特集集成と未來

産学官連携 私の視点

株式会社エム・ティ・エル 代表取締役 森下 惟一

写真:株式会社エム・ティ・エル 代表取締役 森下 惟一

2023年3月15日

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何の前例もなく公募事業の申請のテクニックが有るわけでもない地方都市で、「研究開発を!」と行政の一声で集められた産業界・大学研究機関とともに、生まれ育った地元のためになればと踏み込んだ産学官連携の世界。現在の産学官の指標で測れば、画期的な成果と言えるものを生み出せたとは言えないが、大学研究機関がない地方で、「志を同じくする者同士が集い、科学的な視点で物事を捉え、解決策を模索し実践する」活動を回顧し、その後の活動と課題をまとめてみた。

■産学官連携に関わるようになったきっかけ

産学官連携という言葉に出会って、気が付けば20年以上の時間を過ごしてきた。

地場企業の社員であったが、熊本県および水俣市が構想していた事業申請に地域貢献として関わり、県内外の企業や大学研究機関と会議を重ね構想を固める活動が始まりである。

「水俣のために知の集積を考えている」と当時の水俣市市長の話と熊本県の構想を水俣市の職員(県庁出向者)から紹介されたのが1996年のことである。

「環境」「バイオテクノロジー」をキーワードに地域振興を実施。そのための「知」として、「人」「技術」「情報」などの情報と企業としての協力の要請であった。

当時、地元企業数社が協力しながら新しい収益事業を作ろうと「パイオニアバッグ(研究者のカバン)」という活動していた時期で、行政支援が受けやすくなるならと興味が湧いた。

しかし実際は、公募の補助事業獲得や第三セクター設立も視野に入れた地域としては大掛かりなものであった。自治体職員だけで考えた粗削りな構想は、地元企業の持つ特許や開発力を高度化するために大学と組み、地域に提供すれば水俣に新しい雇用が生れる夢と希望に満ちあふれる内容であった。今風に言えばムーンショットと言いたいところだが、企業の事業存続や技術解釈は想像上の物語。私が最初に取り組んだのは、夢と希望に満ちあふれた物語に少しでも現実味を帯びさせることからであった。

そのために、自治体職員とともに大学や企業を訪問し、技術や研究の得意分野と地域貢献への意向などを聞き取ることから始め、プロジェクトを再構成して行った。その過程で出会う組織と人脈を形成して行く活動が今思えばコーディネーターの活動であった。結果的に2年の歳月を費やし、自治体と地場企業で設立した第三セクターの最初のプロジェクトである科学技術庁(当時)の地域先導研究は採択され、この地の産学官連携がスタートしたのである(写真1)。

写真1 知の集積に取り組んだ「みなまた環境テクノセンター」

■経験してきた産学官連携

運営していた第三セクターでは、自治体から派遣された職員とともに、地元の環境問題や国際的な内分泌かく乱化学物質研究などにも取り組み、産学官連携機関としての役目を果たした。

私が産学官共同研究においてコーディネーターという肩書で活動を開始したのは、都市エリア産学官連携促進「熊本県南エリア」事業(2003〜2005年)の採択が最初である。

この事業では、有機性廃棄物処理や海域環境の変化などに対応する技術開発を行うもので、課題には地元の積年の願いである沿岸漁業の再生が含まれていた。自治体も研究者も地元関係者も十分調整の上で始まり、現場における研究体制も整っていたのであるが、実際のフィールドワークの現場で意外な課題が発生した。「白衣の先生たちに海の何が分かるとか?(海を知らない机上論だ)」と調査に参加した漁師に言われてしまった。漁協を通じ私たちの事を十分理解してくれていると思っていただけに関係者にとってはショックな出来事であった。彼らからの信頼と絆をより強くするために、私自身がすぐに船舶免許を取得し、漁協の船を操船し調査をサポートした。潜水もするフィールド研究のメンバーばかりなので、「漁師さんは、海上と網の中だけしか見ることができないですが、海中では…」と話せる環境が生れ、彼らの態度は驚くほど変わり、調査研究はスムーズに進むことになったのである。

その後、2006年に熊本県の「バイオフォレスト構想」の科学技術コーディネーターとして、熊本テクノポリス財団(現公益財団法人くまもと産業支援財団、以下、財団)に席を移し2011年まで常勤した。自治体の産業政策に関わる各種事業や公募事業の企画運営や、大学・研究機関内での会議など、オフィスワークが多くなったが、自分が関わった調査研究のフィールドワークは可能な限り参加し、現場に立ち会って来た。現在は非常勤で、財団が事務局を請け負う九州地域バイオクラスター推進協議会に関わっている。

