シリーズ防災と減災と被災後

瓦礫の中から起業した会社が成長を続ける理由
復興の原動力は、人間関係の積み重ね

2022年10月15日

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東日本大震災直後に釜石市で起業した企業が事業を拡大し、地元の雇用を増やし続けている。インフラも整わない瓦礫(がれき)が散乱する町からどうやって成長してこられたのか。

■5人から100人の生活を支える企業へ成長

東日本大震災から今年で11年になる。震災関連死を含め死者と行方不明者は2万2000人余りに上り、今も避難生活を余儀なくされる人々がいる中で、今なお復興のための努力が続いている。

岩手県釜石市の釜石ヒカリフーズ株式会社は、銀行出身の佐藤正一社長が震災後の8月に起業した水産加工会社だ。会社の登記は2011年8月30日だが、資金繰りや人、土地探しで1年かかり、釜石市唐丹町(とうにちょう)の本社工場が稼働したのは、2012年7月25日だ。

本社工場では、主に生食用の海産物を扱い、徐々に売り上げを伸ばし2020年5月には釜石市浜町に第2工場を建設し、煮魚や焼き魚などの加工品を製造するまでになった。さらに第1、2工場だけでは供給が需要に追いつかず事業拡大に対応するため、近隣の加工業者へ協力を依頼して協業を開始しグループ会社を作り上げた。

創業当時は5人でスタート、今では20~73歳の地元の人たちを雇用し、ベトナム、インドネシアからの外国人技能研修実習生12人を含め65人までに膨れ上がった。これにグループ企業を含めると100人ほどの生活を預かる地域に欠かせない企業にまで成長した。

岩手県の食材を使用した食堂「ヒカリ食堂」

■いつまでも被災者であってはだめ

工場稼働前の1期目の売り上げはほぼゼロ、2期目はおよそ5,000万円、売り上げの中心となる大手飲食チェーンと食品流通卸業者との取り引きを増やしていったことで売り上げを伸ばすも、コロナの影響で一昨年、昨年は飲食店需要が激減して第2工場はほとんど稼働しなかった。だが、外食が控えられた時期に、自宅で料理をする家庭が増えた巣ごもり需要でコロナ下の在宅ニーズを取り込む全国各地の生協会員向け共同購入や大手回転寿司チェーン店・量販店などの需要が下支えし、今期は12億円をもくろむ。外食だけに依存していれば2年間は赤字だっただろう。

釜石ヒカリフーズが同業他社と違うのは、震災の影響で一般的な公共的な補助金が受けられない状態だったことからのゼロスタート、いやマイナスからのスタートだった。この力強さが原動力になったのではないだろうか。10年で10億円近い売り上げになるまでに成長したことは復興の象徴とも言えそうだ。

「最初は被災地だから善意で買ってくれますが、いつまでもそうはいきません。震災から10年以上が経ち、高速道路も整備され便利になってきていますが、いつまでも被災者であってはだめです。社会から援助を受けるだけで自分だけが良ければそれでいい、そんな考えでは企業も継続できません。いただいたものはいかにして返していくか。社会にどう還元していくか。民間企業であっても公共性のあることに取り組んでいく姿勢が必要です。公共性のない企業は発展しません」と佐藤社長は話す。

2019年には、釜石魚河岸にぎわい館「魚河岸テラス」内に、岩手県の食材を使用した食堂「ヒカリ食堂」をオープンし、釜石と岩手県の食材を使った食堂で、地域食材のブランド構築にも余念がない。

■大学との共同研究で鮮度保持の意識が浸透

佐藤社長は、当時の独立行政法人科学技術振興機構(JST)復興促進センター盛岡事務所の橋渡しで、高知工科大学の松本泰典准教授の鮮度保持技術を知った。

震災直後は仕事がなく、生活を守るための正規雇用維持や水産業の復興、若手の人材育成を会社設立の目的に掲げてきたこともあり、三陸の魚の特徴を生かすために、JSTのプログラムに応募しスラリーアイスによる生食魚介の鮮度を保つ共同研究を3年間進めてきた。釜石市は県内でも人口減少率が最も顕著な地域で、過疎化が顕在化している他の地域と同じことをしていては埋没してしまうからだ。

スラリーアイスの生成自体は小型でも可能だが、会社の規模が大きくなるに伴い設備投資が必要になることからスラリーアイスの活用は断念せざるを得なかったが、この経験で管理職を含め従業員一人一人に鮮度に対する考え方が浸透し意識が向上。人材育成につながった。人任せだった鮮度保持に対する意識変化が、地元で付加価値を付けて冷凍し出荷することにつながったという。

■販路開拓と資金繰りは人とのつながりで乗り越える

佐藤社長は、販路開拓と資金繰りが大きな課題だったという。39歳で銀行を辞め51歳で起業したが、当時の役職員との縁を大切に交流を続けてきた。その人脈で資金繰りのヒントを得て過不足なく資金調達ができた。「今年62歳になりますが、どんなに業容が拡大しても、ITが浸透したとしても、人と人とのつながりが今の成長につながっています」と強調する。

創業1年目にカタール政府からのカタールフレンド基金による資金提供1億円を受けた後もカタールの人たちとも親交が続いている。また共同研究が終了した高知大学やJSTとも関係が途切れることなく継続しているという。

人生は人間関係の積み重ね。それがなければ資金調達も販路開拓もできなかったかもしれない。今後は、財務改革を実行しながら創業赤字を圧縮し、「釜石から出なくても仕事があるんだよ」と言えるよう雇用を安定させたい。佐藤社長の挑戦も途切れることなく続いている。

(本誌編集長/大妻女子大学 地域連携・地域貢献プロジェクト専門委員 山口 泰博)