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(スライド1)
基調講演「長期戦略指針『イノベーション25』これからの日本と世界」黒川 清 (スライド2) 実際、国の戦略や重要政策としてイノベーションを推進している国は数多く、たとえば、米国における「イノベート・アメリカ」(2004年)、EUの「リスボン戦略」(1992–2000年)や最近のAHOレポート(2006年)などがそれにあたる。日本でも2-3年前からイノベーションが政策の前面に出てきたが、安倍総理の下で、イノベーション25戦略会議が設立され、高市大臣、平沢副大臣の担当の元、私が座長の任を受けた。 イノベーションへの関心の高さは、つい数ヶ月前にサイエンスという科学誌に「イノベーションは魔法の呪文か」という記事が出たことからも明らかである。困ったときは何でもイノベーション、イノベーションといっていれば何でも解決されると思われているようでは困るという私のメッセージだ。 (スライド3) ―単年度の予算が中心であった政策と違って、イノベーション25は、2025年の日本を目指すという長期的な計画 (スライド4) 20年後というが、今は当たり前と思って使っている電子メールや携帯電話は20年前には存在しなかった。10年前もそれほど普及していなかった。それでは20年後はどういう世界になるか、すなわち、今生まれた人が20歳、今20歳の人が40歳になる世界では、どんなことが可能になるかは想像を絶するほど。こう長いスパンで考えるとなると、ダーウィンもいっているように、今強い人、賢い人がそのまま強い、賢いという状況が続くのではなく、環境の変化に適合できるものがグローバル時代を生き残ることとなる。したがって周囲が変わったら、自分も変わることができるという適応能力が不可欠となる。 変化の中で、新たな挑戦に向かって、「できない」というのではなく、どうやったらできるかを考え、行動できる人でないと、長期的な観点からイノベーションはできない。すなわち、従来からの考え方ではなく、全く新しいことを考えられる人材、現状の世界では「異端」であり「出る杭」の人材が必要である。こうした人材を育てることの必要性は、閣議決定されている70数ページにわたるイノベーション25の最終報告の中、4箇所に「出る杭を伸ばす」と書いてあることからも明確である。 イノベーションに必要な資源、たとえば新しいアイディア、研究成果、技術の成果を新しい組み合わせなどによって、可及的速やかに市場や社会に届けるシステム(エコ・システム)が必要である。 国内に限らず、世界がどのように動いているか、グローバルな視点、パースペクティブ俯瞰的視点が必要なことはいうまでもない。 イノベーション25で奨励しているのは、従来のようなサプライ・サイド、供給側の発想に基づくイノベーションではなく、多様な市場のニーズ、需要側にたったイノベーションである。多様なお客様、需要にどう対応するか、が鍵となる。実際に世界的ヒットになっている任天堂のDSやWiiなどは、今まで考えてもいないようなニーズを掘り起こしたという点で需要サイドを見据えたのイノベーションとして見るべきものである。任天堂が企業の時価総額も日本で10位くらいになったのは、このようなアプローチが実施されたから。 従来とは全く違う新しい考え方や姿勢に本気で取り組む準備がなければ、イノベーションは実現されない。変化が基本。変わりたくない人には向かない。従来と全く違う新しい考え方や姿勢に本気で取り組む準備がなければ、イノベーションは実現されない。イノベーションと「安定」とはまったく共存しないものである。 (スライド5) 世界に目をうつすと、インターネットなどの手段により、横のつながりが強くなり、知識経済、ネットワーク型の社会が進展している。こうした動きを原動力として、グローバル化がさらに進んでいる。これが後戻りすることは考えられない。 したがって世界全体としては、人類社会の持続可能性に対する大きな脅威が迫っており、同時にいわゆる南北問題といわれる貧富の格差が広がりつつある。またこの事実は広く一般の人々が知る所となってきている。 ドイツで今月はじめに開かれたG8サミットの後で、各国の科学顧問の会合がスロベニアで開かれたが、そこでは、日本の安倍総理のイニシアチブで、CO2の目標がG8首脳間で同意されたことが大いに評価されていた。