研究課題別事後評価結果

1.研究課題名
量子固体と非線形光学: 新しい光学過程の開拓
2.研究代表者名及び主たる研究参加者名(研究機関名・職名は研究参加期間終了時点)
 
研究代表者  白田 耕藏  電気通信大学電気通信学部 教授
主たる研究参加者  桂川 眞幸  電気通信大学 助教授
 鈴木 勝  電気通信大学 助教授
 百瀬 孝昌  京都大学大学院 理学研究科 助教授
 斎官 清四郎  東北大学大学院 理学研究科 教授
3.研究内容及び成果
 本研究の狙いは、代表者等が水素原子系で実証してきた光・物質系の強結合の物理に基づく「量子干渉効果による光学応答の制御」のコンセプトを高密度の固体系に拡張し発展させることであり、固体系として量子固体として知られる固体水素を用いることがその最大の眼目である。固体水素は、その光学遷移のスペクトル幅が気相原子系のそれよりも格段に狭くなることが期待され、いわば「孤立分子(原子)の量子性と固体の高密度性をあわせ持つ」物質であり、強結合の物理を展開する場として好適な系である。
 本計画は5年計画であり、その内容は大きく三種の研究課題に分けられる。第1の課題は本計画の本質的部分である。量子固体である固体水素を作業媒質として、光の場と物質が強く結合する系の非線形光学・量子光学の研究を系統的に展開し、従来の非線形光学・量子光学の枠組みを越えた新しい体系の構築を目指すものである。第2の課題は単結晶固体水素作製法の開発に関するものである。固体水素の質は本計画の到達点を左右する重要な因子であり、系統的な研究を実施する。第3の課題は、非線形光学研究の基礎データを与えるものとしてのレーザー分光法に基づく固体水素の分光学的研究である。作製した結晶の質を精度良く評価するためにも、レーザー分光法は極めて有効である。上記の三課題は第1の課題を中心に密接不可分な関係にあり、それぞれの課題間の緊密な連携の下に、第1の課題の完成を目指した。
 
主な研究成果の概要
量子固体の非線形光学・量子光学
 量子固体を用いる非線形光学は、固体水素を用いた誘導ラマン散乱についての研究により端緒についたものである。量子固体の「孤立原子(分子)の量子性と固体の高密度性をあわせ持つ」という従来の非線形光学物質に無い特長は、伝統的な非線形光学の常識を覆す結果を生み出した。即ち、非線形光学の誕生以来、光パラメトリック過程における位相整合は物質の屈折率分散特性で記述されてきたが、固体水素の誘導ラマン散乱の結果は、物質系と光の場の相互作用により最適化された光・物質系の強結合固有状態が生成し、位相整合は自己組織的に達成し得る(Self-induced phase−matching, 自己誘起位相整合)事を示すものである。本課題では、この強結合誘導ラマン散乱の研究を突破口に、更に一般的な非線形光学・量子光学過程に拡張し発展させることを目指して研究を実施した。最大のポイントは、物質中に大きなコヒーレンスを制御性良く生成する事により、強結合系の非線形光学を光エレクトロニクスや量子光学の手法へ一般化する試みを実験・理論の両面から行うことである。

 固体水素の純振動ラマン遷移に大きなコヒーレンスを生成し、強結合状態を準備する事により、位相整合の制約のない、任意で高効率な非線形ラマンサイドバンド発生を実現した。この結果は、いわばどのような光であっても、任意に水素分子の振動周波数に対応する125THzという超高周波数で効率良く変調できる事を意味し、量子クリスタル発振器とでも言えるものが実現した事を意味する。量子クリスタル発振器をレーザーに関わる極限技術として展開することを目指して、フェムト秒光パルスを変調する事を理論・実験の両面から検討した。理論の予測によれば、固体水素の大きなコヒーレンスによりフェムト秒光パルスを変調すれば、単一のサブフェムト秒光パルス発生という前人未到の技術が達成できる。また、量子クリスタル発振器の応用例として、光パルスの伝播速度を真空中の光速度から4桁も制御できる事を理論・実験の両面から示した。更に、量子固体を高Q光共振器と組み合わせる事により、新しい側面を開拓する研究を行った。作業物質は、固体水素ではなく、液体水素を用いて行った。液体水素の微小球作成技術を開発し、球内での全反射によるWhispering Gallery Modeを用いて109を越える巨大Q値が実現でき、その結果として、紫外から近赤外にわたるコヒーレントな光の系列(光コム)が実現できる事を示した。
 
