本成果はJSTバイオインフォマティクス推進事業の研究開発テーマ「線虫C. elegans発生過程のシステム解析」の代表研究者である慶應義塾大学大学院理工学研究科 大浪修一 特別研究助教授と、同 木村暁 特別研究助手によるもので、5月2日発行(米国東部時間)の米国科学誌「Developmental Cell誌(5月号)」に発表される。
●研究の背景
核は生物の設計図とも言える遺伝情報を保持する細胞内小器官であり、多くの場合、細胞の中心部に位置している。細胞は分裂したり動いたりと形を変えるが、核は常に細胞の中心部に位置している。そのため、細胞には核を細胞の中心部に移動させるしくみがあると考えられている。その顕著な例が、受精卵での雄性前核*1と呼ばれる核の移動である。
雄性前核は精子が卵子に侵入した位置(受精卵の端部)で作られ、その後、受精卵の中心部へ移動する(図1中列)。雄性前核の移動は、この核から放射状に多数伸びている微小管*2と呼ばれる棒状の蛋白質の働きによって引き起こされることがすでにわかっている。この微小管がどのように働いて核が中心部へ移動しているのかについては、[押しモデル]と[引きモデル]という2つのモデルが提唱されていた(1) (図2)。[押しモデル]は、伸びた微小管が細胞膜の内側を押すことによって核が中心部に移動するモデルである。一方、[引きモデル]は、微小管がその長さに比例した力で核を引き合い、微小管がより長く伸びることができる中心方向に核が移動するというモデルである。例えを用いると、私たちが手を使って右方向に移動したいときに、左手で壁を押して右に行くのか([押しモデル])、右手を誰かに引っ張ってもらって右に行くのか([引きモデル])、の違いのようなものだといえる。
顕微鏡で雄性前核の移動を観察すると微小管が細胞膜の内側にあたったときに核が移動し始めるように見えるため、古くから[押しモデル]が信じられてきた(2)。ところが、別の研究で微小管が細胞膜の内側にあたらなくても雄性前核が移動するとわかり、[引きモデル]も注目されるようになった(3)
○コンピュータ・シミュレーションを使って[押しモデル]と[引きモデル]の性質の違いを発見
雄性前核の移動が[押しモデル]と[引きモデル]のどちらによって引き起こされているのかを区別するためには、まず[押しモデル]と[引きモデル]の性質の違いをみつける必要がある。そこで、コンピュータ・シミュレーション*3を使って、2つのモデルの違いをみつけようと試みた。シミュレーションの結果、どちらのモデルを用いても雄性前核は細胞の中心部へ移動した(図1左列)。ところが、縦軸に雄性前核の移動距離を、横軸に移動開始からの経過時間をとったグラフ(距離―時間グラフ)を作成すると、グラフの形が[押しモデル]では凸型、[引きモデル]ではS字型となり、明らかな違いがあることがわかった(図3A)。このグラフの形はシミュレーションに用いた様々なパラメータ*4の値に依存しなかったため、それぞれのモデルに固有の形であることが示された。
○画像処理を使って取得した実際の雄性前核の移動の特徴は[引きモデル]の特徴と一致
[押しモデル]と[引きモデル]とでは距離―時間グラフの形が異なることが示されたため、実際の雄性前核の移動の距離-時間グラフの形がわかれば、[押しモデル]と[引きモデル]のどちらが雄性前核の移動のしくみであるか明らかになる。そこで、実際に顕微鏡を用いて線虫C. elegans*5受精卵の雄性前核の移動を0.2~1秒間隔で撮影し、大浪助教授らが開発した画像処理アルゴリズム(4)を使って、核の位置の精密な測定を行った(図1右列)。その結果、実測した雄性前核の移動の距離―時間グラフは、[引きモデル]の形であるS字型のグラフになった(図3B)。
○微小管に引かれて受精卵の内部を移動する雄性前核の撮影と、核を引く力を微小管に与える蛋白質の候補の特定
雄性前核の移動の主なしくみが[引きモデル]であるならば、雄性前核は微小管が発達する方向に引かれて移動すると推測された。そこで、雄性前核が微小管に引かれて受精卵の内部を移動する様子の撮影を試みた。雄性前核の一箇所から微小管が伸びる突然変異体(zyg-1変異体)を用い、雄性前核が微小管に引かれて移動する様子の撮影に成功した。また、遺伝子機能破壊実験*6を用い、モーター蛋白質*7である細胞質ダイニンが、核を引く力を微小管に与える蛋白の有力な候補であることを示した。
本研究は、コンピュータを使うことにより、従来の手法では解明できなかった生物学の難問を解くことができることを示した。本研究で開発したコンピュータ・シミュレーションと画像処理を組み合わせた研究手法は、細胞の形や動きに関する生命現象の解明に役立つと期待される。現在、大浪助教授らの研究チームは、本研究手法を発展させることにより、非対称細胞分裂機構と呼ばれる、1つの細胞から大きさや性質の異なる2つの細胞を生み出すしくみの解明をめざしている。
参考文献
“Computer Simulations and Image Processing Reveal Length-Dependent Pulling Force as the Primary Mechanism for C. elegans Male Pronuclear Migration”
(線虫C. elegansの雄性前核の移動の主要なメカニズムは微小管の長さ依存的な引力であることをコンピュータ・シミュレーションと画像処理が解明)
doi :10.1016/j.devcel.2005.03.007
■用語説明 |
■図1.線虫の雄性前核の移動とそのコンピュータ・シミュレーション、およびその画像処理を使った測定 |
■図2.押しモデルと引きモデル |
■図3.コンピュータ・シミュレーションと線虫受精卵での測定により得られた距離―時間グラフの比較 |
■(参考)Developmental Cell誌(5月号) |
この研究開発テーマが含まれる研究分野、研究開発期間は以下の通りである。
JSTバイオインフォマティクス推進事業
研究分野:情報科学と生物科学との融合型アプローチによる研究開発
研究開発期間:平成13年10月~平成16年9月
●本件問い合わせ先
大浪 修一
慶應義塾大学大学院理工学研究科
〒223-8522 神奈川県横浜市港北区日吉3-14-1
Tel: 045-563-1141(内線41082)
Fax: 045-566-1789
E-mail:
黒田 雅子
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