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科学技術振興機構報 第290号

平成18年5月8日

東京都千代田区四番町5−3
科学技術振興機構(JST)
電話03(5214)8404(総務部広報室)
URL http://www.jst.go.jp

神経回路形成等に必須なリン酸化酵素の
機能を制御するメカニズムを解明

 JST(理事長:沖村憲樹)の研究チームは、神経回路の形成や血管形成、癌化などに重要な役割を果たしている受容体型チロシンリン酸化酵素(Eph)の活性を制御するタンパク質を世界で初めて発見しました。
 Ephはタンパク質内の特定のアミノ酸『チロシン』をリン酸化する酵素の一種であり、生体内の各組織に広く分布しています。Ephは発生期における神経回路網の形成や血管網の形成等において必須の役割を果たすとともに、成熟した動物においては記憶学習や免疫反応等にも関わり、様々な場面で重要な役割を果たしていることが知られています。さらに、Ephに異常が生じると癌の悪性化の原因になることも明らかになりつつあり、Ephが各組織において正常に機能することが動物の健康の維持に重要であると考えられています。
 今回、研究チームは、網膜から脳への視神経回路の形成機構を解析することにより、タンパク質の中にあるリン酸化されているチロシンからリン酸を除去する酵素の一種Ptproが、Ephの活性を抑制している事を発見しました。PtproがEphの活性を制御するメカニズムの発見は、Ephの異常によって生じる様々な疾患の治療法を開発する手がかりとなるだけでなく、Ephが神経軸索の再生や幹細胞の維持に関与していることが示唆されていることから神経再生医療等に応用されることも期待されます。
 本成果はJST戦略的創造研究推進事業チーム型研究(CRESTタイプ)「生物の発生・分化・再生」研究領域(研究総括:堀田凱樹(大学共同利用機関法人情報・システム研究機構 理事長))の研究課題「網膜内領域特異化と視神経の発生・再生機構」の研究代表者 野田昌晴(大学共同利用機関法人自然科学研究機構 基礎生物学研究所 教授)らによって得られたものです。
 本研究成果は米国科学雑誌「Nature Neuroscience」オンライン版に2006年5月7日(米国東部時間)に公開されます。

【研究の背景】

 Ephは、ephrinという特定の物質(リガンド)がその細胞外領域に結合すると特定のタンパク質内の特定のアミノ酸『チロシン』をリン酸化する細胞膜に存在する酵素(受容体型チロシンキナーゼ(注1))で、細胞外領域、膜貫通領域、細胞内領域から成り(図1)、アミノ酸配列の細かい違いから、大きくAタイプ(EphA)とBタイプ(EphB)に分けられます。Ephは、ephrinが細胞外領域に結合すると自らをリン酸化することにより活性化し、主に神経細胞の軸索(注2)の伸長や細胞の進展を抑制するという反発性のシグナルを伝達します。ephrinもEph と同じくAタイプとBタイプに大別され、例外はありますが、同じタイプ同士のephrinとEphが結合するという規則性があることが判っています。 Ephは、細胞移動、組織内の境界領域の形成、神経細胞の軸索ガイダンス、神経細胞のシナプス形成、シナプス可塑性、血管形成や癌化、免疫反応や再生現象など、生体内の様々な局面において、重要な役割を果たしていることが知られていますが、特に神経回路網形成における機能が良く解析されています。神経回路網の形成においては、それぞれの神経結合がランダムに生じるのではなく、神経細胞が正しい結合相手を探し出し、特異的な結合を形成するという厳然とした規則性が存在しています。このような神経回路網形成における基本様式の一つとして、感覚器官側の神経細胞集団が、その二次元的な相対位置関係を保った状態で、脳側の感覚情報を受け取る領域の神経細胞集団と神経結合を形成するトポグラフィックな投射(領域特異的な投射)があります。領域特異的な投射は神経系の様々な領域で見られますが、網膜から脳内の視中枢(視蓋)への投射系(網膜視蓋投射系(注3))は、実験の行い易さから最も盛んに研究されています。 網膜視蓋投射系においては、鼻側(前側)の網膜神経節細胞が視蓋の後側に、耳側(後側)の網膜神経節細胞が視蓋の前側の神経細胞に結合します。また背側の視神経は視蓋の腹側に、腹側の視神経は視蓋の背側の神経細胞に結合します(図2)。全体として、網膜神経節細胞は網膜における二次元の位置関係を保った状態で視蓋へ投射することになります。
 このような領域特異的な投射が形成される上で、Ephは次にように必須の役割を果たしています。網膜におけるEphの発現量(活性)は、耳側で高く鼻側で低くなっています。一方、Ephのリガンドであるephrinの発現量は視蓋の後側で高く、前側で低い勾配を示します。このため、耳側の視神経はephrinによって強い反発作用を受け、この結果視蓋の後側には侵入できません。鼻側の視神経はephrinに対する反応性が低いため、視蓋の後側に投射します(図3)。背腹軸方向においても、網膜に発現するEphBと視蓋に発現するephrinBが重要な働きをしていることが示されています。以上のように、Ephが網膜の前後軸方向あるいは背腹軸方向に勾配を持って発現し、ephrinが視蓋において勾配を持って発現することが、トポグラフィックな投射の形成に重要です。
 リガンド以外のものでチロシンキナーゼの活性を制御するものとして、それを標的とする、リン酸化されているチロシンからリン酸を除去する酵素(チロシンホスファターゼ(PTP)(注4))が重要な役割を果たすと考えられていましたが、これまでにEphを標的として、その活性を制御するPTPは不明でした。

