬の北海道旅行(スノーシュー)
プライベート写真2
2025国際脳卒中学会でスタンフォード共同研究者と
左:家族で冬の北海道旅行(スノーシュー)
右:2025国際脳卒中学会でスタンフォード共同研究者と

Life Journey

小学生
忙しい両親のもと、弟と二人で食事は日常。女性が働くことは自分の中で当たり前だった
中学生
全力の反抗期。「夜と霧」やドストエフスキー等を読み、自分の存在意義について暗く思い悩む
大学生
病棟実習で初めて見た外科手術に感動し、脳神経外科医を志す
脳神経外科医
出産を経験。一時仕事から離れたことで、自分らしい生き方を再認識する
脳神経外科医
医師・研究者・母親の両立に迫られ、多忙を極める。専門となるMRIに巡り合う
もやもや病診療研究責任者
研究した端から論文を発表。活動が認められ、研究責任者に任じられる

Background

2003年
私立女子学院高等学校 卒
2009年
東京医科歯科大学(現・東京科学大学)医学部 卒
2011年
東京医科歯科大学(現・東京科学大学)脳神経機能外科学分野 入局
2020年
東京医科歯科大学(現・東京科学大学)脳神経機能外科学分野 助教
2021年
東京医科歯科大学(現・東京科学大学)脳神経機能外科学分野 もやもや病診療・研究責任者
2024年
東京科学大学(旧・東京医科歯科大学)脳神経機能外科学分野 講師(キャリアアップ)、医局長(現職)
写真:原 祥子

Words for the Next Generation

私は医師としても研究者としても、いわゆる“王道のキャリア”を歩んできませんでした。女性の脳神経外科医は稀で、ましてや研究もして家庭もあるロールモデルが不在なこともあり、長年苦しかったです。
それでもキャリアに正解はなく、必ずしもトップを目指す必要はないと思うようになりました。自分と周囲が納得し、自分ができることをきちんとやり、自己実現そして社会貢献ができているならそれで良いのではないでしょうか。

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