特集文理融合・組織連携

量子コンピューティングを切り開く

2022年8月15日

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東京大学大学院理学系研究科は、量子コンピュータによる新しい量子機械学習手法の研究や量子アプリケーションの開発を目的に、2021年6月「量子ソフトウェア」寄付講座を設置した。学外の企業10社からの資金を受け2022年10月には本格的に講義もスタートさせる。

■協賛・協力企業10社による寄付講座

学外の企業などから寄付を受けた資金や人材を活用して研究教育を行う広義の寄付講座は、産学連携の一環として行われることが多い。一般的に寄付講座を運営するには、最小単位でも年間、1,500~2,000万円が必要といわれる。協賛企業が多ければ多いほど、内容も充実させることが可能だ。しかし寄付した企業には基本的に見返りはなく、あくまでテーマとなる研究推進や人材育成を支援する側だ。

2004年4月に国立大学の法人化を起点に、多くの大学で寄付講座が設置され、人材獲得の思惑も絡んで寄付講座は増加傾向にある。寄付は非営利目的で個人や一般も対象となる。連携する寄付側には必ずしも直接的成果の還元はないが、寄付者の意図に応じて資金や人材を活用できるケースがある。

「量子ソフトウェア」寄付講座では、量子コンピュータと情報圧縮に役立つテンソルネットワークや情報抽出を行うサンプリング手法などの組み合わせによる新しい量子機械学習手法や量子アプリケーションの開発を行う。また大規模シミュレーションによる量子コンピュータの背後に潜む物理の理解や最先端の知見獲得を通して、社会実装する際の課題解決ができる量子ネイティブな専門人材育成を目指している。期間はまずは2024年5月31日までの3年間だ。

この講座で東京大学は、産業界の動向把握や量子関連研究領域の教育強化、協賛企業とのさらなる産学連携の可能性を広げることが期待でき、協賛企業側は、量子デバイスメーカーから量子コンピュータのユーザーまで様々な立場で参画する。

講座に協賛し協力する企業は、SCSK株式会社、株式会社NTTデータ、株式会社電通国際情報サービス、日鉄ソリューションズ株式会社、株式会社三井住友フィナンシャルグループ株式会社日本総合研究所、日本電気株式会社、日本ユニシス株式会社(現BIPROGY株式会社)、富士通株式会社、凸版印刷株式会社、blueqat(ブルーキャット)株式会社の10社。寄付する企業のメリットは、量子コンピュータ人材育成への貢献や自社の研究開発(R&D)、ビジネスへの応用に向けた人材育成やスキルアップだ。その過程で、大学と協賛企業同士の共創にもつながり複合的な連携強化への期待といえる。一方、社会連携講座や共同研究講座では、協賛金を負担する企業には研究開発の成果が還元される。

講義を受講するのは東京大学の大学院生50~60人で、教員は、藤堂眞治教授、大久保毅特任准教授、秋山進一郎特任助教の3人が務める。

量子情報技術は、物理学の一分野として進展してきたが、実用化には情報や数理、電気工学など広い分野の知見が必要で、特にソフトウェアとアーキテクチャーの研究が急務と言われる。藤堂教授によれば、協賛企業にも名を連ねるblueqatの湊雄一郎社長から、産業界では量子コンピューターへの期待は大きく、大学で基礎的なことを教えてほしいと助言を受けたのがきっかけだという。一般的な講義には、工学的な応用は取り入れられているが、物理寄りの基礎的なことの必要性を感じたと語ってくれた。そうは言っても協賛・協力企業の候補選定から運営全般を教員が全て仕切るのは難しい。そこでblueqatと日本総合研究所が幹事役のような位置付けで協力も行う。東京大学には、医学部や工学部の寄付講座は多くあるが、理学部は少なく、これが2件目。どのくらいの関わり方でどう進めていけばいいのか手探りの運営だ。「企業の皆さんには、研究を支えていただくだけではなく、運営に関してもさまざまな意見をいただきながら進めています」と藤堂教授。

「量子ソフトウェア」寄付講座のメンバー。左から秋山特任助教、藤堂教授、大久保特任准教授。

■量子コンピューティング

量子コンピュータは量子力学の現象を情報処理技術に適用することで、従来型のコンピュータ(古典コンピュータ)では容易に解くことのできない複雑な計算を解くことができ、量子の重ね合わせや量子のもつれなどの量子力学の現象を利用して並列計算を可能にするコンピュータだ。問題によっては、スーパーコンピュータ(スパコン)のような古典コンピュータでは、数万年以上かかるような膨大な時間を必要とする計算でも、たった数分で終えることができるとされ、産業界を含め多方面で期待されている。

米国をはじめEUや中国などは巨額の予算を投じて開発にしのぎを削る。IBMやグーグル、マイクロソフトなどは、量子コンピューターの研究開発で一歩リードしていると言われるが、実現すればITバブルどころか産業革命、新たなイノベーションさえ起こす可能性を秘めている。

藤堂教授は、実用化を頂上に置き換えると、今は1~2合目辺りだという。そして完全に古典コンピュータが量子コンピュータに置き換わることはなく、それぞれに得意なことがあるので、組み合わせの使い方も考えることが重要と考えているようだ。「古典コンピューターのスパコンをハイパフォーマンスコンピューティング(HPC)と言いますが、量子も古典も備えて量子HPCを成していて、データもアルゴリズムも、得意なところをシームレスにつなぎながら全体として量子機械学習とか量子シミュレーションで物質を設計できるようなものを作りたい」と明かす。その理由をこう話す。「機械学習にしても、ディープラーニングももともとのシーズは70~80年代から存在していて、AIブームも2~3度あって、いろいろな条件が少しずつ揃っていたことがあります。まずデータがたくさん揃ってきました。ハードウェアとアルゴリズムが進歩してきて、それらがマッチして今のAIの実用化がなされてきた歴史があります」。

量子の進歩でもAIと同じようなことが起こるという見立てで、全ての条件が出揃うタイミングが焦点となりそうだ。

理学系には、知の物理学研究センター(AIの研究)があり、AIを用いた物理の研究や、物理によるAIの研究などが進められている。AIと量子について並走して研究を進めるには理想的な環境であり、「量子ソフトウェア」寄付講座は、知の物理学研究センターと協力連携しながら講座を運営している。

開発の成長曲線は、必ずしも緩やかではない。確かな土壌、一握りのセンスと想像力で条件が出揃う可能性も…あとはささいなきっかけで変わる。

(本誌編集長 山口泰博)