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平成19年2月19日

東京都千代田区四番町5−3
独立行政法人科学技術振興機構(JST)
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財団法人 高輝度光科学研究センター
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抗原抗体反応時に起こる分子運動の変化を発見

(SPring-8にて原子サイズ精度以下の動的挙動を観測)

 JST(理事長 沖村憲樹)と財団法人高輝度光科学研究センター(理事長 吉良爽)は、生体高分子にナノ結晶1個を標識することにより生体1分子のブラウン運動を詳細に計測できるX線1分子追跡法(Diffracted X-ray Tracking:DXT)を用いて、免疫反応を起こす特定の物質(抗原(注1))を認識して結合する抗体分子(注2)のブラウン運動が、抗原との結合反応により大きく抑制されることを発見し、免疫で大きな役割を果たす抗原抗体反応の動的挙動の観察に成功しました。詳細な解析の結果、抗原抗体間の結合力が強いほど、抗体分子のブラウン運動の抑制度合が大きくなることが定量的に明らかになりました。これは、生体分子間相互作用の定量解析が1分子の高精度運動解析から可能であることを示した世界初の成果です。
 本研究グループは、1分子の動きを原子の大きさよりも小さいピコ(10-12)メートル精度で実時間計測できるDXT法を考案、研究を進めてきました。大型放射光施設SPring-8(注3)を利用するDXT法で明らかになる運動の計測精度は原子の大きさよりも小さいサイズです。これは可視領域の波長を利用した他の光学1分子計測法よりもはるかに高精度なものです。1分子レベルにおける生体分子間相互作用の定量解析が可能になったのもこのDXT法が桁外れの高感度特性を有しているからです。
 リンパ球の一種であるB細胞上の受容体としての役割も持っている抗体分子は、細胞外にある抗原の存在をどうやって細胞内部に伝達しているのか、そのシグナル伝達機構について様々な議論がなされてきました。その可能性の一つとして抗原との結合による抗体分子の構造変化があげられていましたが、動的挙動がどのように変化しているのかは、従来の解析手法では明らかにすることができませんでした。
 今回、初めて解析が可能になったことにより、抗体分子の動的挙動がシグナル伝達機構にどのように機能しているか、今後の研究に大きな期待が寄せられます。また、抗原抗体反応を代表とする生体分子間相互作用の解析は、生命現象の解明、医薬品やバイオセンサーなどの開発への基礎的で重要な研究手法であり、これが1分子レベルで行えることは、サンプル作製のコスト削減などにもつながり、今後広域な関連分野に大きな影響を与えるものと予想されます。
 本研究成果は、戦略的創造研究推進事業チーム型研究(CREST)「たんぱく質の構造・機能と発現メカニズム」研究領域(研究総括:大島泰郎)の研究テーマ「X線1分子計測からのin-vivo蛋白質動的構造/機能解析」の研究代表者 佐々木裕次(SPring-8/(財)高輝度光科学研究センター主幹研究員)らによって得られたもので、米国科学雑誌「Biochemical and Biophysical Research Communications」オンライン版に近日中に公開されます。