九州地域バイオクラスター推進協議会の活動は、主にフランスの産業クラスター(VITAGORA等)や国立研究開発法人農業・食品産業技術総合研究機構欧州拠点と連携し、産業育成をするプロジェクトを担当した。例えば、フランスで開発された飼料の性能に関する日本での実証研究、輸出入のための交渉、フランスの産業クラスターから派遣された人材の受け入れなどを実施した(写真2)。

写真2 海外での交渉に臨む

この事業では、言語や習慣の違い、海外企業の事業目標(思惑)など様々な課題が生れた。日本側の参画事業者、自治体に不利益が発生しない条件の交渉など、商業的な視点でのコーディネートは理不尽なことも多く、科学的な実証研究以上に気を遣うものであった。この対応ができたのは、地域研究開発促進拠点支援(RSP)事業(2005年終了)で活動していた専門性の異なる民間企業出身4人の科学技術コーディネーターの「現場に踏み込み」「調整してみんなをハッピーにする」「切るべきは切る」という行動を体験していたからこそと思っている。

■産学官連携の課題

私は主に、自治体の政策とそれに関係する組織や企業と大学研究機関をつなぎ、地域の課題を解決する産学官連携に関わってきた。その中での課題を考えてみた。

最初の課題は、「科学者がどこまで社会実装に踏み込むか?」である。

科学者は、ある特定分野のプロであり全てが見えるわけではない。地域課題であればなおさら、地域の人たち、現状や歴史など諸々に絡み合った課題を任せられても負担である。

この解決にこそ、複数の組織が対等に話し合い運営できる産学官には意味がある。科学者は安心して調査研究・開発に取り組めるよう社会実装を受け持つメンバーと調整役となるコーディネーターの構図が必要である。

二つ目の課題は、「運営組織と調整役のバランス」である。

産学官連携の人員配置は、概ね職責や年齢を考慮し、さらに学識経験者がプロジェクトリーダー(以下、PL)となるピラミッド型で構成されることが多い。

この構成は科学としては安定感があるが、私はコーディネーターとPLが同等の決定権(=責任)を持って協働できる体制がいいと考えている。それはPLが得意とする学以外の分野にネットワークを持ち、内部的な調整もPLとともに行える体制がメンバーの活動を支えると考えている。

三つ目の課題は、「コーディネーターの経験と年齢」である。

大型のプロジェクトになればなるほど、コーディネーターは、立場のある経験豊富な人材が登用され、大きな成果を出している事実もあるが、その一方で、若手が経験を積み活躍するに最適な場ではないかと考えている。若かりし頃の私が全てを上手く立ち回れたとは思っていないが、ある程度の企画構成や申請書作成などの経験が有れば、若い人材を登用してはどうかというのが私の考えである。現在連携しているフランスの支援組織のマネージャーは、30歳代でMOU(基本合意書)締結式に組織代表として出席し、40歳代となった現在も組織を率いている。またその組織は女性も多いなど、いい意味で意見に遠慮がないなど活発だ。

若い産学官連携人材が、プロジェクトメンバーの事務的世話役のような環境に置かれているのはもったいない。苦労もあるだろうが、経験を積んだ先達がバックアップできる状況のうちに、フィールドワークにも積極的に参加し、自ら感じた現場感をプロジェクト運営に役立ててほしい。

最後の課題は、上記の産学官連携人材を支える「雇用の問題」である。

産学官連携人材は、数年の任期付きなどの雇用条件に置かれていて、所属機関の内外で経験を積んでも気が付けば次の仕事を探して旅立っていく。この状況を数多く見てきた。私自身も自前の収入源を持っていなければ、ここまで長く続けてくることはできなかった。

地域の課題を解決する産学官連携が見直され大きな期待が寄せられる昨今であるからこそ、地元にしっかり根を張り人脈を広げる産学官連携人材を長期的に雇用するための投資や育成を今一度考えてみてはどうだろうか。

■最後に

地域の課題解決は、当事者が中心で目標や計画を考えるべきであり、産学官連携は、この目標達成のために必要な「知」を内外から集めることができる唯一の方法である。

計画通り行かなくても、多くの「知」が集まる場があれば、新たな道が見いだせるはずである。その中で「知」を的確に当てはめる人の存在は需要であり、その人が複数存在すれば精度が上がる。

方針判断などがAIなどに取って代わられるときがいずれ来るかもしれないが、現場で人が感じる情報や感情は、まだまだ工学センサーでは推し量れないだろう。

新時代の産学官連携コーディネーターの活躍を願いつつ、地域のための産学官連携に、もうしばらくは自らの役割を見いだし貢献したいものである。