G8サミットのホストであるドイツのメルケル首相がCO2の排出量を20年後に20%下げようと主張していたが、米国が反対し、同意にいたらなかった。しかし、コーヒーブレークの後で、安倍総理が「50年に50%削減」を共通の認識としてはどうかと提案したことにより、見る見るうちに、G8の首脳が同意するにいたった。安倍総理の発言が、G8首脳のコンセンサスのきっかけになったということだった。G8サミットをはじめとして、各国の首脳の間で共通認識が見られることは、地球温暖化のような地球規模の問題があるときには特に非常に重要である。 (スライド6) 世界の人口は、2000年の60億人が2050年には90億になるという爆発的な伸びを示すので、こうした状況の下で、人間社会は持続可能かという基本的な問題に直面することとなる。 (スライド7) 日本以外でも多くの国がグローバルな課題を解決するために、ナショナル・イノベーション・システムを採用し、国をあげて取り組みを進めているが、イノベーション25はこうした枠組みの下で捉えるべきである。 (スライド8) (スライド9) 第1は、グローバルのエネルギーと環境課題への解決への道を開く技術という日本の一番の優位性を活用すること。エネルギーや環境など地球規模の課題に対する解決を、今後の日本の経済発展の中心にすえ、国際貢献と外交の中心とする。具体的には、クリーンエネルギー、グリーンテク、水処理・食品分野における日本の優れた技術を使い、経済成長を目指し、次の世代を育てていくハブになることが戦略的政策。 第2の柱は、次世代への投資。20年先を見るのであれば、次世代を担う若者をどう育てるか、が鍵となる。現在世界では教育への関心が非常に高いが、それは、どうやって変化に対応し、自分ひとりで行動できる次世代を育てていくかに大きな関心が集まっているためである。次世代への投資を増やし、次世代の若者が、はやくから世界に触れるための手段や取り組みを増やす。夏休みに日本の若い人を海外に、そして交換に世界の若者を日本によぶことも、多様な価値観に触れる意味で効果的である。 第3の柱である大学の役割、大学の改革も非常に重要。最近、世界的に一流の大学間の競争が激しくなっており、いずれも世界中の最も優秀、最もやる気のある学生を集めようと非常に積極的な活動、大改革をしている。もちろん言語などいろいろな問題はあるが、日本もある程度英語にしなければ、英語が共通語になり、インターネットの8割が英語である世界市場からすると日本語の価値は低く、競争力からも遅れてしまう。英語アレルギーでは世界とのギャップが開く一方である。そうした観点から、イノベーション25には大学の改革の具体的な施策が含まれている。実際閣議決定された戦略方針にも「大学の入り口での文系理系という区分はやめる」ことなどが明示されている。 (スライド10) 日本が得意とするものづくりだけでなく、サービス分野におけるイノベーションを推進するため、各種の規制、社会システム、規範、制度などを広く見直し、必要な改革を進める。規制改革委員会、経済財政諮問委員会などを通して、常に規制をレビューしながら、進める。 今まで日本が得意としてきたのは、サプライ・サイドの考え方で、アセンブリーラインでよい製品を出していくことだった。「モノづくり」が強みという認識である。これはアジアにおいて大きな市場ポテンシャルがあるので、今後も重視する。ただし、それに加えて、デマンド・サイドのイノベーションも重要である。たとえば急速な経済成長をとげている中国でダントツに売れている酒はシーバル・リーガルであり、これはブランディングの勝利。単によい製品を生産するだけでなく、多様なニーズに対するブランディングというアプローチも必要。 すなわち、従来考えられてきた科学技術の分野における新しい知識をプロトタイプ化して、直線的に新製品やサービスに結びつけるというリニアなイノベーションから、需要や市場ニーズを起点とした需要先導型のイノベーションへの転換が重要である。 (スライド11) すなわち、イノベーションは、1)社会システム・社会制度、2)変わった人、出る杭を育てるという「人財」(Human Capitalという認識、「人材」という認識ではない)への働きかけ、3)前例にこだわらず、客観的事実をベースにした政策立案と実行という3種類のイノベーションと読みかえることもできる。