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平成26年5月20日

科学技術振興機構(JST)
名古屋大学

アルツハイマー病関連分子の脳内分布を3次元で測定することに成功
〜LMD−MS法:新しい質量分析イメージング技術の確立〜

ポイント

名古屋大学 環境医学研究所の澤田 誠 教授らの開発チームは、アルツハイマー病関連物質のマウス脳内での3次元分布状況を測定することに成功しました。この研究成果は、JST 先端計測分析技術・機器開発プログラムの一環として開発された「質量分析イメージング技術」により得られたものです。

アルツハイマー病の発症の原因物質の可能性が高いとされるアミロイドβ注1)は、「単量体」が凝集すると水に溶けにくい繊維形状の「重合体」になり脳に沈着します。この単量体と重合体の分布状況を把握することで、アルツハイマー病の発症メカニズムの解明や治療薬の開発に貢献できると考えられますが、これまで脳内における3次元分布を測定した例はありませんでした。

今回開発チームは、アルツハイマー病のモデルマウスの脳から連続した層状の組織片を切り出し、その上の複数のポイントをレーザーと熱溶融フィルム注2)を用いて格子状にサンプリングし、それぞれについて質量分析を行いました。この工程を各層で繰り返し、測定データを正確に再構成することで3次元の分布状況が分かる技術を確立しました。この技術により、アルツハイマー病のモデルマウスの脳内ではアミロイドβの単量体と2量体の空間分布が異なることが世界で初めて検出できました。今後、さらに詳細な観察を行うことで、アルツハイマー病の発症メカニズムに迫っていけると期待されます。

この技術は、広く普及している質量分析装置を利用して測定できるので、創薬・医学を始めとする多くの分野の研究開発に活用されることが期待されます。

本研究成果は、大阪で開催される「第9回日本分子イメージング学会」で5月23日に発表されます。

本開発成果は、以下の事業・開発課題によって得られました。

事業名 研究成果展開事業(先端計測分析技術・機器開発プログラム)要素技術タイプ
開発課題名 「サブセルラー分析対応高解像度質量分析イメージング試料調製技術の開発」
チームリーダー 澤田 誠(名古屋大学 環境医学研究所 教授)
開発期間 平成23〜25年度
担当開発総括 伏見 譲(埼玉大学 名誉教授)

JSTはこのプログラムの要素技術タイプで、計測分析機器の性能を飛躍的に向上させることが期待される新規性のある独創的な要素技術の開発を目指しています。

<開発の背景と経緯>

質量分析イメージング技術は、分子の重さを測定する質量分析技術とその分子が生体組織のどこに含まれているかという画像(イメージ)を一度に測定することが可能であり、さまざまな分野での利用が期待されています。例えば、疾患部における原因物質の探索や、薬物の生体内における移動や蓄積の観察などといった医療分野での応用を始め、視覚的な情報が得られることを利用して、機能性食品中の成分分布状況を測定することにも使われています。また、農作物の品種同定や品質保証、あるいは残留農薬の検査など、その応用範囲は非常に広範囲ですが、まだ高価であるため多くは普及していません。

一方、質量分析装置(MS)は通常の分析装置として非常に広く普及し、分子の質量が小さいものから2,000ダルトン以上の高分子の解析も可能です。しかし、普及機での質量分析イメージングはその機能上実現が難しいものでした。これは、普及機で測定する場合、試料となる生体組織を破砕し、そこからの抽出液を分析しなくてはならず、物質の同定はできても、その物質が本来体内や細胞のどこにあったのかが分からなくなってしまうからです。しかし、大学や研究施設には質量分析装置がたくさんあるので、それらを利用して質量分析イメージングができることが求められていました。

名古屋大学 環境医学研究所の澤田教授らの開発チームは、普及型の各種質量分析装置と組み合わせることで質量分析イメージングが実現できる試料前処理技術を確立する研究に取り組みました。

開発チームは、独自に開発した「座標再現機能注3)」を使って、性質の異なる分析機器を連携させる技術をすでに確立していました。これは、生物顕微鏡や細胞組織スライド用スキャナー装置の画像データが示す位置と、物質的な分析を行うために目的部位を切り出す「顕微レーザーマイクロディセクション(LMD)装置注4)」のレーザーを用いる位置とを対応付けるために位置座標を正確に再現する技術です。

しかし、切り出してくる小片は5から10、大きくてもせいぜい100マイクロメートル(μm、マイクロは100万分の1)程度の微小片なので、紛失してしまう危険も大きく、取り扱いが非常に困難でした。さらに、組織小片やその破砕物をそのまま質量分析した場合は、分析に不適な物質も含まれているので、データの有効性が損なわれるという問題がありました。