単結晶固体水素作製法の開発
 非線形光学の作業媒質として十分な品質を持つ固体水素単結晶の作成法を開発した。開発した方法は加圧液相成長法および気相成長法である。前者は光学セル中で水素を3重点直下の加圧下で結晶成長させる方法である。セルのサイズを変えることにより、20mm程度の大きさの結晶から100μ程度のものまで作成可能である。結晶の評価法も開発した。光学的な均質性は局所的な偏光回転計測により、結晶軸はブリルアン計測により、また総合評価は超高分解能ラマン計測により行った。気相成長法は低温のサファイア等の基板上に水素ガスを吹き付けることにより結晶成長させる方法である。この方法の長所は、非線形光学の視点からは、相互作用長が結晶膜厚によって制御できることである。また、出射窓が不要となるため、超広帯域の光パルス発生等で出射窓材料の分散が問題になる場合には、特に有用な方法である。また、種々の原子・分子等を固体水素中にドープする際にも有効である。
 
固体水素の分光学的研究
 固体水素系で様々な新しい光学過程が実現できるのは、固体水素の量子固体としての際立った特徴によるものである。光学過程の基礎を支える土台としての固体水素の基礎特性についての詳細なデータベースを構築するべく、高分解能レーザー分光の諸手法を用いた研究を実施した。強結合系を実現するためのキーパラメータであるバイブロンの位相緩和については、時間分解コヒーレント反ストークスラマン散乱、コヒーレントラマン損失分光法等により系統的に研究した。
 
 以下に電通大非線形・量子光学グループ、京都大高分解能分光グループ、東北大物性グループの成果をグループ別に具体的に概要を述べる。
 
電通大非線形・量子光学グループ
 固体水素バイブロン系を主たる作業遷移と定めて、レーザー分光によりその評価を行う方法を確立した。用いた方法は、時間分解コヒーレント反ストークス光散乱、ラマン損失分光、コヒーレントブリルアン散乱、バイブロンエネルギー緩和計測等である。なお、本項の研究は東北大グループと共同で行った。バイブロンの位相緩和時間が100ns以上であり、ラマン線幅が不均一幅も含めて5MHzときわめて小さいことを示し、その温度依存性の起因も明らかにした。
 位相緩和の小さなバイブロン系にパルス的に最大に近いコヒーレンスを生成し、その量子コヒーレンスを用いたパラメトリック過程を系統的に実験と理論の両面で研究した。典型的な結果はインコヒーレント光のパラメトリックビーティングである。バイブロンの量子コヒーレンスは、伝統的な位相整合の限界を越えて、2000cm-1にもわたるバンド幅を持つインコヒーレント光をすら効率よく変調し、サイドバンドを発生させることを示した。インコヒーレント光の強度は1光子レベルでも良いことをも示した。この結果を理論的に突き詰めることにより、発生するサイドバンドの自己相関関数およびサイドバンド間の相互相関関数はコヒーレンスと相互作用するプローブ光の自己相関関数と任意の次数で一致し、プローブ光の完全なコピーが異なる波長で生成されることを示した。また、パラメトリックビーティングの時間・空間発展からサブフェムト秒領域の光パルスが発生することを理論的に示した。
 固体水素バイブロンラマン遷移を用いて、透明系であっても4桁以上にわたるダイナミックレンジで光パルスの伝播速度が制御できることを理論的・実験的に示した。遠共鳴のラマン系のパルス伝播の固有モードの存在を理論的に予測し、実験で実証した。
 固体水素と同様な特性を持つ液体水素により液滴を作成する技術を開発し、液体水素液滴の非線形光学を拓いた。液滴のWhispering Gallery ModeのQ値は109以上にもなることを示し、誘導ラマン過程により紫外から近赤外を完全にカバーするコヒーレント光の系列が発生できることを示した。
 
