特集集成と未來

なぜ「(株)キャンパスクリエイト」を創業したか

電気通信大学 梶谷 誠

写真:電気通信大学 梶谷 誠

2023年3月15日

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■はじめに

2022年2月11日金曜日、株式会社キャンパスクリエイト(東京都調布市)の安田耕平社長が新型コロナウイルス感染症で急逝された。私にとっては盟友であり、良き相談相手でもあった安田さんの死は大きな衝撃であった。

1999年に設立されたキャンパスクリエイトが途中苦難の時期もあったが、23年間も生き続け、現在のようにユニークなTLOとして、他に類を見ないほどの多様性に富んだ事業展開によって社会に貢献できているのはなぜか? 安田社長の類まれなるベンチャー精神とリーダーシップと、その下で共に挑戦してきた社員の努力の賜物(たまもの)であることには疑う余地はない。

しかし、その前提として、なぜキャンパスクリエイトを創業したのかという創業の理念あるいは企業理念が間違っていなかったからに違いないと、創業に関わったものとして密かに自負してきた。本稿では、現在の同社の経営状況には直接は触れず、同社の創業を提案した者として、そのいきさつを述べ、これからの日本における産学官連携の在り方の一つのささやかな参考にしていただければ、安田さんも喜んでくれるのではと思い、本稿を執筆することにした。

■欧米と日本の産学連携の実態の格差にショックを受ける

私は、1960年代のまだ「産学官連携」や「産学共同研究」という言葉を聞いたこともない学生の時から大学の研究者になってからも、企業との共同研究に深く関わってきた。しかし、大学全体としては産学官連携に対する認識は低く、産業界でも大学との連携に積極的な企業は限られていた。

1990年、私は文部省(当時)の在外研究員として、イギリス、ドイツ、デンマーク、フィンランド、アメリカなどの大学を訪問する機会を与えられた。そこで見たのは、大学の教育と研究を側面から支える種々のアウトソーシングの姿であった。

産学共同研究に関連しては、大学のキャンパス内に教授が社長をする製造会社があったり、学内にあるコンサルタント会社に教授が週に1回勤務して、共同研究や学生のテーマを探したりしている。キャンパスに隣接して、大学と密接に連携する企業団地が存在することも珍しくない。しかも、それらの間を結ぶコーディネーター役も充実していた。研究面だけでなく、教育に関わるさまざまなサービスをこなしてくれるアウトソーシングも存在した。学内で実施する学会などのイベントに際しても、その運営の一式を引き受ける会社があった。このようなアウトソーシングを活用することにより、教員は教育や研究そのものに専任できているのだった。

翻って、わが国の大学では、教員は教育や研究そのもの以外のそれらを支えるさまざまなことを自分自身でやる必要があり、非常に多忙で、教育や研究の芯の部分に専念できる時間に限りがあった。この彼我の違いがある限り、日本の大学は欧米の大学にはとても太刀打ちできない危機感を持った。

こう感じたのが今から30年以上も前であったが、日本では、教育研究支援体制の充実には関心が薄く、改善に向かうどころか、国立大学の法人化を契機に、このような状況はますます顕著になり、研究成果の国際的な地位の低下として顕著に表面化してきている。

■「電気通信大学の子会社を作りたい」と訴え続けた

在外研究から帰国後、私は事あるごとに海外の上記のような実例を話題にし、「大学にも子会社が必要だ」と話していた。ただ、それは個人的な思いにすぎず、具体的に「子会社を作る」計画を持っていたわけではなかった。そもそも、国立大学が会社を作ることなどはできなかったので、大学人はほとんど興味を示さなかった。

しばらくして、私は電気通信大学の同窓会である目黒会の理事をすることになった。しばしば、目黒会の会合があり、先輩や後輩の同窓生と懇談する機会が増えていった。その雑談の中で、海外での見聞の話をして、「子会社を作りたい」というのが口癖のようになっていた。大学人と違って、同窓生の多くは民間企業人であるせいか、会社を作る話には興味を示す人がいた。その中の一人が当時目黒会の専務理事をしていた安田さんだった。

■思いがけない転機が訪れた

1999年4月1日、私は電気通信大学共同研究センター長に就任した。それからまもなく、安田さんがやってきて「先生がいつも言っている会社を私がやります」と言うので、びっくりしたがうれしかった。

さかのぼること1年ほど前の1998年8月、大学等技術移転促進法(TLO法)が施行されていた。このことも既に安田さんとは情報を共有していた。安田さんは日経産業新聞に、「TLOの話は前年に電気通信大学の梶谷誠教授から聞いていた。同窓会の理事会で話す機会があったのだ」(仕事人 秘録:産学官の縁を結ぶ⑤、2012年4月11日)と書き残している。

私は、TLO法の成立によって、国立大学が初めてアウトソーシングの会社を持てるようになったと認識していた。ただ、TLO法はあくまでTLOという特定の事業を対象としたもので、どんな事業でも自由に子会社を作れるようになったわけではなかった。

