56. パワーハラスメント

 最近耳にする言葉の一つにパワーハラスメントがある。
ポピュラーになっているセクハラもパワハラの一部かもしれない。実力差ではなく力関係で上位と思っている立場のものが下位と位置づけられているものを権力なるものを振りかざして押さえつける。それが繰り返されることでストレスからうまく抜け出せないで仕事に集中しにくくなる。
結果はおそらく悪循環になることが多く、誰にとっても決してハッピーにはならないと思うが、広義のパワハラの話はいたるところで広がっているようだ。

この問題に対処しようとすると、上司と部下の間で起こる問題への対処がよいヒントになる。社会は基本的に完全フラットではなく階層構造を持っている。筆者も、部下100%の期間は短く、割合は別にして、上司であり、部下であった長い経験や身近で見てきた事例を含めて、上司、部下に恵まれているとは言えない人にとってすこしは役に立つかもしれない話題を提供したい。

最も重要なことは、上司と部下の関係がうまくいっていると感じられるかどうかは絶対的なことではなく相対的な関係いわゆる相性に起因するということを念頭に置いた上で、自分を犠牲にしても、上司を上司として付き合おうと覚悟するかどうかである。
職場やグループにあって1対1の関係でなければ、自分以外の上下関係について観察し自分として打つ手があるかを前向きに考えることである。また、自分の上司が、その上司との間でどうかを観察し、よく言う『上に弱く、その跳ね返りで下に強く出る』ステレオタイプであれば、直接の上司ではなくその上が求めていることを研究しそこにアピールできることを上司に渡すことである。そうすれば、上司は必ず自らの手柄としてその成果を利用するであろうが、どこかで破綻するのを楽しみに(?)しながら成果を出し続けていけばよい。
長い目で見れば、直属の上司が求めることよりも広い視点での成果が蓄積されるはずで、そのことは、つらい目にあいつつも踏ん張ったことに必ずプラスとして還ってくるはずである。若い間であれば、上司が知的リーダーとしてすごい人なら、身勝手で、常識からずれたような干渉があっても我慢するほうが得策である。この我慢は専門力を磨き上げる上でリターンが大きいからである。
上司に対する基本的な認識として共通的に言えることは、上司というものは思いつきでものを言う動物であるということである。なぜか?研究者や技術者は慢性的な熱中症患者であるから、


実験、議論、そして考え続ける症状が繰り返されるのである。程度は別にして飲み食いしているときも、寝ているときもこれらの症状は消えない気分転換の下手な人種なのである。

ほとんどの上司は、考え続ける慢性熱中症に基本的には勝てるはずはないのである。だから思いつきでものを言ってしまうか、まったく関心を示さず放置するかになる。思いつきで言われたことにドキッとするようなら、自分の将来を考え直さないといけないかもしれない。おもいつきで言われたことでも、自分の視点にかけていた貴重な方向の示唆であったりすることもあるかもしれないから条件反射的に拒否するのではなく、したたかに利用させてもらう姿勢も大切である。どこを見ても益になる部分がないなら、完全反面教師として捕らえ先々の肥やしにするしか方策はない(上手にあしらえとか、手抜きをしたら良いなどといったノウハウ本もあるようであるがそういう器用さがないから悩むのである)。

上司に感じる二面性は、そもそも多くの人が、上司であり、部下であるからである。二面性の出方は、自己の経験を先々どう位置付けるかによって差が生じる。自分が部下としてつらかったことは上司の立場になったら仕返しするぞとかまえる性格でないことを願うしかない。傘になれない上司も、多くの人が基本的には自分がかわいいと思う(こういうことも、近いうちに脳科学の課題として決着するであろうから、その先には打つ手が的確に編み出せる期待もある)ことに根ざしているから、最後は組織の中での力を取り去ったときに世の中(具体的には学会とか、業界とかもっとセグメント化された世界に)に与えられる影響力を大きくする努力を続けるしかないのかもしれない。


最後に、民間企業で最後の大プロジェクトに取り組んだときに上司になったプロジェクトリーダーであり、当時一部上場の優良会社の社長であった先輩から海外出張時に学んだ孫悟空方式について紹介したい。この方式は一般的な回答を与えるものではないが、すべてのケースにおいて感情的対決の世界から自分を解放してくれる可能性を秘めたすばらしいものである。

この方式は二人の強い個性を持った上司に仕えたときに悩みに悩んで編み出した処世術といえるものである。右という上司、左という上司に個別に合わせることは不可能であった。結論は部下として右、左にどう答えるかではなく、孫悟空をみたてて世の中から見てどちらが好ましいのか、あるいは支持とは異なる方向が望まれるといった判断に可能な限り客観性を持たせる思考をベースに対処していったという。
その結果組織的には後にトップにたち、部下だけになって上司はと問えば世の中という答えを持って立派な経営をされたのである。幸運にも今もお付き合いをいただいて自分を映す鏡にさせていただいている。ありがたいことである。


おまけとして、自分を変えていくことはやってやれないことはないが、部下としての対応だけで上司を変えることはできないことを知るべきである。ならば、できる限りいずれ関係の消える上司(どう見ても相性悪いとピンときたらなおさら)との関係改善に後ろ向きな時間を使うことよりも、一刻も早く一人でも戦って行ける専門力と精神力を磨き上げることに手厚く時間を当てるべきである。

上にたつ人は部下が描く理想の上司であるケースのほうが少ないと思えば、深刻さは薄まるのかもしれないが、日本の総合力を高めて国際競争に勝っていくには、厳しくてもみんなが外で通用する力以外の力は本当の力ではないことを認識し、縦社会について回る上下関係のパワーから生じやすいパワハラから脱却することである。

                            篠原 紘一(2004.8.13)

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