JSTトッププレス一覧 > 科学技術振興機構報 第301号

平成18年6月15日

東京都千代田区四番町5−3
科学技術振興機構(JST)
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脳の形成過程で不必要な神経線維が取り除かれる仕組みを解明
(グリア細胞による変性神経線維の貪食除去機構)

 JST(理事長:沖村憲樹)は、東京大学、国立遺伝学研究所、金沢大学と共同で、脳内の不必要な神経線維が選択的に取り除かれる仕組みを明らかにしました。
 動物の活動や行動は、神経細胞から伸びる神経線維が複雑に繋がることで形成されたネットワーク(神経回路)によって制御されています。こうした神経回路を正常な状態に維持するためには、不必要になった神経線維を速やかに取り除き、修復することが必要ですが、これら神経線維が選択的に除かれる仕組みについては、これまでほとんど分かっていませんでした。
 本研究チームは、神経回路が作られる際に見られる神経線維の除去と再構成の過程に注目して、この仕組みについて調べました。その結果、グリア細胞注1と呼ばれる細胞が、スカベンジャー受容体分子注2を使って、変性状態にある不要になった神経線維を見つけ出し、その部分を選択的に食べること(貪食)により、これらの神経線維が取り除かれていることを発見しました。今回のように、生きている神経細胞の中で不要になった箇所だけが部分的に取り除かれる仕組みを明らかにしたのは、本研究が世界で初めてであり、今後は脳の精密な神経回路が成長や学習に応じて再構成されてゆく仕組みの解明に繋がることが期待されます。
 本成果は、東京大学 分子細胞生物学研究所 高次構造研究分野(伊藤啓助教授)にて、粟崎健(同上 助手、現在マサチューセッツ大学 助教授)がJST戦略的創造研究推進事業 個人型研究(さきがけタイプ)「認識と形成」研究領域(研究総括:江口吾郎)における研究テーマ「昆虫の変態時に見られる神経回路網の再編成機構」として、上田龍(国立遺伝学研究所 教授)、中西義信(金沢大学 教授)らのグループとの共同研究によって得られたものです。また、一部JSTバイオインフォマティクス推進事業「ショウジョウバエ脳神経回路の徹底解析にもとづく感覚情報処理モデルの構築」の支援も得て研究を行いました。なお、本研究成果は米国神経科学雑誌Neuronオンライン版に、2006年6月15日(米国東部時間)に公開されます。

<研究の背景と経緯>

 発生過程においておおまかに作られた神経回路を、感覚情報の処理や複雑な行動の制御に最適で、機能的な形に完成させ、維持してゆくためには、いったん作られた神経回路の一部を部分的に作り替えてゆく作業が必要です。その際には、神経細胞の中で不要になった一部の神経線維だけを選択的に取り除いたり、新たな神経線維を再伸長させたりする必要があります。不要な神経線維が特異的に除去されるという現象は、神経回路が形成されるときだけではなく、怪我や病気で神経線維の一部が障害を受けたときにも起きることが知られていますが、この現象の仕組みについてはほとんど分かっていません。
 ショウジョウバエでは、蛹(サナギ)の時期に脳内の神経回路が幼虫型から成虫型に作り替えられます。匂いに関する学習に中心的な役割を果たしている「キノコ体」と呼ばれる脳領域では、幼虫期に作られた神経回路の一部が蛹の初期に特異的に除去され、その後成虫型の神経回路が新たに形成されることが知られています。私たちの研究グループは、このキノコ体神経細胞における神経回路の作り替えに注目して、一部の不要になった神経線維だけが除去される仕組みを研究してきました。その結果、(1)キノコ体神経細胞における幼虫型神経線維の除去は、神経細胞がエクダイソン注3と呼ばれる昆虫ステロイドホルモンを受容することにより、自発的に神経線維の一部を変性させることから始まること(2)これらの神経線維が的確なタイミングで正確に除去されるためには、神経の自発的変性だけでなく、周囲のグリア細胞がこれらの神経線維を選択的に取り囲んで消化する「貪食作用」が必要であること、が明らかになりました(Awasaki and Ito: Current Biology 2004年)。 その後、脊椎動物においても、不要な神経線維の選択的な除去において、グリア細胞の貪食作用が関与していることが報告され、グリア細胞による不要な神経線維の除去が、神経回路の形成と維持において普遍的な現象であることが示されました。
 グリア細胞はどのような分子機構によって不要となった神経細胞を認識して、選択的に食べているのか、この仕組みについてはこれまでほとんど分かっていませんでしたが、私たちは、グリア細胞による幼虫キノコ体神経線維の貪食・除去に注目して研究を続けた結果、これらの分子機構を明らかにしました。