しかし、ここに至って、安田さんの「清水の舞台から飛び降りる」決断を無にするわけにはいかなかった。

■TLO法を踏み台にしようと決意

この時点で、全国では既に幾つかのTLOが立ち上がっていた。しかし、私が作りたい子会社は先行するTLOとは目的が異なっていた。私は初心を貫くこととし、安田さんも完全に同調してくれた。

二人で話し合った結果、新会社設立の基本方針を次のように定めた。

①事業内容は、TLO業務に特化せず、教員が必要とする種々のサービス業務を請け負う。

教員が欲するアウトソーシングの業務は特許に関することの他にも多岐にわたっている。その要望にできるだけ応えることが子会社設立の本来の目的であった。さらに、民間会社として自立していくためには、健全な収益体制を確立する必要があり、技術移転業務だけではそれは不可能と判断した。

②上記を全うするため、文科省と経産省の承認は申請しない。

TLO法に基づく会社を設立する場合には、事業の実施計画を文部科学省(文科省)・経済産業省(経産省)に提出して承認を受ける必要があった。TLO法では、事業を「特定大学技術移転事業」に特化しており、これから外れた場合には承認を受けられない。しかし、承認がなくても民間会社が技術移転を事業とすることを妨げてはいないと解釈した。それなら、あえて承認申請をせず、技術移転事業以外の事業も心おきなくやろうと考えた。

実は、承認TLOになれば、設立後数年間は補助金を受けることができた。これは事業が軌道に乗るまでの資金としてありがたいことである。しかし、株式会社として自立するためには、補助金を頼りにせず、背水の陣で臨む覚悟が必要だと考え、甘い蜜には目をつぶった。

③株式会社として設立するが、出資者は電気通信大学の教職員と同窓生の個人に限る。

既に設立されたTLOの中には、会員制度を採用する所もあった。会費収入が確実な収入源となるメリットがある。しかし、われわれは民間の株式会社として自己責任で運営する厳しい選択肢を選んだ。出資者については、会社などの法人を避けることとした。資金力や経営力の強い企業の支配下に置かれる可能性を排除して、電気通信大学の関係者個人の愛校心をよりどころにした。

④大学の教授会の審議事項にはしない。

先行するTLOの設立に際して、大学当局との調整で苦労している話を耳にしていた。大学当局の直接の関与なしであっても、電気通信大学の関係者個人の出資で、大学のための事業をする会社であれば、事実上の子会社であることに変わりない。この方針を時の学長の有山正孝先生に説明したところ、ご理解をいただき、快諾を得た。もし大学当局の了承が必要となると、会社発足後も何かと干渉される可能性も予想された。

以上のように、TLO法の設立を機に、国立大学が民間企業を設立できるようになったというところを強調し(その事業が限定されていることに目をつぶれば)、この環境の変化をうまく利用し、いささか強引に会社設立に踏み出すこととした。

■あっという間の設立

私が共同研究センター長になったのは1999年4月であったが、われわれの行動は素早く精力的であった。前述の基本方針を決めてから仲間を集め、「リエゾンオフィス発起人会」を立ち上げることにした。発起人会の世話人に私と安田さんとともに、ベンチャービジネスラボラトリーの森崎弘所長(故人)にお願いした。

同年の7月21日に、リエゾンオフィス発起人会の総会を開催し、リエゾンオフィス設立趣意書を採択した。趣意書の発起人代表は梶谷と森崎氏が当った。趣意書の一部には次のような記述がある。

「業務は、電気通信大学の教育と研究と社会貢献に関わる幅広い活動を支援する業務を請け負うことができるものとする。したがって当面は、いわゆるTLO法に基づく技術移転を専門とする会社としない。<中略>大学は、学問と研究の自由を保障される場でなければならない。産学の連携が産の主導に学が従属する関係に成り下がらないためには、われわれが主体的に行動し、実績を示すことが何よりも重要と考える」

発起人会後、ただちに学内と同窓会に対して出資の呼び掛けを行い、55人から1,945万円の出資金が集まった。予想以上のことであった。

出資の呼び掛けからわずか1カ月余の8月27日に、キャンパスクリエイトの設立総会を開催し、安田さんが社長に就任した(会社の正式な設立は9月1日)。「キャンパスクリエイト」という社名は私が名付けた。

■おわりに

会社設立は大失態からスタートした。会社設立の挨拶状を各所に送ったところ、文科省から、「貴社は承認TLOではないのに、学内の施設を使っているのか」というクレームが届いた。挨拶状に記載の会社の住所が学内になっていたのだった。承認TLOは大学施設を無償で使用することが認められていたので、拡大解釈してしまっていた。慌てて、会社の登記上の住所を安田さんの自宅に移した。

安田さんは学内の教員を回って営業活動を行い、部品の調達など便利屋的な仕事から始め、初年度から黒字を出した。その後もコンサルタントや人材派遣業や旅行業まで、教員や大学の多様な要請に積極的に応えて、黒字を続けてユニークなTLOとして注目されるようになった。

そのうち意外なことが起こった。文科省と経産省から承認TLOに申請するように勧められたのである。会社の事業をTLO事業と他の事業に、明確に区別すれば良いということになった。2003年2月、キャンパスクリエイトは承認TLOに登録された。