リポート

医師主導治験に関する契約雛形の改訂版公表について

一般社団法人ARO 協議会 知財専門家連絡会(札幌医科大学医学部) 石埜 正穂

写真:一般社団法人ARO 協議会 知財専門家連絡会(札幌医科大学医学部) 石埜 正穂

2022年7月15日

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■はじめに

企業から研究費などのサポートを得て実施する医師主導治験の実施が近年増加しているが、成果の扱いに関する認識に当事者間のずれがあり、アカデミア(以下「大学等」)の現場では契約の締結に難渋している。このため一般社団法人ARO協議会では、現場の活用に資するべく契約雛(ひな)形を作成して2020年に公開した。今般、この雛形をより広く活用してもらうため、日本製薬工業協会(製薬協)との協議を重ね、契約当事者の双方ができるだけ納得できる内容に近付けるべく雛形を改定した。本稿では以上の背景とスコープについて概説する。

■背景事情

医師主導治験の実施は大学等の革新的な医療系シーズの実用化や、希少・難治性疾患などに対する医薬品の効能・効果の追加に係る承認などにおいて重要な位置を占める。従来大学等は企業の治験に協力するだけで、自ら治験を実施する能力や体制を持ち合わせていなかった。しかし2002年の旧薬事法の改正により医師主導治験が可能になって以降、文部科学省/国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)の橋渡し研究支援事業などを経て環境が整備され、医師主導治験の実施件数は近年増加している**1

治験の実施には、多額の資金や高品質で安定した試験薬などが必要となることから、医師主導治験は、導出が予定される企業*1から支援を得て実施されることも多い。その場合、成果としての「治験データ」*2をどのような条件で当該企業に使用させるかが問題となる。

以前筆者は本ジャーナルにおいて、治験データの知的財産的な価値を適正に評価する必要性を論じた**2。そこでも述べたとおり、ARO協議会では、大学等が医師主導治験の成果としての治験データを企業に使ってもらう際には、たとえ研究費などの支援を得ていたとしても、それとは別に対価(以下「データ対価」)を求めるべきと考えている。なぜなら医師主導治験においては、その計画や実施の場面で研究者の専門的な知見やノウハウが求められることなどから、そういった「知の価値」に相当する評価を大学等が求めるのは当然だからである*3。この考え方は、最近公表された文部科学省・経済産業省のガイドライン「追補版」**3にも沿っている。

実際には、前回の雛形作成時においても、今回の改定時の議論においても、製薬協側からこの考え方自体を否定する意見は出なかった。それにもかかわらず、実務の現場では、データ対価を無償とすべきとする企業側の要求が根強く存在している。ARO協議会の契約雛形初版も、データ対価の取得を全面に押し出していたことから、企業関係者にはすこぶる不評であった。

しかし今回の話し合いを通して見えてきたのは、むしろ根底に存在する誤解、あるいは相互の理解不足であった。すなわち、医師主導治験の実施背景は多種多様であり、各現場ではそのうちの一部の態様しか経験していないことも多い。そのような現場の固有の課題が一般論として主張されることで、議論がかみ合ってこなかった可能性がある。例えば一部の大学では、もっぱら大学発の医薬等候補品について医師主導治験を実施している。そのような事案の導出において、データ対価の算定に企業が異義を唱えることは少ないだろう。しかし一方で、もっぱら医薬品等の用途拡大に係る医師主導治験を実施している大学等も多い。もし膨大な努力をつぎ込んで生み出した医薬について、自社で描いている製品像や開発ロードマップに沿わず利益にも結び付かないような適応拡大ばかり支援している企業があるとすれば、研究費や試験薬を提供した上でデータ対価まで要求される方向性には納得できないであろう。あるいは極端なケースとして、医師主導治験とは名ばかりで実質的には企業が試験を動かしている事案も散見されるが、そこで大学等がデータ対価を主張するとすれば明らかにおかしい。

そのような様々な背景事情にもかかわらず雛形が1種類しかないことに課題があることも確かであり、議論の中ではその旨の指摘もなされた。しかし多種多様な医師主導治験について、類型ごとの雛形をいちいち作成するのも非現実的である。従って、可能なバリエーションに配慮した上で、個別の対応策をコメントなどで示すことにより、より多くの当事者が納得して活用できる雛形の作成を目指した。

■契約雛形公開の経緯と体裁について

契約雛形の初版*4は2020年12月にARO協議会のホームページで公開した。この雛形は、医師指導治験(の実施)に係る契約(以下「原契約」)の雛形と、治験データ等の利用許諾契約(データ利用契約)雛形とのセットで構成される。その理由として、治験開始前の段階では治験データを薬事承認などに使用できるかどうかが不明なことから、支援企業からデータ対価支払いの約束を取り付けられないとの大学等の訴えが多かったことが挙げられる。このため現場の便宜を図るべく、原契約を結ぶ治験開始前の段階ではデータ使用対価をペンディングとし、データ利用契約締結時に改めて対価を定める2段構えの契約雛形の提供を行っているものである(図1におけるパターンB)。

図1 契約雛形の構成と契約のパターン

■契約雛形第2版の考え方

契約雛形の初版は製薬協関係者の助言や希望もある程度踏まえて作成したものだったが、いざ公開すると上述のとおり企業の現場からの抵抗が大きかった。そこで今回は、製薬協メンバー(医薬品評価委員会、研究開発委員会、知的財産委員会)と改めて慎重に議論を重ね、そこで得られた共通認識を原契約の雛形に落とし込み、2022年4月末に第2版として公表するに至ったものである。そこでは初版における不明瞭・不適切な記載を是正するとともに、以下のポイントについて整理を行っている。