開発チームは、これらの課題を解決するために熱溶融性フィルムを使って、一度小片をフィルムに貼り付け、そのフィルム上で質量分析できる技術を開発しました(図1)。これにより、生体組織上のある部分から網羅的に位置情報を持った小片を切り出すことができ、余計なものが混じったピークを抑制した高感度な質量分析が可能になりました。

<開発の内容と装置性能>

今回の開発では普及型質量分析装置(例えば、マトリックス支援レーザー脱離イオン化法飛行時間質量分析計、MALDI−TOF−MS)で空間分解能5μmの質量分析イメージングが実現できる前処理装置を実現するため、以下の開発を行いました。

1.LMDに搭載したオンライン連動座標再現ステージ(測定試料の固定装置)の改良
2.座標再現機能ソフトウエアの改造
3.LMDレーザー焦点径を1μmに改造

これにより以下の分析が可能となりました。

1.5μm以下の空間分解能を達成

この空間分解能は、各種生体成分の細胞内の分布を測定できる分解能であることを意味します。さらに、熱溶融フィルムを改良することにより、より高分解能を実現できると考えられます。

2.分子の質量が15,000ダルトンまでの分子の3次元イメージングを実現

特に、アルツハイマー病モデルマウス脳の切片上で、これまで実現できなかったアミロイドβの単量体の他、2量体、3量体などの重合体が同定でき、それぞれの脳内の分布を世界で初めて表示できるようになりました(図2)。

3.座標再現機能により分子の分布を3次元表示で再現

本技術では座標再現機能を用いて位置決定をしているため、連続する組織切片間の位置情報を正確に再現でき、世界で初めて3次元での質量分析イメージングも実現できるようになりました(図3)。

今回開発したLMD−MS法の性能・特徴は以下のようになります。

分析能:分子の質量15,000ダルトンまでの生体高分子の分析が可能
難水溶性ペプチド分析:本技術で達成
空間分解能:5μm:細胞下構造体の分析が可能。さらに高精度化も可能
3次元イメージ構築:座標再現機能により実現
・ 本技術では安価に容易な質量分析イメージングが可能
・ 普及型の質量分析計に対応
・ 液体クロマト質量分析装置(LC−MS)への対応も可能
また、熱溶融フィルムを用いることで微量の難水溶性ペプチドの検出に障害となっていた余計なシグナルを抑制することができるようになり、血液サンプルを用いても非常に高感度な検出が可能になりました(図4)。

本技術の意義は、これまで求められていた分子の質量2,000ダルトンを越える生体分子の質量分析イメージングが手軽に実現できることです。次にこれまでいろいろな方法でも検出が困難であった微量の難水溶性ペプチドであるアミロイドβの単量体や重合体の脳内3次元分布が同定できたことにあります。

図3に示す通り、アルツハイマー病モデルマウスの脳内ではアミロイドβの単量体と2量体の空間分布が異なることが世界で初めて検出できました。この分布は脳の神経細胞の配置の違いに相関しているようにも見えます。アミロイドβの生体内での生成は、まず単量体が生じ、それが重合して巨大な繊維状の老人斑を形成すると考えられています。今回示すことができた単量体と2量体の分布の違いが単量体の産生される部位と重合体が形成される部位が異なっていることに起因するのか、それとも産生した単量体が周囲に拡散することによって重合していくのかなどの新たな疑問を生み出しました。今後、本技術を用いることによって、アミロイドβの産生と重合のメカニズムを追求し、まだ明らかとなっていないアルツハイマー病の発症メカニズムに迫るものと考えられます。

<今後の展開>

今回開発したLMD−MSは、先端計測分析技術・機器開発プログラムの要素技術として開発した装置の集合ですが、これらをパッケージ化した一体型装置とすることも可能です。現在、機器メーカーと実機作成に向けた検討を行っています。さらに本開発の前処理装置は、液体クロマト質量分析装置(LC−MS)に組み合わせることも可能なため、生体試料中の微量タンパク質の定量性に優れた解析への適用が期待できます。LC−MSと組み合わせるLMD−MS法についても、検討を始める予定です。

<参考図>

図1

図1 LMD−MS法の概略説明図

  • ① 光学顕微鏡を用いて、測定したい部位を選定します。
  • ②−1 LMDにより測定する小片を切り取りしてサンプリングをします。
  • ②−2 LMDでサンプリングした小片を熱溶融フィルムに配置します。
    質量分析で計測したデータを再構成するので、LMDによるサンプリング位置と熱溶融フィルムに配置する位置が同じ並びである必要はありません。質量分析装置の仕様にあわせて任意の位置に配置可能です。
  • ③ 通常のマトリックス(イオン化が難しいタンパク質に混ぜることで結晶化する化合物。質量分析装置での測定時にイオン化しやすくなる)を塗布します。
  • ④ 質量分析を行い、その測定結果に光学画像データと重ね合わせます。
図2

