研究課題別事後評価結果

1.研究課題名
遅発性神経細胞死の分子機構
2.研究代表者名及び主たる研究参加者名(研究機関名・職名は研究参加期間終了時点)
研究代表者  桐野 高明  東京大学大学院医学系研究科 教授
主たる研究参加者  浅井 昭夫  東京大学大学院医学系研究科 講師
 口野 嘉幸  昭和大学薬学部 客員研究員
 濱田 洋文  札幌医科大学分子医学研究部門 教授)
 森川 栄治  埼玉医科大学総合医療センター 脳神経外科 教授
 渡邊 卓  杏林大学臨床病理学教室 教授
3.研究内容及び成果
 遅発性神経細胞死 (delayed neuronal death) とはごく短時間の脳虚血の後に海馬CA1錘体細胞に発生する神経細胞の死であり、その過程にはきわめて興味深い特徴がある。短時間の虚血(齧歯類を用いた実験モデルでは3-10分)の後、神経細胞はほぼ完全に元の状態に回復する。脳血流・エネルギー(ATP)代謝・グルコース代謝などの代謝パラメータも復旧する。形態学的に見ても、細胞死を示す所見は少なくとも虚血の24時間後までは認めない。神経細胞は正常の膜電位を保持して電気的な活動も示す。ストレス蛋白 (hsp70, ubiquitin) などのmRNAの発現も認める。しかしmRNAから蛋白への翻訳は強く抑制される。虚血から3-4日経過すると、海馬CA1錘体細胞の大部分は死んで消滅する。海馬CA1領域の神経細胞がきわめて緩やかに、かつ再現性高く細胞死に陥るので、虚血性神経細胞死の代表的なモデル系の一つとして、世界的にこの現象を対象とする研究がなされてきている。海馬遅発性神経細胞死は受動的破壊による細胞死とは異なる。その上流では神経細胞特有の機構による細胞死の決定機構が働き、その間は神経細胞は可逆性で治療可能であり、最終的にアポトーシス共通の経路に達すると不可逆的に進行すると考えられる。アポトーシスの上流での神経細胞特有の分子機構、特にcalcineurinおよびproteasomeによる細胞死制御の分子機構を解明し、治療可能域を同定することが研究のねらいである。
 
I .桐野チーム
1. 神経細胞においてcalcineurinを高レベル発現させると種々の刺激に対してvulnerabilityが増大し、通常アポトーシスをおこさないような刺激によっても容易にアポトーシスをおこすようになることを見出した。また、calcineurinを強制発現させるとそれだけでアポトーシスが誘導されることが明らかになった。また、これらはFK506およびcyclosporin Aなどのcalcineurin阻害剤で抑制されることも明らかになった。また、in vivoにおいても海馬遅発性神経細胞死がFK506によって抑制されることを明らかにした。
2. 神経細胞においてproteasome阻害剤を用いてproteasome機能を阻害するとミトコンドリア・カスパーゼ依存性のアポトーシスが誘導されることを明らかにした。また、海馬CA1領域において、一過性前脳虚血後の遅発性神経細胞死に先駆けて同部のfree ubiquitinが減少しconjugated ubiquitinが蓄積することを見出した。さらに、一過性前脳虚血後、前脳全域で一過性にプロテアソーム機能(26S機能)が低下するが、海馬CA1領域ではこれが低下したまま回復せず遅発性神経細胞死にいたることを明らかにした。また、これが分子レベルで20Sから26Sへの再会合の障害によるものであることを明らかにした。
3. 神経細胞においてcalcineurinを高発現させて誘導される神経細胞死にp53のリン酸化が必須であることを明らかにした。
4. マウス総頸動脈および脳底動脈を14分間遮断することにより遅発性神経細胞死を効率よく再現することに成功した。
5. 神経細胞におけるproteasome機能阻害によるアポトーシスにおいてp53が必須であることを明らかにした。また、p53ノックアウトマウスではp53野生型マウスに比して一過性全脳虚血後の遅発性神経細胞死が有意に抑制されることを明らかにした。
II .口野グループ
 c-Mycにより小胞体ストレスによるアポトーシスが5〜10倍増強され、そのためにはc-MycのN末およびC末領域に存在する機能ドメインが必須であることを見出した。また、その機序がc-MycによるBaxの活性化増強であることを明らかにした。また、神経芽腫で認められる腫瘍の自然消退現象が、H-ras/PI3Kを介したnon-apoptoticなプログラム細胞死によるものであることを明らかにした。
 
