マイコプラズマはヒト肺炎などで知られる病原菌で、宿主の細胞にはり付いたまま "滑走運動"を行います。マイコプラズマゲノムの塩基配列だけでなく、これまでに同定された運動に関するたんぱく質の構造もまた、マイコプラズマの運動が既知のものとは全く異なるメカニズムであることを示していました。しかし、その滑走の装置がどのような形状をしているかについては全くの謎でした。本研究では、マイコプラズマ細胞の膜を界面活性剤で溶かし、DNAを分解酵素で取りのぞくことにより、滑走装置のみを電子顕微鏡下に可視化し、詳細に解析することに成功しました。その構造は、これまでどんな生物でも見つかったことのない興味深いものでした(くらげ構造)。マイコプラズマの滑走運動はマイコプラズマ感染に深く関連するため、今回の成果は新たな生体運動の分子メカニズム研究分野の確立につながるだけでなく、マイコプラズマ性疾患の治療薬の開発にも大きく貢献できるものと考えられます。
本成果は、JST戦略的創造研究推進事業 個人型研究(さきがけ)「生体分子の形と機能」研究領域(研究総括:郷信広 日本原子力研究開発機構 特別研究員)の研究テーマ「マイコプラズマ滑走運動の分子メカニズム」の研究者・宮田真人(大阪市立大学大学院理学研究科 教授)らによって得られたもので、米国科学誌「米国科学アカデミー紀要(PNAS)」の電子版で2007年11月19日の週(米国東部時間)に公開されます。
【研究成果の概要】
■研究の背景と経緯
マイコプラズマはヒト肺炎などで知られる病原菌で、宿主の細胞にはり付いたまま "滑走運動"を行う。その細胞は長さ1ミクロン前後のフィラメント状あるいは楕円状で、片方の端に膜突起を持ち(図1)、細くなった端(膜突起)でガラスや動物細胞にはり付き、はり付いたまま、細くなった側に向かって動く。
例えば、滑走運動の速度は肺炎菌のMycoplasma pneumoniae の場合では毎秒0.4-1ミクロン、最も速いMycoplasma mobile では毎秒2-4.5ミクロンにも及ぶ(以下のURLを参照のこと。http://www.sci.osaka-cu.ac.jp/~miyata/myco1.htm , http://www.jstage.jst.go.jp/article/biophys/44/5/44_218/_applist/-char/ja/)。しかし、マイコプラズマゲノムの塩基配列を見ても、既知のバクテリア運動のたんぱく質や、ほとんどの真核生物の運動を担うミオシンのようなモーターたんぱく質(注1)をコードする遺伝子などは見つからず、マイコプラズマの運動が既知のものとは全く異なるメカニズムであると考えられていた。
宮田らはこれまでに滑走運動に直接関与する3つの巨大なたんぱく質をMycoplasma mobileから同定、単離した。Gli123、Gli349、Gli521、と名づけられた3つのたんぱく質は、膜突起の基部(neck)に局在しており(図2)、既知のたんぱく質とは全く異なる分子構造を持っていることを明らかにしている。また、50ナノメートル長の"あし"様構造物が多数neck部分から突き出しており、それぞれの先端がガラス表面に接している様子も明らかにしている。さらに、界面活性剤で細胞膜に穴をあけ、細胞質をとりのぞいた"ゴースト"がATP(注2)の添加により、もとと同じ速度で滑走することを示した(https://www.jst.go.jp/pr/announce/20050823/index.html)。この発見を踏まえて、宮田らは、「主にGli349で形成されたあしが、ATPの加水分解によって生じた力によって動かされ、ガラスへの結合、ストローク、解離、もどり、をくり返して細胞を前に引っぱる」というモデルを提案した(図3)。
■今回の論文の概要
