特集集成と未來
京都の産学公連携をひもとくと、いろんなことが見えてきた!
福岡大学 産学官連携センター 産学官連携コーディネーター 客員教授/同社会連携センター コーディネータ 中川 普巳重

京都がベンチャー発祥の地と言われるのはなぜだろう? 「オール京都」って何だろう? 12年間、京都の地で中小企業支援、インキュベーション支援、ベンチャー支援、大企業の社内ベンチャー支援などの現場を担当した際に感じていた疑問を、京都の産学公連携に関わってこられた大先輩方にお話をお聞きして私なりにまとめてみました。
ヒアリングした方々は、次のとおりです。京都府副知事・山下晃正氏、公益財団法人京都高度技術研究所 理事長・西本清一氏、龍谷大学政策学部教授・白須正氏、京都府ものづくり振興課課長・足利健淳氏。
■産学連携は明治維新の頃から始まっていた!
「産学の学である大学の重要な役割は『人材育成』です。それが京都を支えてきました。明治維新の頃から取り組んできた産業政策の最初の取り組みが人材育成でした。みんなでお金を出し合って、日本初の学区制小学校「番組(ばんぐみ)小学校」*1を開講しました。庶民は割賦で、絵描きは絵を寄付するなどみんなで取り組み高等教育をスタートしました」
- ポイント1:
- 何をするにも「人」が大事。「人材育成」にみんなで取り組むことが大事。
■島津製作所が産学連携のスタート
「京都の産学公連携を語る際、島津製作所の存在は大きい」ということで企業のホームページを見てみると、『島津製作所の創業者である島津源蔵氏は、舎密局*2に足繁く通い、理化学分野の広範な知識と技術を習得。わが国の進むべき道は科学立国であるとの理想に燃えて、理化学器械製造の業を明治8年(1875年)に開始、その後数々のイノベーションを起こしていきました』とありました。そして、『わが国にレントゲン博士がX線を発見したとの報告が届くと、京都では第三高等学校の村岡範為馳教授が研究に着手。電源設備のある島津を実験場にあて、村岡教授、糟谷宗資助手、そして二代島津源蔵と弟の源吉が実験を行いました。島津製作所においてX線写真の撮影に成功したのは、明治29年(1896年)10月10日で、レントゲン博士がX線を発見してから11ヵ月後のことでした』とありました。
- ポイント2:
- 先見性のある経営者の存在が地域にイノベーションを起こしてきた。それはまさに産学連携という方法によるものだった。
■京都の産学公連携における京都大学の存在
「京都大学の存在もまた大きかった」ということで成り立ちを調べてみたところ、『旧制第三高等学校の淵源は1869年に大阪で設立された舎密局に求められる。第三高等中学校時代の1889年に京都市に移転。これが現在の京都大学総合人間学部の前身である。』とありました。
- ポイント3:
- 産学官連携における大学の役割は大きく、その中心的存在となる大学が地域にあるかどうかも大事。
ここまでは京都の歴史からの話です。次に、お聞きした話から京都の特徴をまとめてみます。
■京都の特徴って何だろう
- 大学の街である。いろんな産業もある。イノベーションは組み合わせ。組み合わせの選択肢が無数にある。
- 知恵の蓄積がある。知恵は独自性、差別化の源泉となる。
- 時流に乗らない。世の中の動きが自分たちの腑(ふ)に落ちなければ動かない、公募事業であっても最後まで動かない。ただし、やるならば先頭を切ってやる。
- 目利きの文化がある。目利きとは、製品の値打ちが分かる人。その目利きの目にかなったら報いられると言う考え方がある。つまりは、製品品質を落とすことに抵抗があるということ。
- 人がやることをそのまま模倣しても評価されない風土がある。独自性がないと評価されない。模倣することは恥ずかしいという気質がある。
- 産業が多様なのは、弱肉強食の産業社会ではなく、それぞれが棲み分けながら進化していくという、共生の意識がある。長寿企業が多いのもそうした関係ではないか。
- ポイント4:
- 「ほんまもん」を見極める力を養い、信用を失わず長く続けていくための知恵を町そのものに蓄積してきた。みんなで取り組むという意識、共生の意識が大事。
■京都地域における産学公連携科学技術研究開発の特徴って何だろう
- 産学公連携の目的は学の成果を社会実装すること。産業界に役立つことに取り組むための技術応用のプレイヤーを、公と産が大学から引っ張り出したこと。
- 連携活動においては、PDCAサイクルを回しながら見直しを測ることが大事。成果が出ているかどうかの評価は厳しく、外れていくプロジェクトもある。残ったプロジェクトに研究費を再配分しながら進めていくことが大事。
- 芯になるテーマが一つあるというよりも、おもちゃ箱をひっくり返したようにいろんなテーマがあることも特徴の一つ。
- ポイント5:
- 尖(とが)っていないと連携してもうまくいかない。連携して成功するにはそれぞれが尖ってないとダメ。自分の強みがない人が集まってもダメ。朗らかな人だけではうまくいかない。
■産産学学という考え方へ
- 1社と1大学の取り組みではなく、学に対して複数の産を連携させる必要がある。
- 製品開発力のあるベンチャー企業・中小企業を発掘し、産産学学連携による試作支援体制を構築する。この場合の産は、川上から川下の、中小企業、大企業の中での産産である。
- 試作などの試験的な取り組みは中小企業が担当しまずは中小企業が製品化する。それを見た大企業が市場性を目利きして市場性があると判断すれば、社会へと本格的に普及させていくことを担当する。この仕組みができた時に堀場製作所創業者の堀場雅夫氏は、やっと「ほんまもん」ができたと言われていたそうだ。
- ポイント6:
- 学の成果を社会実装するには1社と1大学の連携だけでは難しい。産業界に役立つこととは製品が市場に広く出ていくこと。そのためには産産学学体制での役割分担が大事。
■文化度が高いこと
「京都の人が他の地域の人と違う点があるとしたら何ですか?」「中小企業の経営者の中にも茶道をたしなむ人が多い。庭師も茶道をやっている。茶道を通じて文化を学んでいる」茶庭の落ち葉は、庭を掃いて、葉を1枚1枚磨き、そこから散らす、その風情を人々が愛でているとお聞きして、奥が深く、これぞ「ほんまもん」なのだと思いました。
- ポイント7:
- 日々の仕事に文化の視点を融合することが大事。文化を学ぶことが大事。
■人と人が会うことで築ける信頼関係
「人と人がつながっていく仕組みはありますか?」「町がコンパクトで、産業、行政、大学、文化人が近い距離にいることも特徴。人と人が密接に会う。だんだんと理解が深まることで親しくなり信頼関係が構築できている」
- ポイント8:
- 人と人の出会いが大事。出会いの機会をつくるプログラムが必要であり、そのプログラムは短期の取り組みではなく長く続けることが大事。
■「京都産学公連携機構」の設立はオール京都としての体制構築の最終ステージ
「代表幹事は京都府、京都市、京都大学、財団法人大学コンソーシアム京都、京都商工会議所。産として社団法人京都工業会が入っているのも特徴。文部科学省がプラットフォームを形成しようと声を掛ける前から取り組んできた京都にとって、京都産学公連携機構は最終ステージ、これまでの取り組みの完成形です」
- ポイント9:
- 地域にとって必要だと思うことは国が声を掛ける前から自発的にみんなで取り組んでいくことが大事。
■大学と自治体が密接な関係にある
「京都府は企業から産学連携を仕掛けていく。京都市は大学から産学連携を仕掛けていく。大学と自治体が密接な関係にあるのも大きな特徴」
- ポイント10:
- 大学と企業が個々に連携するだけでは地域のイノベーションにはつながりにくい。大学と産業界をつなぐ自治体が密接な関係にあることが大事。そして、産業支援機関が中小企業と大学の連携をコーディネートすることが大事。
■公設の試験研究機関の役割
「京都には府と市の二つの試験研究機関があり、うまく役割分担している。国の大型プロジェクトをやる時にも中小企業が大学と直接結び付くのは難しく、公設の試験研究機関が果たす役割は大きかった」
