平成17年 5月10日

独立行政法人理化学研究所
独立行政法人科学技術振興機構

カーボンナノチューブで人工原子を実現

― ナノエレクトロニクスの新素材としての可能性を実証 ―


◇ポイント◇
・ 原子が持つ電子の殻構造と準位の磁場によるゼーマン分裂を1本のカーボンナノチューブで観測に成功
・ 原子の世界の最も基本的な2個の電子間の相互作用をカーボンナノチューブ人工原子で直接観測に成功
・ 量子コンピュータ、単電子エレクトロニクス、テラヘルツ波検波用の基本素子への発展に期待

 独立行政法人理化学研究所(野依良治理事長)と独立行政法人科学技術振興機構(JST,沖村憲樹理事長)はカーボンナノチューブで人工原子を作製することに世界で初めて成功しました。理研中央研究所石橋極微デバイス工学研究室 石橋幸治主任研究員らのグループにより、JST戦略的創造研究推進事業チーム型研究(CRESTタイプ)の研究テーマ「カーボンナノ材料を用いた量子ナノデバイスプロセスの開発」において得られた成果です。
 研究グループは、直径1ナノメートル程度の1本のカーボンナノチューブの中に電子を閉じこめ、その中に1個ずつ電子が入る様子を電気伝導を通して調べることにより、原子の特徴である電子の殻構造と磁場による準位のゼーマン分裂※1をカーボンナノチューブ人工原子で観測することに成功しました。準位の間隔はサブミリ波からテラヘルツ波の領域にあり、その周波数は自由に変えることができることも示されました。また、原子の世界の最も基本的な2個の電子の間に働く相互作用を直接測定することにも成功し、ミクロな世界を支配する量子物理学の基本原理をカーボンナノチューブ人工原子で実験的に確認することができました。本研究で、カーボンナノチューブ人工原子では電子の数やスピン状態を自由に制御できることが示され、量子コンピュータの基本素子であるスピン型量子ビットへの発展が期待されるばかりでなく、単電子エレクトロニクスやテラヘルツ波検波用新型素子など、ナノエレクトロニクスにおける広範囲な応用が期待できます。
 本成果は、米国の学術専門誌「Physical Review Letters」ウェブサイト上にオンライン出版されるとともに(5月11日)、5月13日号に掲載されます。

1.背 景

 ナノメートルサイズまで物質を小さくする手法およびそこに拓ける全く新しい世界は、ナノサイエンス・ナノテクノロジーと呼ばれ、近年盛んに研究されています。ナノの世界では電子は量子物理学的原理に支配され、それを応用したナノデバイスは、現在のシリコントランジスタの限界を打ち破ることが期待され、また、極微の世界を研究する重要な舞台となっています。電子をナノの空間に閉じこめた量子ドット構造はナノデバイスの一つで、超低消費電力が実現できる単電子エレクトロニクス※2や超並列計算が可能な量子コンピュータ※3などのナノエレクトロニクスの基本素子として期待されています。
 学問的な見地からは、量子ドットに閉じこめられた電子は原子核の周りを回る電子と本質的に状況が似ていることから※4、量子ドットは設計が可能な人工原子とも呼ばれており、自然の原子と比べた基本的な性質は大変興味深いものがあります。しかし、量子ドットの原子的振る舞いを調べ、それをナノデバイスに応用するには、先端リソグラフィー技術で加工可能な数十ナノメートルではまだ不十分であり、数ナノメートル級の真のナノ加工技術が求められています。カーボンナノチューブは1ナノメートル程度の超微細な直径を有することから、真のナノデバイス用材料として近年急速に期待が高まっています。今回の成果で、カーボンナノチューブ量子ドットは原子としての電子殻構造やエネルギースケールが自然の原子とは異なる人工原子であることを実際に示すことに成功し、量子の世界を実感できたばかりでなく、同時に量子コンピュータの基本素子の一つであるスピン型量子ビットが実現できたということにもなります。カーボンナノチューブのナノエレクトロニクス用材料としてのすばらしい資質は明らかにされたものの、もちろん、シリコンと並ぶ材料に育つかどうかはまさにこれからの研究課題であり、エレクトロニクスの新しい挑戦ということができます。

