研究者エッセイ

子どもたちの声に導かれて

山梨県立大学 人間福祉学部 福祉コミュニティ学科 山田 勝美

写真:山梨県立大学 人間福祉学部 福祉コミュニティ学科 山田 勝美
作画:佐野 晶子

2022年9月15日

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■はじめに

私の専門領域は子ども家庭福祉とソーシャルワークである。特に、虐待を受け、児童養護施設(以下、施設)に入所している子どもたちの自立支援を研究テーマとしてきている。つまり、彼らが退所後、もしくは家庭復帰した後に安定的な生活を営めるようになるためには何が必要なのかを研究テーマに掲げ考え続けてきている。そういう私は、少し変わった経歴を持っている。大学院在学中に施設現場に出た私は、数年後に短大・大学で研究・教育に従事した。その後、再び施設現場に施設長として赴任し、10年間施設長を務め、現在大学に籍を置いている。私は、こうした現場経験を通して、たくさんの研究課題を子どもたちと過ごす中で得てきたと考えている。本稿では、その経緯を簡略に説明した上で、現在の取り組みについて述べ、当事者の声をいかに研究に結び付けるか、その意義について述べてみたい。

■子どもたちと共に生活をするなかで

私が初めて施設に勤めたのは、今から約30年前である。当時は、まだ虐待という概念で子どもの示す様々な問題行動を捉えることが一般的ではなかったといってよいだろう。そうした中で出会った父親から虐待を受けたA君(10歳)との出逢いは私の原点となった。今日では私たちの研究領域では「重篤な課題を抱えている」という言葉がよく使われるが、まさにA君は、そういう子どもであった。力の弱い子どもへの支配性の強さとしてのいじめ、虐待関係の再演として食器をひっくり返し、私自身を罵倒することなどである。当時の私は、こうした概念を知らなかったので、そこで何が起きているのかがよく分からなかった。むろん、対応は当たり前過ぎるぐらいの叱責でしかなく、問題はエスカレートしていった**1,

A君から学んだことは数多くあるのだが、指摘しておきたいのは、知識はそこで何が起きているのか、つまり現象を理解する手立てとなることだ。むろん、それが適切な支援へと導くことになる。他方で、知識をもって理解し、対応を図っても問題はすぐに解決するわけではないこと、むしろ大切なのは、誰かにサポートしてもらいながら、援助者自身が自らの非力さに耐え、そこに居続けることだと知った。

私はその後、管理者として再び現場に戻る。指導員としての経験はわずか3年程度であり、それで何が分かったのかという問いが自らの中に存在し続けたことが戻った大きな理由の一つである。そこで数多くの、自ら選択したわけではない親からの虐待を受け、さらに、自ら選択したわけではない施設に入れられることになった子どもたちの苦悩と出逢うことになる。むろん、多くの子どもたちは変わっていけること、そうした可塑性を抱えた存在であることが深く刻まれた。だが同時に、強いられた人生を受け入れられず、苦悩する子どもたちの存在に何かできることはないのか、それを自問する日々でもあった。

■現在の研究課題とそこで向き合うなかで見えてきていること

私は再び研究の場に籍を置くことを許された。施設長時代に抱えていた疑問の一つ、強いられた人生を彼らが少しでも受け止められ、自分らしい人生を生きていくために何ができるのかということを研究テーマとしていくこととなる。

施設現場で聴いた子どもたちの苦悩を象徴した声は、「親のくせに」という言葉であった。「親のくせに、なぜ産んだ子どもを施設に預け、そして、引き取ることもしないのか」という疑問である。そこには怒りが同居していることが多い。子どもたちの多くは、そうした現実を引き受けられず、問題を起こしても、「俺はこんなところ(施設)、好きで来たわけじぇねぇし…」と逆切れする。こうした行為は、子どももしてはいけないことをしていると理解はしているので、施設そのものにも居づらさを感じてしまう。こうして状況は悪化することがよくある。

つまり、実践的な研究課題は、親が自分を施設に入れた現実、しかも中には、虐待をされたという現実、加えて、その後、親は自ら謝罪することもなく、状況が変わらない現実が少なからず存在し、そうした現実が子どもにもたらす苦悩にいかに対処するのかということになる。

現在、私は、ここまで記した問題意識を共有し、その問題意識に立って実践を展開している各地の施設の職員とそこで暮らし、現在比較的安定的な暮らしを営んでいる退所者に聞き取り調査を行っている。その一端を紹介しておきたい。

根底にあるものは、「施設に来て良かった」と実感できることである。わけもなく殴られたり、怒鳴られたりしない暮らし、衣食住にわたり大切にされていると感じられる日々の営みがまずは安心・安全感を取り戻させる。今後丁寧に分析していきたいと考えているが、過去と向き合っていく前提にあるものは、今を受け入れることなのかもしれない。安心感が取り戻されると、少しずつ、過去の傷が日々の暮らしの中で表出されていく。職員がその現象に振り回されながらも、そこにある家族への葛藤や今まで受け入れてもらえなかった言葉に、怒りや寂しさがあることを理解しながら受け止めていく作業の過程で、職員は子どもにとってかけがえのない存在となっていく。

こうして子どもの根底にある強いられた人生への疑問を共有させてもらう関係が子どもとできる。そして、子どものタイミングでその疑問に答えていく。ここについても今後丁寧に検討を加える予定であるが、そこで行われているのは、親が虐待行為をせざるを得なかった理由や背景の説明であった。親もまたしたくてしたわけではなかったこと、親自身もまた被害者であり、誰を責めても仕方ないことを知り、自分の人生を生きていく覚悟を持つことに至るのではないだろうか。

■おわりに

福祉実践を研究テーマに掲げている者として、また現場を経験してきた者として、現場には埋もれた重要な課題があり、そこに焦点を当て、言葉にしていく作業がとても大切であると考えている。現場に身を置いた者であるからこそ分かることがあるように思う。現場には言葉にしにくい実態があり、そこに含意されたものの意味の重さが推察できるのである。現場の苦悩や先駆的実践に言葉を与えていく営みを行っていきたい。特に、当事者である者の言葉にならない思いを汲み取れる存在でありたいと思っている。

参考文献

**1:
山田勝美(2002)「虐待を受けた子どもの自立支援」村井美紀・小林秀義編 中央法規出版
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**2:
山田勝美(2022)「子どもの家族の現実を受け止める」児童養護52巻4号
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