- ポイント11:
- 大学と中小企業の連携において試験研究機関を活用することが大学の研究技術を社会実装する際の実現可能性を高めていく。
■失敗するかもしれないからこそ役所がやる
- 成功することが分かっているのならばわざわざ役所がやらなくても良い。
- 役所がお金と人を使うのだから、何か新しい価値を生み出す必要がある。
- 最初の道筋を付けることが役所の役割。失敗するかもしれないがまずは一度やってみる。
- 失敗することで分かることがある。そしてそれは次の人の役に立つ。企業に還元できればそれで良い。
- プロジェクトに参加する人たちにとっては失敗も役に立つ。1社で失敗するよりはみんなで失敗しリスクを分散した方が良い。
- ポイント12:
- 役所は何事にもチャレンジしながら企業へその結果を還元していくことが大事。
「役所が失敗してもいいというのは意外でした」。「あれがあったからこの成功に結び付いたという歴史的な目線を持っているので失敗もOKです。家訓は失敗してきたからこそ書き留めているもの。失敗しなければ気が付かない」
- ポイント13:
- 失敗するからこそ分かることがある。そして次の世代へと伝えていくことが大事。
■これからの産学公連携の在り方について
- 課題が高度化してきており、文理融合、産産学学で産学公連携のレベルを上げていく。
- 価値転換が大事。時には現在の価値とは真逆のことに価値を転換することも考える。
- 地域を巻き込んで社会課題解決型で持続可能な産学公連携を目指す。
- 生きる力に意識を向ける。人としての根本的な部分。そこに意識を向けなければ社会課題は解決できない。その上で実現するための技術を考えることが大事。
- 地域でたくさんのプロジェクトを積極的に立ち上げていくことが大事。
- いろんな企業が参加して産業支援推進組織である自治体が役割を果たしていくことが大事。大学や企業に直接補助金が入る産学連携ではなく、産業支援推進組織である自治体が関与できるような産学官連携のシステムであることが大事。
- 大企業がグローバルな産学連携に取り組んでいく中で、中小企業の出番がなくなってしまわないようにすることが大事。地域の新しいプロジェクトに中小企業をどんどん巻き込んでいく。公設試験研究機関も巻き込みながら中小企業の出番を作れるコーディネーターの存在が大事。
- 企業OBだけではなく、プロパーのコーディネーターを増やすことも大事。
- 海外のモデルをマネするのではなく、過去の実績を振り返り日本流を構築することが大事。
- ポイント14:
- ヒアリングを終えて思うことは、社会課題を解決しより良い社会にしていきたいという思いのある尖った人たちが、常日頃から交流し、信頼関係を築き、目の前の課題に真剣に向き合い、解決策を探していくことが大事。結局は「人」なのではないか。仕組みだけで成功することはなく、地域を巻き込んでみんなで取り組む、その個々の「人」の意識・スキルによるところは大きい。
- ポイント15:
- 立場を超え積極的に人に会いに行きましょう!
制度的なお話もたくさんお聞きしましたが、私が「なるほど!」と感じた点を一つでも多くお伝えできたらと思いこのようなまとめ方とさせていただきました。
- *1:
- 「番組(ばんぐみ)小学校」:明治2年(1869)に地域住民が出資者となり、全ての子ども(華士族以外)が通える日本初の学区制小学校のこと。半年間で64校、日本の法律において学校制度ができる3年も前の出来事。KYOTO SIDEウェブサイト
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- *2:
- 舎密局(せいみきょく):明治維新期における化学技術の研究・教育、および勧業のために作られた官営・公営機関。
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