2.研究手法と成果

 量子ドットは微少な構造の中に電子がとらえられている構造です。原子も原子核の周りに電子がとらわれているというようにみれば、量子ドットは人工原子と考えることができます。原子の特徴は、電子の数、準位の配置およびその縮退度※5、準位間隔の典型的なエネルギー(周波数)、閉じこめポテンシャルの形などです。自然の原子では、電子は原子核の作るクーロンポテンシャルに捕まっており、その準位の配置は厳密に計算されています。たとえば、一番下の準位(基底準位)には電子は2個はいることができ、次の準位には8個といった具合です。このような、準位の構造を電子殻構造といいますが、自然の原子では、基底準位は2つの電子で閉殻し、次の準位は8つの電子で閉殻するなどといいます(図3)。
 人工原子では半導体人工原子がよく知られていますが、実は、人工原子としての性質が見えるのは電子の数が少ないときだけで、また、磁場に対する振る舞いは自然の原子と全く似かよっていません。カーボンナノチューブの中に電子を閉じこめた人工原子では、人工原子としてのサイズが格段に小さくなる、閉じこめポテンシャルが1次元的になるという点から、その人工原子としての性質やどこまで自然の原子に似ているのかという点に大変興味があります。
 さて、ナノのスケールの量子ドットの人工原子としての性質を調べるには、電流を流してみることが一番です。ナノのスケールになると、電子を量子ドットにたった1個いれるのにも無視できないくらいのエネルギーが必要となるため、ゲート電圧を用いて電子数を1個単位で人工原子に入れてゆくことができます。このようなデバイス構造を単電子トランジスタといいます(図4)。単電子トランジスタは小さければ小さいほど性能がよくなりますが(高温で動作する)、人工原子のような量子的な世界を調べるには、性能のよい単電子トランジスタを極低温にする必要があります。単電子トランジスタ構造で、ゲート電圧を連続的に変えながら観測される電流ピーク(クーロン振動ピーク)を詳細に調べることにより、人工原子の性質を調べることができます。
 実験では、クーロン振動は4つごとに間隔が広くなる、すなわち4電子周期構造が観測されました。このことは、カーボンナノチューブの電子殻構造が4電子で閉殻することを示しています。図5が、1つの電子殻における人工原子の性質に関するすべてを語るデータです。
 大きなソースドレイン電圧をかけた状態でクーロン振動を測定すると、人工原子の準位を反映した細かな構造が観測されます。この細かな構造が磁場とともにどのように動いてゆくかを調べる手法が、励起スペクトル測定と呼ばれるものです。図の励起スペクトルでは、赤いいくつかの線が見えますが、これは、そのまま人工原子の中の準位と思ってもらって結構です。電子殻に電子が1個入った状態では、磁場をかけると、赤い線が2つに分かれてゆくことがみられます。これは、1電子準位のゼーマン分裂と呼ばれ、電子は電荷のほかにスピンを持っていることに起因しています。このような明確なゼーマン効果は、半導体人工原子では決してみることができません。カーボンナノチューブで初めて観測できたわけで、自然の原子のゼーマン効果と全く同じです。この点から、カーボンナノチューブ人工原子は、半導体人工原子よりも、より自然の原子に似ているということができます。
 もう一つ重要な発見は、いわゆる相互作用する2電子の状態が初めて直接観測されたことです。ミクロな世界を支配する量子物理学によれば、2つの相互作用(クーロン反発)する電子の状態は、2つの電子をまとめて1つの状態として考える必要があります。波動関数の対称性(パウリの原理※6)の要求から、2つの電子のスピンに関して1重項状態(全スピンがゼロ)と3重項状態(全スピンが3)の2つの状態があることが教科書に書かれています。カーボンナノチューブ人工原子に電子を2個入れてみて、励起スペクトル測定を行い2電子の状態を調べたところ、このことを直接観測することができました。人工原子で2電子状態が直接観測されたことは全く始めてで、前の、電子殻構造の実現していること、ゼーマン効果の観測できることと併せて、カーボンナノチューブ人工原子はほぼ理想的に自然の原子に近いということが初めてわかりました。
 以上のように、カーボンナノチューブの量子ドットで、電子殻構造を示すこと、量子準位のゼーマン分裂を示すこと、相互作用する2電子状態を直接観測することができること、の原子としての最も基本的な特徴を初めて観測することに成功しました。カーボンナノチューブが、人工原子材料としていかにすばらしいかを示しています。かつて、半導体超格子や量子井戸を考案した江崎玲於奈博士は、それらの研究は"Do it yourself Quantum mechanics"という、実験で実感する量子物理学ということを提唱されましたが、今回の成果は、それに加えて量子物理学における相互作用やスピンまでも実感できる"Do it yourself Quantum mechanics"であるということができます。

