巻頭言

新たな段階を迎えた産学官の連携

東洋大学 学長 矢口 悦子

写真:東洋大学 学長 矢口 悦子

2023年2月15日

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Society5.0と呼ばれる社会において、とりわけ産業界からは、情報関係の知識とデータ連携や活用に関するスキルを習得させるプログラム(リスキリング)を大学に期待する声が高まっている。同時に、SDGs(持続可能な開発目標)に象徴される環境問題への取り組みにおいて産学官による連携が各地で進められており、大学と産業界とは、社会課題への対応におけるパートナーとして協働する段階を迎えている。

元々、産学連携は高度経済成長期を牽引(けんいん)する役割を果たしてきた。そうした歴史の中でも、東洋大学工学部(現理工学部)の新設は、特筆すべき特徴を持っていた。

東洋大学に理工系学部の設置を構想していた当時の理事等は、日本生産性本部によるアメリカでの「産学協同専門視察団」に参加した大越諄(後に東洋大学初代工学部長)に白羽の矢を立て、アメリカのような産学協同の教育システムの実現に奔走(ほんそう)する。しかし、その実現には資金が不足していた。これに対し、産学協同の意義に賛同した日立製作所をはじめとした企業が寄付によって支え、ついに1961年に工学部設置が実現する。当時としては画期的な産学協同教育システムとして、大学での教育と企業での実習経験を交互に繰り返すサンドイッチ方式を目指したものであった。さらに、産業界との連携を強固なものとするために、工業技術研究会(現工業技術研究所)を翌62年に発足させ、企業からの委託研究、技術相談を行うとともに、会員企業のための講演会などを企画した。まさに産学協同による技術者養成と研究成果の公開による製品開発が実現したのである(『東洋大学百年史』参照)。

その後、高度経済成長を成し遂げた産業界では、企業内教育と研究開発の仕組みが高度化され、大学への期待は以前ほど大きなものではなくなった。

しかし、失われた30年と言われる時代を迎えた近年の日本経済の停滞は産業界の在り方も大きく変えてきた。21世紀に入ると、大学における研究を活用した産学連携、さらにはアクターとしての「官」や「金」を加えた産官学金連携、地域連携も活発になってきた。そうした中での「リスキリング」への期待である。

欧米のように公共的な資格制度を構築し、技術やスキルと大学による学位との関係を明示することで、リカレント教育が展開されている社会と比べると、日本ではそうした仕組み作りにおいて30年以上の遅れがある。そのために、今企業が求めている技能やスキルを身に付ける「リスキリング」の場としての大学や大学院への期待は、しばらく続くと予想される。

とはいえ、大学の本来の役割は果たしてそこにとどまって良いだろうか。企業と大学との往還(リカレント)によって創造的な協働を進めながらも、企業のスピード感にあまり左右されることなく、原理的な研究を進める大学の役割を忘れてはならない。60年前の東洋大学工学部開設時に求められたように、なぜその技術を開発するのか、なぜその研究を進める必要があるのかを本質に迫って深く探求する力、すなわち「哲学する力」を持つことで、産学官連携における「学」としての在り方を追究したいと思う。

産業の発展に寄せる人々の熱意は、時代を超えて伝わってくるものがあり、人々の幸福を願って社会で役に立つ技術を提供することに真摯(しんし)に向き合った先人たちの教育者・研究者・技術者としての思いの襷(たすき)はしっかりと引き継いでいきたい。