【研究の経緯】

 本研究チームは、網膜においてある領域に特異的に発現する分子の網羅的なスクリーニングを行い、Ephやephrinを含む、50以上の分子の同定に成功しておりました。これらの分子群の中に、リン酸化されているチロシンからリン酸を除去する2つの受容体型チロシンホスファターゼ(PtproとPtpru)が含まれており、これらのうちのいずれかがEphを標的とするチロシンホスファターゼではないかと考えました。その後、培養細胞を用いた解析から、PtproがEphAおよびEphBを非常に良く標的としていることが明らかになりました。詳細な解析を進めた結果、Ptproは、Ephの活性化において、その場所のリン酸化がトリガーとしての役割を果たすことが知られている、Ephの細胞内領域の膜近傍に位置する特定のチロシンを標的としてリン酸を除去することが判明しました(図3)。
 さらに、PtproがEphの機能を制御するかどうかについて検討を行いました。網膜の器官培養系(in vitro)を用いた解析において、野生型Ptproを過剰に発現させることにより、耳側の視神経細胞の軸索のephrinに対する反応性の低下が観察されました。逆にPtproの活性を押さえるため、優位抑制型分子(注5)のPtproを発現させると、鼻側の視神経細胞の軸索のephrinに対する反応性の上昇(獲得)が観察されました(図4)。
 次にニワトリの網膜視蓋投射系を用いた個体レベル(in vivo)の解析を行いました。伸展中の視神経におけるPtproの発現量を増加させますと、耳側の視神経が視蓋の正常な投射位置を通り過ぎて、後側まで侵入するのが観察されました(図5)。逆に、優位抑制型Ptproの強制発現により内在性のPtproの活性を抑制しますと、鼻側の視神経の投射位置が本来の投射位置より前側かつ背側に移動することが観察されました。また、RNAi(注6)を用いてPtproの発現を抑制した場合においても、同様の投射の変化が観察されました。以上の結果から、PtproはEphの活性を負に制御することにより、領域特異的な神経間結合の形成において重要な役割を果たしていることが明らかになりました。

【今後の展開】

 今回、本研究チームによって、神経回路の形成過程において、リン酸化されているチロシンからリン酸を除去する受容体型チロシンホスファターゼであるPtproが、チロシンをリン酸化する受容体型チロシンキナーゼであるEphの機能を制御している詳細な仕組みが明らかにされました。Ephと同様に、Ptproも神経系以外の様々な組織に広く分布しているため、PtproがEphの機能の制御を普遍的に行っていることが推測されます。このため、様々な組織におけるPtproによるEphの制御機構について、今後、詳細な解析を進める必要があると考えられます。これらの解析の進展が、Ephの異常によって生じる様々な疾患に対する治療法を開発するきっかけとなると期待されます。さらに、Ephは神経軸索の再生や幹細胞の維持に機能していることも示唆されているため、PtproがEphを制御する仕組みが再生医療に応用されることも期待されます。

<用語の説明> 図1 図2 図3 図4 図5

【論文名】

「Eph receptors are negatively controlled by protein tyrosine phosphatase receptor type O」
(和訳:Eph受容体はプロテインチロシンホスファターゼOによって負に制御されている)
【著者名】新谷隆史、井原賢、作田拓、高橋弘雄、渡我部育子、野田昌晴
doi :10.1038/nn1697

【研究領域等】

この研究テーマを実施した研究領域、研究期間は以下のとおりです。
 戦略的創造研究推進事業チーム型研究(CREST)
 研究領域:生物の発生・分化・再生(研究総括:堀田 凱樹)
 研究課題名:網膜内領域特異化と視神経の発生・再生機構
 研究代表者:野田 昌晴(大学共同利用機関法人自然科学研究機構 基礎生物学研究所 教授)
 研究期間:平成13年度〜平成18年度

【お問い合わせ先】

野田 昌晴(のだ まさはる)
 大学共同利用機関法人自然科学研究機構 基礎生物学研究所 統合神経生物学研究部門
 国立大学法人総合研究大学院大学 分子生物学専攻
 〒444-8787 愛知県岡崎市明大寺町字東山5−1
 TEL:0564-59-5846, FAX:0564-59-5845
 E-mail:

佐藤 雅裕 (さとう まさひろ)
 独立行政法人科学技術振興機構 戦略的創造事業本部 研究推進部 研究第一課
 〒332-0012 埼玉県川口市本町4−1−8
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