3.今後の展開

 人工原子は自然の原子のようにその特徴が固有のものではなく、電圧などで人工原子としての性質を変えることができます。たとえば、ゲート電圧を変えて人工原子の電子数を変えることができるし、そのことに対応してスピンの状態を変えることもできます。実は、われわれは今、このスピンの状態を変えることができるということに大変な興味を持っています。電子を1個持った人工原子を作り、それが磁場でゼーマン分裂をするということは、1個の電子スピンを実現できており、これはとりもなおさず量子コンピュータの基本素子であるスピン型の量子ビットなのです。それが、カーボンナノチューブで初めて実現できたことになります。したがって、次の目標は、この量子ビットを自由に操作する(好きな重ね合わせ状態を作る)ことです。カーボンナノチューブのスピンは、量子コンピュータにとって絶対に必要なコヒーレンスが他の材料よりも長いことが予測されており、量子コンピュータを作る材料としては最適であると思われます。実際に、コヒーレンスが長いことも実証してみたいと思います。
 もう一つ、我々が注目している点は、今回の実験で、カーボンナノチューブの人工原子としての特徴の一つである準位間の間隔がサブミリ波からテラヘルツ波の領域にあるということです(半導体量子ドットではマイクロ波※4)。この周波数領域は、電波と光の中間領域にあり重要性が認識されながら開発が遅れています。その領域での新しいナノデバイス応用として、電荷型の量子ビットをテラヘルツ領域で動かすことも考えています。  人工原子としての特徴を示すということは、カーボンナノチューブを使うと高性能な単電子トランジスタとなることを示しているわけですから、これはすでにわれわれが実証していますが、単電子エレクトロニクス用のロジックデバイスへと発展させ、室温で動作する超低消費電力な単電子エレクトロニクスができれば今のシリコン集積回路が抱える最難問である消費電力の問題が一気に片づくかもしれません(そんなに簡単にはいきませんが。。。)。
 最後に、人工原子ができたということは、自然の原子で行われている原子物理や量子光学といわれる分野の実験が固体デバイスでもできるかもしれないということです。まだこの方面への応用に関して具体的なアイデアはまだないのですが、じっくり考えてゆきたいと思っています。


■補足説明
■図1 新機能エレクトロニクスの変遷
■図2 カーボンナノチューブによるナノエレクトロニクス研究
■図3 自然の原子と人工原子
■図4 人工原子の中の構造を調べることのできる単電子トランジスタ
■図5 カーボンナノチューブ量子ドットの人工原子としての準位構造


(問い合わせ先)
独立行政法人理化学研究所
中央研究所 石橋極微デバイス工学研究室

主任研究員石橋 幸治

TEL: 048-467-9366FAX: 048-462-4659
独立行政法人科学技術振興機構 戦略的創造事業本部

特別プロジェクト推進室金子 博之

TEL: 048-226-5623FAX: 048-226-5703
(報道担当)
独立行政法人理化学研究所

広報室駒井 秀宏

TEL: 048-467-9272FAX: 048-462-4715
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