研究課題別事後評価結果

1.研究課題名
個体老化の分子機構の解明
2.研究代表者名及び主たる研究参加者名(研究機関名・職名は研究参加期間終了時点)
研究代表者 鍋島 陽一 京都大学大学院医学研究科 教授
主たる研究参加者 永井 良三 東京大学医学部 教授
倉林 正彦 群馬大学医学部 教授
野田 政樹 東京医科歯科大学難治疾患研究所 教授
諸橋 憲一郎 岡崎国立共同研究機構基礎生物学研究所 教授(〜平成11年3月)
3.研究内容及び成果
 多数のヘテロのトランスジェニックマウスを掛け合せてホモマウスを作製し、その変異表現型を解析し、その中の1系統において、ホモのみが性成熟期より発育が遅滞し、短命であることを発見した。ホモ個体は、3週を越えると顕著な老化症状を呈するようになる。これらの症状はヒトの老化症状に類似しており、ヒトの老化関連疾患のモデルとして重要と考え、原因遺伝子の同定とその機能解析、多彩な老化症状の病態解析を目的として本研究を始めた。京都大学グループが全体の原因遺伝子の同定と機能解析、東京大学グループが循環器系を中心とした病態解析、東京医科歯科大学グループが骨の変異表現型の解析を担当し、研究を展開した。
(1)京都大学グループ
1)原因遺伝子:klotho の同定
 外来遺伝子は第5染色体に挿入されており、挿入領域の遺伝子を分離し、エクソンの候補を同定し、挿入位置から6Kb離れた部位に転写単位を同定した。ついで、全長のcDNAクローンを分離し、全塩基配列を決定し、得られた遺伝子をklotho と名付けた。Klothoとはヒトの運命を司る3人のギリシャ神話の女神の一人で、生命の誕生に立会い、生命の糸を紡ぐ女神の名前である。Klotho mRNAは5.2kbで、腎臓、脈絡膜での発現を確認した。ホモ変異体ではklotho mRNAの発現は顕著に低下していたが、RT-PCRによりごく僅かな発現が観察され、severe hypomorphであると結論した。ヒトの相同遺伝子は、同様の1型膜蛋白質をコードするmRNAとスプライシングの制御により、蛋白中央にストップが入る分泌型蛋白質をコードするmRNA が同定された。klotho が原因遺伝子であることを確認するため klotho cDNAを発現するトランスジェニックマウスを作成し、変異マウスと掛け合わせ、klotho -/-であっても外来のklotho cDNAの発現があれば変異表現型が回復できることを確認した。この結果は、klotho 遺伝子が原因遺伝子であること、klotho 遺伝子の変異によりすべての変異症状がもたらされることを示している。さらに、ノックアウトによりヌル変異系統を作成し、同様の変異表現型を示すことを確認した。
2)Klotho蛋白の構造と機能
 Klotho蛋白には4つのタイプがある。ER、Golgi体に存在する細胞内タイプ、細胞膜上に存在するタイプ、細胞外ドメインの中央でプロセスされる70 kd分泌型、膜貫通ドメインのN端側でプロセスされる全長に近い130 kd分泌型からなる。分泌型を高感度に認識する抗体を用いて、ヒト及びマウスの血清中に130 kd分泌型が存在することを確認し、サンドイッチエライザ測定系を開発した。また、ヒト遺伝子の解析から推定されていた70 kd分泌型は、血清中に同定することはできず、活性をもたないことを示す結果を得た。
 Klotho蛋白は1,014アミノ酸からなる新規の1型膜蛋白質であり、細胞内ドメインは10アミノ酸からなり、既知の機能配列との相同性は確認されていない。細胞外配列は、β-glucosidaseに相同性をもつ2つのドメイン(KL1、KL2)より構成されている。β-glucosidaseには活性中心を担う2つの保存された配列があり、特に各々の配列中のグルタミン酸残基が活性にとって重要であると報告されている。ところが、KL1、KL2いずれも、2つの保存されるべきグルタミン酸残基のうちの一方が保存されていない。活性中心の構造に変異があるとはいえ、構造的にβ-glucosidaseに相同性があることから、酵素活性の有無を追求してきたが、糖鎖切断活性が示唆されており、詳細を検討している。Klotho蛋白は、少なくともターゲット分子の糖鎖を修飾対象、あるいは認識対象の一部としていると推定される。
 klotho 遺伝子は、腎尿細管、副甲状腺の主細胞(PTHを発現する)、脳の脈絡膜、心臓の一部で発現しており、電解質代謝、心拍動、ホルモン制御などに関与すると推定される。とりわけ、klotho 変異マウスでは血清中のカルシウム、リン、ビタミンD値が顕著に亢進しており、さらに1α-hydroxylaseの発現が顕著に亢進しており、しかもビタミンDを投与しても発現が低下しない。
 これらの結果より、klotho変異マウスでは1α-hydroxylaseの発現亢進により活性型ビタミンDの合成、血清濃度が上昇し、カルシウム、リンの上昇がもたらされ、カルシウム、リン酸ホメオスタシスが破綻し、多彩な変異表現型がもたらされたと推定される。カルシウム、リン酸ホメオスタシスを制御するシグナル伝達システムにおけるKlothoの重要性が示唆される。
3)β-klotho 遺伝子の同定とノックアウトマウスの作成
 klotho 遺伝子のホモログ、β-klotho 遺伝子をマウス及びヒトから同定した。β-klotho遺伝子は、膵臓、肝臓、白色、褐色脂肪組織、分化した培養脂肪細胞で比較的高い発現が確認されている。既にノックアウトマウスの作成、モノクローナル抗体の分離に成功しており、変異表現型の解析とβ-klotho の機能解明が次の課題となっている。