日本だけを見ている必要はなく、世界的に重要な課題を解決する政策を実行することが鍵。 そして、2025年に日本を世界で最もイノベーティブな国のひとつとするためには、この3種のイノベーションを、断片的、ボトムアップでばらばらではなく、ひとつの方向を向いた総合的、体系的な取り組みとして進める必要がある。3つのどれが欠けても、政策としては不十分。したがって、こうした政策ロードマップの進捗・実施状況をトップダウン、省庁や分野横断的にモニターする活動、徹底する体制が不可欠である。 これは難しいが、何とかやらなくてはならない。 (スライド12) 第1の波は、産業革命であり、本家はイギリス。1769年から1830年までの時代であり、ピークになって飽和するまでに50年くらいかかっている。50年くらいたつと新しい技術が出現して、成熟し、世の中が変わり、新しいパラダイムになる。 第3期は、1875年から1918年で、鉄鋼、電気、重電の時代。米国・ドイツが起点となり、ヨーロッパへ普及した時代。1920年頃、飽和して世の中が一変する。 第4期は、石油、自動車という製品に代表される大量規格生産、消費文化の時代。T型フォードの時代。ガソリンが安かったことも起因。米国からヨーロッパへ、その後で日本という時代。1908年から1974年(オイルショック)という経過で飽和、ピークを迎える。 第5期は、現在われわれがいる時代で、1971年インテルのMPUから始まった情報通信の時代。起点は米国、それからヨーロッパ、そしてアジアへの波及。これがあとどのくらいで飽和に達するか。 具体例として、今ほとんどの人がつかっている電子メールを考えよう。インターネットは80年代からあり、大学や研究機関では使われていた。しかし、利用は限定的でほとんどの人が使えなかった。ほとんどの人が使えるようにならないと技術は新しい価値にならない。皆が使えるようになったきっかけは、91年にWWWをティム・バーナード=リーが出したこと。当時は、デスクトップのコンピューター、ラップトップコンピューター共にかなり普及してきた時代であるが、ワープロ・ソフトやMS-DOSというマイクロソフトがビジネスモデルとしているようなソフトの使用が主な用途であった。 91年にWWWのあと出てきたのが、93年のモザイク、94年にネットスケープのブラウザーが無料配布されたことによって、インターネットを利用するソフトがコンピューターにて広く利用されるようになり、その後Yahooなどが出てきた。こうした動きを想定していなかったマイクロソフトのビル・ゲイツが驚いて、Windows95を出したのが95年。その後Amazon.com、eBayなど多くのビジネスモデルが出てきた。 この頃から、日本でもインターネットが見られるようになったが、96年、97年当時は、インターネットにつなぐ通信コストが従量制であり、高すぎて、ほとんどの人がアクセスするにいたらず、日本であまりインターネットは普及していなかった。2001年に当時の堺屋太一大臣のもと、IT基本法で規制が緩和されてはじめて、月3000円程度でつなぎっぱなしにできる(「Yahoo BB」)ようになり、多くの人が電子メールなどを使えるようになった。こうして一般に広がり、人々の行動が変わったわけである。 つまり、技術だけでもアイディアだけでもなく、今までの既得権益を持つ規制をいかにはやく変えるかがイノベーションの勝負である。時代にあった規制の改革をしなくてはいくら新しい技術があっても社会に普及しない。新しい価値も作らない。。携帯電話も同様。世界の部品の65%は日本製と日本が強く、携帯端末は日本企業が14社あっても、世界市場第1位はノキア、2位はモトローラ、3位がサムソンである。日本のメーカーは世界では勝てない。それは最初から世界市場でなく、日本市場だけを考えており、日本の規制に合わせてやっているから。あたまの中が世界を向いていない。 日本のイノベーションを考える上でも、客観的事実から日本の強さと弱さを理解することが重要。 (スライド13) (スライド14) どんな組織や地域・国でも強みはあくまで伸ばし、それを競争の基盤とする。と同時に、自らの弱みを知り、それを世界からの協働で補う。これがグローバル・イノベーション・エコ・システム。 即時性が時代のルールとなる中、スピードこそ命。しかし、近くにある資産やものの意味や価値をいかすようにローカルに考え、グローバルに行動するという姿勢が必要である。 |