<研究の背景>

 免疫反応時に起こる、病原体等を認識しそれと結合して排除したり、受容体を介して非自己物質の存在を細胞内に伝達して、免疫細胞を活性化したりというような機能性生体高分子の機能が、どのような分子間相互作用によってなされているのかを詳細に理解するためには、その着目する分子内部の運動を実時間で、それも1個の分子に対して極めて高い位置決定精度で計測しなければなりません。それを実現できる方法にX線1分子追跡法(Diffracted X-ray Tracking: DXT)があります。DXT法は図1に示すように、標的となる分子に非常に結晶性の良いナノ結晶(直径15nm(ナノメートル=10-9メートル))1個を反射鏡代わりに標識し、そこにSPring-8から得られる強力な白色X線(放射光)を照射して得られるX線回折(注4)(または反射)斑点を追跡することで、標的とする1分子内部の動きをピコメートル精度でかつミリ秒時分割で実時間計測できるという本研究グループが考案し実現した高精度1分子追跡法です。直接分子の運動を見ているわけではありませんが、水溶液のような高粘性条件下では、この標識したナノ結晶と標識されている生体分子の末端部位の運動はほぼ同様の運動であることが判ってきました。今まで、DNA分子、可溶性タンパク質分子、機能性膜タンパク質分子など多くの1分子動的挙動計測に成功しています。
 ブラウン運動は1827年にイギリスの植物学者ロバート・ブラウンによって水中における花粉の顕微鏡観察で発見されました。その後この現象は、当時注目されていたアインシュタインの分子運動論を証明することに利用されました。本研究において注目しているブラウン運動は、花粉のような身近な微粒子から1分子に至るまで共通の極めて重要な物理現象です。このブラウン運動を詳細に解析することは、機能性生体高分子の動的挙動を理解する上でも同様に重要です。今までの測定結果から、DXT法は分子全体のブラウン運動の計測だけではなく、1分子内部にある局部的なブラウン運動も計測可能であることが判ってきました。

<研究成果の内容>

 本研究グループでは、タンパク質1分子内の動的挙動を研究対象にしています。上記DXT法では個々の分子内運動を詳細に計測できます。そこで、生体分子間相互作用の前後において分子内運動がどのような規則で変化しているのか、本X線1分子追跡法(DXT)を用いて観察することにしました。
 本実験で利用したのは、免疫系の重要分子である抗体(図2)です。抗体を選んだ理由はいくつかあります。例えば、抗原抗体反応と同じくらい生体反応で有名なものには、酵素基質反応がありますが、酵素が基質と結合すると酵素反応により基質を別の物質に変えて手放してしまうので、基質を結合した状態での酵素分子内運動を安定に観察することが、現状の計測スピードでは困難です。その点、抗体は、抗原と結合しても酵素反応のようなことは起きずに安定的に抗原抗体複合体を形成しているので観察できます。また同じ抗原に対してそれぞれ結合力の異なる一連の抗体を比較することで抗原に対する結合力と抗原結合に伴う抗体分子内運動の変化との相関関係を調べることにとても好都合でした。
 上記実験は、大型放射光施設SPring-8(BL-44B2)で行ないました。検出器は、X線イメージインテンシファイヤー(蛍光増倍管)を使用し、数ミリ秒のX線パルスを用いて、2秒間で30ミリ秒積算の60回連続計測をおこないました。測定温度は20℃に設定してすべての実験を行ないました。抗原結合前と結合後の抗体Fab(抗原との結合部)領域の分子内運動を比較した結果を図3に示します。
 分子内ブラウン運動の評価は、平均二乗変位量(Mean-square Displacement:MSD)(注5)と計測時間との相関によってなされます。その相関が直線で結ばれる時は(図4)通常の単純ブラウン運動、飽和曲線になると、ある拘束力が加わったブラウン運動。そして、放物線の関係になれば、一方向からの外力がブラウン運動に加わっていることを示します。この外力はX線1分子計測法ではX線からの放射圧であることが本研究グループの解析によって明らかにされています (平成18年7月20日付プレス発表)。
 図3の結果を見ると、抗原を結合した抗体Fab断片は、抗原を結合していない時よりも、分子内運動量が小さくなり、プロットが放物線からより直線的な形になっていることから、X線の放射圧による力に対して堅くなっていることが分かりました。抗原抗体反応を代表とする分子間相互作用では、結合反応が起こると分子全体が安定化して、その運動特性も安定化し揺らぎ幅も小さくなるという予想は、以前から多分子系の研究で理論的にも実験的にもされていました。しかし、1分子でその事実を確認することは今まで成功していません。本研究では、DXT法により1分子レベルでの運動特性の安定化を確認することに世界で初めて成功しました。
 このMSDカーブから分子内ブラウン運動の大きさを示す係数()とX線の放射圧による力に対する抗体Fab断片の柔らかさを示す係数(V)を算出し、抗原に対する結合力()およびこれから算出されるギブス自由エネルギー変化(ΔG(注6)と共に表1にまとめました(ΔGとの間には、ΔG = -RTln (R: 気体定数、T: 絶対温度)という関係式が成り立っています)。抗原結合による値、値の減衰比を各抗体で比較してみると値は、4種類の抗体間でそれほど大きな差が見られないのに対し、値は抗原に対する結合力に相関して減衰比が大きくなっていることに気づきました。そこで図5にて値の減衰比とギブス自由エネルギー変化との関係を確認してみたところ、とても興味深いことに両者で比例関係が極めて良く成り立っていました。これは、1分子レベルで分子間の結合力を決定できることを示しています。
 本実験では、実験系を簡単にするために抗体Fab断片を用いましたが、同様の分子内運動の制御は、完全な形の抗体分子の時も起こることが予想され、抗原受容体のシグナル伝達機構をはじめとした抗体の機能との関連性を議論する上でも今後の研究に大きな期待が寄せられます。