①原契約で「対価」が確定されるケース

今回の議論において、一部企業から、研究費を支援した治験について別途データ利用契約に基づく「対価」を支払うことについては受け入れ不可だが、原契約において「研究の価値を考慮した項目」を算定することは可能、との意見が出された。原契約で対価相当額の収入が確定するのであれば、大学等としても理想的である。この方向性は実質的には図1のパターンAに相当するものであり、2段構えの契約(パターンB)の要請を前提とする本雛形の対象外となることから、今回その旨を明確にした。

なお、データ対価の考え方を受け入れ可能な企業との間では、試験成功の暁には所定の対価でデータを使用する旨の約束をあらかじめ取り交わしておくことも可能であろう。そういったケースについては、データ利用契約案を原契約に別紙として添付し、製薬企業などがデータを利用する旨の決定をしたら、当該契約案に基づいた契約を改めて締結するアレンジも考えられる。

②優先的利用に関して

第2版では、研究費や試験薬・機器などを提供した企業が治験データの利用の可否を決定する条項について、優先的利用を約束する趣旨で設けられている旨をより明確化した。しかし一方で、当該企業がデータを利用しない決定をしたからと言って、第三者企業にそれを自由に使用してもらうことが適切とは言えないケースもある。従って本条項の出口を、優先的利用の可否決定とするのでなく、試験薬を提供した企業がその責任の下に治験データを使用して薬事申請などを行う大前提の下、治験実施の結果として得られたデータの使用の適否を決定する条項とすることができる旨をコメントで示した。

③対価の額について

対価の額を考えるにあたり、製品としての適性価格を参酌すべきことは言うまでもない。すなわち治験データなどの対価は、研究のコストの積み上げの観点のみから一方的に決まるものではなく、市場価値をも考慮する必要がある。その中で、特に既存医薬などの適応拡大については、当該医薬などの開発企業にとって特別な事業戦略的意味を有している点にも配慮しなければならない。この場合の企業側の考え方についてまとめた表(表1)が製薬協から提供されたことから、雛形の前文でこれを紹介した。

表1 治験薬を企業が提供した場合の考え方(日本製薬工業協会提供)
④公的研究費の使用について

医師主導治験の少なくとも一部が公的研究費(税金)によって賄われているケースが多いことも重要である。そこで得られた治験データを特定の企業にのみ使用させると、便宜供与に該当しかねない。従ってそのような治験データを活用する企業には、「相応の負担」を求める必要があるので、雛形でもその旨をコメントした。実際、大阪大学などではこの考え方に立って、費やされた公的研究費の額の一定割合の支払いを治験データ使用企業に求めている。しかし本来、対価はあくまでも研究の価値に対して支払われるものと考えるのが筋と筆者は考えている。なぜなら、上述の考え方のみに依存すると、公的研究費を活用せずに実施した治験について大学等はデータ対価を主張する根拠を失ってしまうし、そもそも「国」の研究費で得られた成果の使用に係る受益者負担額を「大学等」に支払う妥当性の曖昧(あいまい)さも残ってしまうからである。

■おわりに

いくら大学等がコストの積み上げでデータ対価を計算してみても、希少疾患や、対象患者が少ない適応拡大など、企業からすればデータ対価どころか研究実費相当額さえ支払いにくいケースも存在するであろう。しかし医療現場で本当に必要とされている治療なら、たとえ市場価値が低くても、社会貢献の意味から実用化を最優先すべきである。そしてそのようなときは、必要な負担について誰がどういう部分を担うかという観点に立って、当事者同士で十分に話し合いを重ねてデータ対価その他を決定する必要がある。例えば企業から相当額の研究実費の提供があった場合、それを当該負担の少なくとも一部として参酌することが妥当なケースもあろう。

雛形第2版の活用によって、アカデミアと企業がケースバイケースで相互に納得可能な負担を決め、スムーズに契約が締結されることによって、医師主導治験の実施が促進されることを願っている。そのためには、何よりも相手の立場をリスペクトすること、そして可能な限り情報を共有して相互の理解を深めることが重要であろう。

*1:
治験は薬事承認を目的とする臨床試験であり、医師主導治験のデータも企業(製造販売業者)が承認申請を行うために使用される。
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*2:
本稿では薬事申請に必要な治験の「総括報告書」を指しているが、関連する原資料などの一部をも含み得る。一方で、原資料などは二次的な利用も可能であり、別途付随研究などの契約で扱われることも多い。
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*3:
例えば研究者のコンサル的な貢献を時間給その他の形で加算することが想定される。一方で、AROの専門家の人件費は研究実費として料金表ベースで課金されることになろう。なお対象医薬などに係る特許と併せたパッケージとして技術移転する場合であっても、大学等はデータ対価を特許の対価とは別途計上する必要がある**2
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*4:
国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)が2018年度に実施した調査研究で設置された委員会(ARO協議会知財専門家連絡会メンバーと弁護士で構成)で作成された「治験データに関する契約雛形案の構成・ポイント」を踏まえて委嘱先機関が作成した雛形原案を、ARO協議会において現状の実務に沿って修正しまとめたもの。
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参考文献

**1:
医薬品等の審査及び治験に関する最近の動向について(厚生労働省医薬・生活衛生局医薬品審査管理課).令和2年度 医薬品・医療機器等GCP/GPSP研修会資料
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**2:
石埜正穂.治験データの知財的活用を巡る議論.産学官連携ジャーナル2018;14(2):16-20.
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**3:
産学官連携による共同研究強化のためのガイドライン「追補版」(2020年)
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