研究課題別事後評価結果

1.研究課題名
CO2倍増時の生態系のFACE実験とモデリング
2.研究代表者名及び主たる研究参加者名(研究機関名・職名は研究参加期間終了時点)
研究代表者 小林 和彦 農業環境技術研究所 室長
主たる研究参加者 岡田 益己 東北農業試験場 上席研究官
吉本 真由美 農業環境技術研究所 主任研究官
蔵田 憲次 東京大学 教授
寺尾 富夫 北陸農業試験場 室長
3.研究内容及び成果
 大気中のCO2濃度は、氷河期が約1万年前に終わって以来、およそ280 ppmV(1 ppmVは、体積比率で100万分の1)前後で推移していたが、18世紀後半から上昇を始め、20世紀後半には、石炭・石油などの化石燃料の燃焼によるCO2放出により、約550 ppmVになると予想される。ここでは、アジアに特徴的な生態系である水田について、大気CO2増加がイネの生長とコメ生産性、そして水田生態系の物質やエネルギーの流れに及ぼす影響を、FACE(Free-Air CO2 Enrichment)実験とモデリングによって解明することを目的に研究を実施した。
 本研究によって得られた結果の意義は、以下の2点に集約される。
1) 今までの温室やチャンバーを使った実験では完全に払拭できなかったアーティファクトの無い実験条件で、CO2濃度上昇が植物の生長に及ぼす影響を定量的に解明した。
2) FACEにおけるインタクトな生態系で、CO2濃度を上昇させた時に生じる変化を明らかにした。
 平成9年に岩手県雫石町南畑の農家水田にCO2貯蔵・供給施設を建設、平行してFACE装置を開発し、平成10年から平成12年までの3年間、同所の農家水田を借用してFACE実験を行った。FACE実験における観測・測定項目は、イネの生長への影響と水田生態系への影響に大きく2分される。高CO2濃度ではイネの穂の数が増えて、収量が約15%増えた。高CO2濃度による収量増加は窒素の吸収と密接に関連しており、通常の半分の窒素肥料では収量はほとんど増えなかった。高CO2濃度ではこの他にも、土壌微生物量が増え、水田からのメタンの放出が増えるといった変化が見られた。
 以下に、サブテーマ毎の成果について述べる。
(1)"FACEシステム開発"
 米国FACEはブロワー効果が問題とされるが、ブロワー無しでも効率的にCO2を拡散させることに成功し、予備希釈しないCO2ガスを直接空気中に吹き出す純CO2放出型FACE装置を世界で初めて開発した。30秒間平均CO2濃度が平均87%の確率で、目標値の±20%以内であり、目標精度に達した。
 本研究により世界で初めて開発された純CO2放出型FACEは、その後イタリアのポプラFACEやアメリカのダイズFACEに採用され、より自然な状態でのFACE実験に役立っている。
(2)"イネ生長影響解析"
 本サブテーマでは、一枚の葉の光合成に始まり、各器官の生長、土壌からの養分吸収・分配、植物体バイオマスの形成、葉の展開と光エネルギーの捕捉、穂の形成、そしてコメ生産に至る過程のCO2増加による変化を、FACEとチャンバー実験で測定した。個葉光合成では、CO2濃度上昇に対する光合成の順化は生育段階によって異なり、稈や穂の急速な生長に伴って葉の窒素濃度が低下し、光合成速度が低下するとともに、特にFACEでは生長が促進されるため窒素濃度がより低下する結果生じる。光合成産物の転流・蓄積・分配におけるデンプン蓄積量は、株あたりではFACEによって増加した。糖類の寄与は、デンプンに比べると小さかった。
 群落光合成・呼吸は高CO2濃度で促進されたが、促進率は生育の初期40%程度、出穂期頃までにほぼゼロ、それ以後は高CO2濃度でむしろ減少した。バイオマス・収量はCO2濃度上昇により増加した。FACEでは、茎数が最大20%程度増えるのに対して葉面積はほとんど増えず、生長の後半ではむしろ対照区よりも葉面積が小さい傾向にある。単位面積当たりのモミ数は、モミ収量と同様少窒素区でFACEによる増加率が小さく、標準窒素区と多窒素区で同じく増加率が大きかった。窒素の吸収と分配では、高CO2濃度で炭水化物生成が促進されるために、幼穂分化期までの窒素の吸収が促進され、その結果モミがたくさんできるが、モミが生長を始めると多量の窒素が必要とし、吸収可能な窒素の総量は高CO2濃度で変わらない。