京都大高分解能分光グループ
 固体水素自身及び固体水素に様々な分子種をドープし、様々な遷移を高分解能分光の手法で研究した。固体水素の純振動遷移の第1高調波光学吸収を高分解能用近赤外差周波レーザーを用いて観測し、その解析から固体内の励起状態の性質及び結晶の量子効果を明らかにした。固体水素中にメタン分子を微量に混在させた結晶を生成し、その高分解能分光を行うことで、固体水素のミクロな結晶構造の解析を行うとともに、スペクトルの温度変化から固体内の励起状態の緩和過程に関する研究を進めた。
 
東北大物性グループ
 バイブロンの位相緩和、ブリルアン計測、熱緩和計測など光散乱計測の基本手法を確立した。また、固体水素以外の物質系への探索研究を実施した。
4.事後評価結果
4−1.外部発表(論文、口頭発表等)、特許、研究を通じての新たな知見の取得等の研究成果の状況
 固体水素、液体水素を用いた非線形光学の研究というユニークな発想のもと、いくつかの新しい現象を見出している。固体水素を用いた強結合誘導ラマン散乱として、位相整合に制約されずインコヒーレント光をも対象とする高効率で任意なパラメトリック非線形光学過程を実現したこと、光パルスの群速度の数桁にわたる制御を実証したこと、液体水素液滴により、紫外から可視の領域にわたって光共振器のQ値として109を越える値が実現したこと、また、超高Q値共振器中で液体水素の誘導ラマン過程を実現することにより、紫外・可視・近赤外にわたる多数の誘導ラマンサイトの発生ができることを示したことなどは、従来の非線形光学の常識を超えようとする本チームの挑戦とその独創性を示す成果として評価出来る。更には、高効率で任意なパラメトリック非線形光学過程によりサブフェムト秒(アト秒)光パルスが発生できることが予言したことの意義は大きい。実験による検証が待たれる。これに関しては、大変困難が予想された板状の固体水素の気相結晶成長技術を新たに開拓するなど、実現に向けての地道な努力がなされている。研究期間内では、アト秒光パルスの実現には至らなかったが、今後に十分期待できるレベルに来ている。また、今後の大きな課題ではあるが、固体水素を用いた微小球共振器の実現、量子固体としての固体水素の量子トンネル現象の実証などが出来ると、大変大きなインパクトを与えることになる。本課題は、固体水素を研究対象とするユニークな発想で他に研究例が少なく、これからというところもあるが、その実験技術力で世界的に注目されてきており、今後の進展に大いに期待する。 

 外部発表数は169件(英文論文59 和文論文5、国際学会発表60、国内学会発表59)、 特許出願は5件であった。電気通信大学がメインのチームということで、外部発表件数としては妥当なところと判断される。特許は、アト秒パルス発生などの基本的なところは抑えた。

4−2.成果の戦略目標・科学技術への貢献
 インコヒーレント光のパラメトリック非線形光学過程の実現など、固体水素を用いた強結合誘導ラマン散乱に関する成果は、高密度な凝縮系で孤立系という固体水素の量子性から発現する現象を実現したもので、従来の枠組みを越えた非線形光学・量子光学過程の実現ということで、ユニークで科学的に重要な意味を持つ貢献である。 
 固体水素ということで、実用性には困難が予想されるが、結晶作成技術、光計測システムなど実験技術のレベルは大変に高く、著しく進展してきている、これら周辺技術をさらに発展させサブフェムト秒光パルスの発生が実現すれば、超高速現象の観測や量子情報・通信などの分野に波及する可能性がある。
4−3.その他の特記事項
 受賞1件
*松尾学術賞 2001年
 受賞者:白田耕藏
 受賞研究:固体水素を用いた量子コヒーレンス非線形光学の研究
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This page updated on September 12, 2003
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