<研究の内容>

 今回の研究で、まず蛹初期のショウジョウバエのグリア細胞が幼虫のキノコ体神経線維を貪食する際に、これらのグリア細胞でdraper (drpr) と ced-6 という2つの遺伝子が一時的に強く発現していることを見つけました。drpr遺伝子はスカベンジャー受容体分子(Drprタンパク質)を、ced-6 遺伝子はアダプター分子(Ced-6タンパク質)注4をそれぞれ作り、これらの遺伝子は、線虫においてプログラム細胞死(アポトーシス)を起こした細胞を、食細胞が貪食する際に必要であることが知られています。続いて、RNA干渉法注5を利用して、これらの遺伝子の機能をグリア細胞のみで特異的に阻害したところ、グリア細胞による貪食作用が抑制され、幼虫のキノコ体神経線維が除去されなくなりました。また、RNA干渉法でなくdrpr遺伝子の機能が失われた突然変異系統を使った実験でも、同様の現象が観察されました。 一方で、グリア細胞によって除去される幼虫キノコ体神経線維では、グリア細胞の貪食作用とは独立に微小管細胞骨格注6の崩壊という変性現象が起こっており、この現象はキノコ体神経細胞がエクダイソンを受容することで誘導されることも見つけました。
 以上の解析結果により、キノコ体神経細胞はエクダイソンを受容し、特定の神経線維の細胞骨格を変性させ、グリア細胞がDrprタンパク質とCed-6タンパク質の働きによって、この変性神経線維を特異的に検出して、貪食・除去しているというメカニズムが示唆されます()。この研究から、プログラム細胞死を起こして死んだ細胞の除去だけでなく、生きている神経細胞の一部である変性神経線維の除去にも、同じ分子機構が使われているという新しい概念が提唱されました。

<今後の展開>

 本研究から、グリア細胞は変性状態にある不要になった神経線維を、Drprタンパク質を介して見つけ出していることが示されました。今後、Drprタンパク質はどのような分子を特異的に認識しているのか、そして、その標的分子を同定することにより、不要になった神経線維がどのようにグリア細胞に標識されるのかを理解することが可能です。このような標的分子が同定できれば、発生過程においておおまかに作られた神経回路が、成長に応じて最適な状態に作り替えられてゆく仕組みを解明することに繋がることが期待されます。さらに将来的には、病気や怪我で変性を起こした神経線維を特異的に取り除く仕組みについての解明が進むことも期待されます。

<用語解説>
<参考図>図 不必要な神経線維がグリア細胞に貪食・除去されるメカニズム

<掲載論文名>

“Essential Role of the Apoptotic Cell Engulfment Genes draper and ced-6 in Programmed Axon Pruning during Drosophila Metamorphosis”
(変態期ショウジョウバエにおける軸索プルーニングにはアポトーシス細胞貪食遺伝子drprとced-6が必須である)
著者名: 粟崎健、巽良子、高橋邦明、荒井國三、中西義信、上田龍、伊藤啓
doi :10.1016/j.neuron.2006.04.027

<研究領域等>

この研究テーマを実施した研究領域、研究機関は以下のとおりです。

戦略的創造研究推進事業 個人型研究(さきがけ)
研究領域:  「認識と形成」(研究総括:江口吾郎)
研究課題名: 昆虫の変態時に見られる神経回路網の再編成機構
研究代表者: 粟崎 健(Department of Neurobiology, University of Massachusetts Medical School)
研究実施場所: 東京大学分子生物学研究所
研究実施期間: 平成12年10月〜平成15年9月

<お問い合わせ先>

粟崎 健(アワサキ タケシ)
 Department of Neurobiology, University of Massachusetts Medical School
 364 Plantation Street, Worcester, MA 01605-2324, USA
 TEL: 011-1-508-856-8574 FAX: 011-1-508-856-6266
 E-mail:

白木澤 佳子(シロキザワ ヨシコ)
 独立行政法人科学技術振興機構
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