(3)"水田生態系影響解析"
 大気CO2濃度の上昇はイネの生長を促進し、根のバイオマス量増加、結果として根分泌物や脱落根として土壌に供給される炭素量が増える。水田生態系の物質やエネルギーの流れ、微生物の活動などを、直接にあるいはイネの生長を通して間接的に変化させる。メタン放出量の変化に関しては、FACE実験、クライマトロン・チャンバー実験ともに、CO2濃度上昇が水田からのメタン放出を相当程度促進する結果となった。土壌微生物の変化に関しては、窒素制約下では、CO2濃度上昇によって窒素固定活性が大きく高まることが観測された。炭素循環においては、FACEでは水面の植生、水中の藻類の生長促進により、CO2交換速度の違いが生じた。気孔拡散コンダクタンスはFACEでの低下が認められ、特に7月から9月にかけてコンダクタンスの値自体が低下するとともに、FACEでの相対的な低下度合いは大きくなった。
(4)"モデリング・データ解析"
 FACE実験計画をたて、実験結果を統計的に解析し、実験結果を用いてイネの生長プロセスモデルを検証した。収量増加率が15%の場合に、80%以上の確率で有意差を検出できるように実験計画を立て、毎年の実験で得られた誤差分散の情報を利用して、FACEリング内のサブプロットへの面積割り当てをより効率的なものにすることが出来た。イネの生長プロセスモデルについては、すでに確立されている既存モデルのIGBP、GCTEのORYZA1と、京都大学のSIMRIWの適用と改良を行い、バイオマス量と窒素保有量の推移をシミュレートできた。
4.事後評価結果
4−1.外部発表(論文、口頭発表等)、特許、研究を通じての新たな知見の取得等の研究成果の状況
 イネのFACE実験は世界で本プロジェクトが唯一、初めてのものであり、CO2濃度増加がイネの成長や生態系へ与える影響は、先行しているイネ以外の小麦・綿花のFACEの結果から傾向として容易に予測されるものの、数値として得られたデータは文字通り世界初で、貴重である。
 FACEは独自工夫によるもので、米国に見られるFACEの重装備に比較して簡素にまとめられており、開発費は安価に済ませている。性能的にも水田における実験に関して十分であり、満足すべき多種のデータが得られている。中国等からの関心を呼び、中国でのFACE展開が計画されている。
 これらの研究成果は、論文発表として英文16件、和文3件、学会発表として国内学会38件、国際学会30件で報告された。特にNew Phytologist, vol.150, No.2 (2001)では、表紙を雫石実験場のFACEの写真が飾り、主要な論文数件が採録された。また、特許についても国内1件、海外1件出願された。
4−2.得られた研究成果の科学技術への貢献
 FACEはすでに世界各国で実施され、データ蓄積も豊富になされているので、イネでは最初のFACEという新規性はあるものの、科学的なインパクトはそれ程特筆すべきものではない。しかし、世界の主要な農作物、樹木等でFACEの成果がデータベース化されており、イネに関して知見が皆無であった状態を、ともかくイネに関するFACEの結果を出すことで、FACE研究者の列に我が国の研究者が肩を並べた意義は十分認められる。今後、イネの耕作圏において中国を始めとして展開することで、土壌や環境の違いがどのような変化をきたすのか明らかにされることが期待される。開発したFACEはブロワー効果の心配が無く、軽量・コンパクトで消費電力が少ないという利点があり、今後他の地域や生態系でのFACE実験に活用されるだろう。

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