<今後の展開>

今後の実験としては、DNA−DNA結合蛋白質、ホルモン−ホルモン受容体など抗原抗体反応以外の生体分子間相互作用系でも、1分子レベルで分子間の結合力を決定できるかの確認をしなければなりません。一方、今回見られたような抗体の分子内ブラウン運動が、シグナル伝達をはじめとする抗体の機能とどのように関係しているかを明らかにする必要があります。このようなことが明らかになれば、将来は分子内ブラウン運動を制御することによる生体機能の制御ができるようになるかもしれません。
 また、抗原抗体反応をはじめとする生体分子間相互作用の解析は、生命現象の解明、医薬品やバイオセンサーなどの開発への基礎的な研究手法でありますが、従来の方法では計測手法や測定条件にもよりますが約1010〜の分子数を必要としていました(表2)。取り扱うサンプル系によっては、これだけの量を集めるのが非常に困難だったり、コストがかかってしまうことがありました。しかしながらDXT法を用いれば理論上1分子から分子間相互作用を解析することが可能であり、今後広域な関連分野に大きな影響を与えるものと予想されます。
 さらに現在、計測時間の高速化、ナノ結晶の形状の制御などの技術開発も行っていますが、これらが確立されれば生きた細胞内で起きている様々な生命現象を1分子レベルで、しかもリアルタイムで観測することも可能となるでしょう。
 また、同様の測定を電子顕微鏡ですることも、現在CREST「生命現象の解明と応用に資する新しい計測・分析基盤技術」領域(研究総括:柳田敏雄)において研究展開を進めています。よりコンパクトな装置構成での生体分子内運動の計測法は、放射光施設利用とは別の研究展開が可能になるでしょう。

図1 図2 図3 図4 図5
表1 表2  
<用語解説>

<論文名>

T. Sagawa, T. Azuma, and Y. C. Sasaki:"Dynamical regulations of protein-ligand bindings at single molecular level"
doi: 10.1016/j.bbrc.2007.02.031
和名:1分子レベルでの生体分子間相互作用の解析

著者:佐川琢麻(CREST研究員)、東隆親(東京理科大学生命科学研究所所長(教授))、
佐々木裕次(SPring-8/(財)高輝度光科学研究センター主幹研究員)

<研究領域等>

この研究テーマを実施した研究領域、研究期間は以下の通りです。

○研究領域:たんぱく質の構造・機能と発現メカニズム
(研究総括:大島泰郎(共和化工株式会社 環境微生物学研究所 所長))
研究課題:X線1分子計測からのin-vivo蛋白質動的構造/機能解析
研究代表者:佐々木裕次(SPring-8/(財)高輝度光科学研究センター 主幹研究員)
研究期間:平成13年度〜平成18年度

<お問い合わせ先>

佐々木 裕次(ささき ゆうじ)
財団法人 高輝度光科学研究センター
〒679-5198 兵庫県佐用郡佐用町光都1−1−1
TEL:0791-58-0833 (ext.3931) FAX:0791-58-2512
E-mail:

中田 一隆(なかだ かずたか)
独立行政法人科学技術振興機構
戦略的創造事業本部 研究推進部 研究第一課
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