マイコプラズマ細胞は他の細菌とは異なり細胞壁(注3)を持たないため、本研究では、滑走の力を支える細胞骨格構造(注4)が細胞内部に存在すると予測した。しかし、これまでの超薄切片を用いた電子顕微鏡観察などからは該当する構造は発見されなかった。これは細胞内部に細胞骨格構造以外に可溶性のたんぱく質やDNAなどが存在するため、十分な画像コントラストが得られないことが原因として考えられた。そこで細胞膜とDNAをそれぞれ界面活性剤とDNA分解酵素で除去し、細胞骨格構造のみを残す方法をとり、これまで見いだせなかった細胞骨格様構造を発見することに成功した(図4,5)。「くらげ構造」と名づけたその構造を画像処理により解析し、変異株を用いることで滑走運動との関係を示した。また、10種類の構成たんぱく質を新たに同定した。
本研究の成果は、(1) マイコプラズマ滑走運動の解明、(2) まったく新規の細胞内構造の発見、という2つの観点から重要な意味を持つ。
■今後期待できる成果
現代人にとってマイコプラズマ性肺炎は死に至るような病気ではないが、入院を要するような事態をしばしば引き起こす。それは、マイコプラズマに効果を示す抗生物質は一般的に他の抗生物質と比べて毒性が高いため、マイコプラズマ性肺炎の可能性だけでは抗生物質を処方できないことが最大の原因である。本研究でその装置を明らかにしたマイコプラズマの滑走運動は、マイコプラズマ感染において重要な位置を占める上に、マイコプラズマに特異的な現象である。そのため、今回の成果を足がかりにしてマイコプラズマ滑走運動についての理解を深めることが、人間における安全性の高いマイコプラズマ特効薬の開発につながると考えられる。また、トリやブタなどの深刻なマイコプラズマ性疾患に対する特効薬開発においても重要な知見になると期待される。
<参考図>
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図1 Mycoplasma mobileの顕微鏡像 |
図2 neck表面にあしが存在する |
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図3 あしでガラスをつかんでひっぱる |
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図4 くらげ構造 |
図5 くらげ構造の模式図 |
【論文名】
Proc. Natl. Acad. Sci. USA
"Cytoskeletal "Jellyfish" structure of Mycoplasma mobile"
(マイコプラズマ・モービレの細胞骨格、"くらげ構造")
doi: 10.1073/pnas.0704280104
【研究領域等】
JST戦略的創造研究推進事業 個人型研究(さきがけ) | |
研究領域 | :「生体分子の形と機能」研究領域 (研究総括:郷信広 日本原子力研究開発機構 特別研究員) |
研究課題名 | :「マイコプラズマ滑走運動の分子メカニズム」 |
研究者 | :宮田真人(大阪市立大学大学院理学研究科 教授) |
研究実施場所 | :大阪市立大学大学院理学研究科 |
研究実施期間 | :平成15年11月~平成19年3月 |
【用語補足】
注1.モーターたんぱく質
ATPなどを加水分解しながらレールたんぱく質の上を動き、生体の動きを作るたんぱく質。ミオシンやキネシンなど。真核生物のあらゆる部分で見られ大きな多様性を示すが、共通の祖先を持つたんぱく質であると考えられている。ここではこのような意味で用いられているが、場合によっては動きを持つたんぱく質全般を指すこともある。
注2.ATP(アデノシン三リン酸)
エネルギーを必要とする多くの生体反応にエネルギー供給を行うために使われている物質。生体内エネルギーの通貨と言われる。主に呼吸や光合成により作られる。
注3.細胞壁
細胞膜外側に形成され、細胞を支える構造。細菌の場合は、ペプチドグリカンで形成される。マイコプラズマは細胞壁を持たない細菌として知られる。
注4.細胞骨格構造
細胞を内側からささえる構造。かつては真核生物に特有のものと考えられていたが、細菌をふくむ原核生物にも存在することが近年、明らかになってきた。微小繊維(アクチン繊維)、微小管、中間径繊維がよく知られている。
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