V.森川グループ
 グルタミン酸レセプターイプシロン1のノックアウトマウスでは野生型あるいはグルタミン酸レセプターイプシロン2のノックアウトに比して有意に局所脳虚血による梗塞巣が縮小することを示し、虚血による神経細胞死にグルタミン酸レセプターイプシロン1が関与していることを明らかにした。また、永久局所脳虚血による梗塞巣は虚血後7日目まで徐々に拡大するが、この拡大にS-100βタンパク質が関与しており、S-100βの阻害剤によって梗塞巣が有意に縮小することを明らかにした。
 
W.渡邊グループ
 胎児網膜神経細胞の発生過程に糖担体輸送分子isoformであるGLUT1〜3が重要な役割を果たしていることを明らかにした。
 
X.濱田グループ
 アデノウイルスベクターを用いて種々の細胞への遺伝子導入を試みたところ、in vitroでは神経細胞も含めて、様々な細胞で高い遺伝子導入効率が観察できた。しかし、in vivoでは脳への遺伝子導入効率はあまり高くなかった。また、Protein transduction domains (PTD) 融合タンパク質としてTAT、VP22を使用した融合タンパク質とタンパク質導入試薬BioPorterTM、ChariotTMを用いて、培養細胞へのタンパク導入効果を検討した。TAT融合タンパク質の導入効率は悪く、VP22融合タンパク質は導入効率がよかった。BioPorterTM、ChariotTM は導入効率良好であった。
4.事後評価結果
4−1.外部発表(論文、口頭発表等)、特許、研究を通じての新たな知見の取得等の研究成果の状況
 遅発性神経細胞死の発見は研究代表者の独創的な大きい発見であった。その細胞死の分子機構を解明するため、多面的なアプローチを行い、海馬CA1領域に多いカルシニューリンが、虚血後プロテアソーム機能低下に関係し、p53の蓄積を起こし、ミトコンドリアのカスパーゼ3を介するアポトーシスを起こす機序が明らかにされた。しかし、治療に結びつくような成果にまでは至らなかった。その方向とは別に別のグループとの共同研究により、海馬CA1領域における神経前駆細胞から、神経細胞の再生が見られることを見出し、その成果は Cell に掲載された。この方向による研究の方が治療方法の開発に結びつくものと期待され、引き続き発展推進事業で継続されることになった。一方マウスにおける遅発性神経細胞死のマウスモデルを開発した意義は大きく、今後の治療開発に貢献するものと思われる。論文発表は海外誌に65報掲載された。そのうち、前述のCellの論文はインパクトが大きかった。その他遅発性細胞死の分子機序に関する論文が数件ある。特許についてはマウスモデルの出願等が期待されたが、期間中に出願までには至らなかったのは残念である。口頭発表は国内59件、海外7件発表された。
4−2.成果の戦略目標・科学技術への貢献
 当初は遅発性神経細胞死の分子機序を早期に発見し、治療法の開発に進展することが期待された。しかしアポトーシスに至る経路は複雑であり、全体を統一的に解明するまでには至らなかった。遅発性神経細胞死のマウスモデルを開発した意義は大きく、今後の治療開発に貢献するものと思われる。また、研究の後期に至り、思いがけぬ所から神経前駆細胞による神経細胞の再生を見出したことは実用的に重要であり、この研究テーマに曙光を見出した感がある。
4−3.その他の特記事項(受賞歴など)
 研究課題が採択された後に、研究代表者が医学部長に就任した。また、研究推進の中心になって活躍された浅井講師は埼玉医科大学の教授に就任した。
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This page updated on September 12, 2003
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