図2 アルツハイマー病モデルマウスにおけるアミロイドβペプチドの検出および質量分析イメージング

アルツハイマー病モデルマウス脳の切片上で、蛍光染色や抗体染色によっても検出が難しいアミロイドβの単量体、2量体、3量体が同定でき、脳内の分布を表示できるようになりました。

図3

図3 マウス脳のアミロイドβ単量体、2量体の3次元表示

図4

図4 血液中のアミロイドβの検出

LDM−MS法は、非常に高感度であり、ごくわずかな試料からでも測定が可能になりました。一例として、これまでさまざまな測定方法で検出が困難だった血液中に含まれるアミロイドβペプチドの測定に必要な血液量は、わずか6ナノリットル(ナノは10億分の1)です。図中Aβ1−40はアミロイドβのうち40個のアミノ酸で構成される分子です。

<用語解説>

注1) アミロイドβ
アミロイドβは40から42個(または43個)のアミノ酸からなるペプチドで、β−およびγ−セクレターゼという酵素の働きによって前駆体タンパク(APP:amyloid β protein precursor)から切り出されて産生されます。アルツハイマー病ではアミロイドβが凝集して不溶性の線維形成がなされてアミロイドとなり脳に沈着しますが、アミロイドβに神経毒性があるため原因物質の有力候補とされています。
注2) 熱溶融フィルム
熱をかけることによって溶けて対象物に接着し、冷えて固化する性質を持つ樹脂でできたフィルム。用途によってEVA(エチレン酢酸ビニル共重合体)系、PO(ポリオレフィン)系、PES(ポリエステル)系、ACR(ポリアクリル)系、PUR(ポリウレタン)系など、さまざまなタイプのものがあります。本開発では生体物質にあまり影響を与えない温度で溶け出し、溶けた樹脂の拡散が少ないEVA系のフィルムを使用しました。
注3) 座標再現機能
測定する対象の2次元位置を異なる計測装置の間で同期させる機能のこと。例えば、複数の異なる機能を有する顕微鏡のX−Yステージ(測定対象を水平方向に自在に移動させる装置)を同期させることにより、観測したい測定対象のあるポイントについて、どの顕微鏡を用いても同じポイントを観測することができるものです。この機能を用いれば、高解像度のスライドスキャナ(画像を見る装置)とレーザーマイクロディセクション(小片を切り出す装置)のX−Yステージを同期させることで、スライドスキャナでとらえた切り出したい細胞を、レーザーマイクロディセクションのレーザーの真下へ瞬時に持ってくることができるようになり、目的とする細胞を正確に切り出すことができます。
 本開発では、レーザーマイクロディセクション装置と質量分析装置のX−Yステージを同期させた上で、さらに測定したい細胞を熱溶融フィルム上の任意の位置に貼り付ける機能を追加しました。
注4) 顕微レーザーマイクロディセクション(LMD)装置
顕微鏡にレーザー照射装置が接続された機器を使って、顕微鏡で組織切片を観察しながら、切片上の標的とする細胞のかたまりをレーザーによって切り出し、採取、回収する装置。生体組織から目的とする細胞を直接採取することができるため、生体内において特定の遺伝子やたんぱく質がどの細胞にどれだけ発現しているのかを正確に知ることができます。切り出しに用いるレーザーの種類、組織回収法、空間分解能などが異なる装置が市販されています。

<学会発表演題>

“Detection of Aβ1-40 monomer/polymers on mouse brain sections by LMD-based MS imaging”
(改良型LMDを用いた脳切片上のアミロイドβ(1−40)の質量分析イメージング)
(発表者:鈴木 弘美、大石 幸一、小野 健治、澤田 誠)
(所 属:名古屋大学 環境医学研究所・脳機能分野)

<お問い合わせ先>

<開発内容に関すること>

澤田 誠(サワダ マコト)
名古屋大学 環境医学研究所 教授
〒464-8601 愛知県名古屋市千種区不老町
Tel:052-789-5001 Fax:052-789-3994
E-mail:

<JST事業に関すること>

山下 篤也(ヤマシタ アツヤ)、菅原 理絵(スガワラ マサエ)
科学技術振興機構 産学連携展開部 先端計測室
〒102-0076 東京都千代田区五番町7 K’s五番町
Tel:03-3512-3529 Fax:03-5214-8496
E-mail:
ホームページURL:http://www.jst.go.jp/sentan/

<報道担当>

科学技術振興機構 広報課
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名古屋大学 総務部 広報渉外課
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