4)疾患解析におけるKlotho研究の意義
 東京大学グループ、東京医科歯科大学グループにより、循環器、呼吸器、糖代謝、骨密度に関する変異表現型が解析され、その詳細を明かにすると同時に、老化関連疾患のモデルとして40ヵ所を越えるグループに分与し、専門的な病態解析を行った。また、ヒトklotho 遺伝子座に9ヵ所の遺伝子多型(SNPs)を同定し、これらのうち7ヵ所は、空腹時血糖値、肥満、骨密度、肺機能、カルシウム代謝、皮膚老化など、klotho 変異マウスで観察された変異症状と関連すると考えられる臨床データと連鎖することが示された。ヒト疾患の病態には、主要な疾患遺伝子に加えて多数の修飾遺伝子が関与しており、病態のより深い理解にとって、主要疾患遺伝子と修飾遺伝子間の相互作用の解明は不可欠である。そこで、klotho 遺伝子変異を修飾する遺伝子の同定を目的として、遺伝子背景の異なるMSMマウスと掛け合わせを行い、遺伝的背景の影響を解析し、MSM系統にはklotho 遺伝子変異を抑制する遺伝子が存在することを示す結果を得た。修飾遺伝子の分離同定を進めている。
(2)東京大学グループ
 本研究では、多彩な老化症状を呈するklotho 変異マウスの解析を基盤に、動脈硬化や心不全などの循環器病態でKlotho蛋白の分子機能がどのような役割を担っているかを明らかにし、血中濃度測定と遺伝子多型による疾患発症素因解明と診断法を開発し、循環器臨床への応用を目指すことを目的とした。
 klotho 変異マウスでは血管内皮機能障害が存在し、またKlotho蛋白は液性因子として、血管に対してNO産生を介した内皮機能制御に関与することを明らかにした。Klothoは血管内皮機能を中心とした細胞寿命決定や生理機能を調整する因子であり、生体のホメオスターシス維持に寄与すると考えられる。実際に各種循環器病態におけるklotho 遺伝子の発現異常と、klotho 遺伝子導入による表現型の改善が確認された。遺伝子多型要因など含めて、ヒト循環器疾患及び老化におけるklotho遺伝子の意義の解明と臨床応用への道が開かれた。
(3)東京医科歯科大学グループ
 klotho 変異マウスにおいては、骨幹部骨梁の減少及び骨幹端部海綿骨における骨梁の増加を伴う異常が観察され、メカニズム解明のために骨の形成及び骨の吸収の両面から研究を行った。
 その結果、klotho 変異マウスでの脊椎の骨幹端部や大腿骨頸部を含む長管骨の骨幹端部における骨梁の増加は、軟骨の残存を伴う一次骨梁の著明な増加によることを示した。骨梁の変化の細胞レベルでの制御を明らかにする目的で行われた骨髄の除去実験においては、生体内における骨吸収の著しい抑制が観察され、その原因として破骨細胞数のklotho 変異マウスにおける低下、並びに破骨細胞の分化及び活性化を担うRANKLの阻害因子であるOPG(osteoprotegerin)の持続的な活性化と骨髄除去後の再生における骨髄細胞のOsteoprotegerin産生の亢進が明らかとなった。さらに、Osteoprotegerin増加に基づく骨吸収の抑制異常は、骨髄除去モデルにとどまらず、メカニカルストレスの喪失による骨粗鬆症状態においても骨吸収抑制機能として観察され、骨梁減少に関わる骨吸収のメカニズムの上でklotho遺伝子が果たす促進的な役割とサイトカイン産生抑制を伴う作用メカニズムが解明された。
4.事後評価結果
4−1.外部発表(論文、口頭発表等)、特許、研究を通じての新たな知見の取得等の研究成果の状況
 前述の研究成果は、論文として英文44件、和文45件発表された。うち1999年 Impact Factor Ranking のOriginal Journal 35位、Review Journal 30位までの雑誌に掲載された論文は以下の通り。
Nature 1報
 また、学会発表も国内学会50件、国際学会22件行われた。
 代表者は本研究の途中で2回、研究室を移動する事態があったためもあり、論文発表が比較的短報に片寄った傾向があった事は残念であったが、本研究のかなめであるヒトの老化症状に似た多彩な変異表現型を示す挿入突然変異マウスを樹立し、その原因遺伝子がklotho であることを同定した1報をNatureにまとめており、一応合格ということが出来よう。今後更にインパクトの高い雑誌へ発表を続ける事を望みたい。
4−2.得られた研究成果の科学技術への貢献
 ヒトの老化現象に最もよく似た変化を早期に起こす遺伝子変異をマウスで発見し、その分子生理学的意義を追究している。更にヒトの同遺伝子もクローン化して、多くの臨床研究者と協力しながら、この遺伝子の作用の本質を追い、ヒトの老化に迫ろうとしている極めてユニークな研究であり、注目を集めている。他の早老症の研究とは若干異なる切口で、大幅な共同研究を広げている手法は見事というより他はない。少し時間を要するであろうが、老化の本質に繋がる研究に発展することを期待したい。
4−3.その他の特記事項
 研究代表者は、研究領域「ゲノムの構造と機能」に「klothoマウスをモデルとしたゲノム機能の体系的研究」を提案し、平成12年度の研究代表者として採択された。

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