リポート社会人向け組込みシステム技術講座

地方大学におけるSociety 5.0 に向けた新しい技術者リカレント教育の挑戦

愛媛大学 理工学研究科 教授 高橋 寛

写真:愛媛大学 理工学研究科 教授 高橋 寛

2022年3月15日

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■プロジェクトの概要

Society 5.0に向けた社会の進展に伴って、一つの専門分野の知識や技能だけでは、製品やサービスを開発することが困難になってきている。つまり、大学などの高等教育機関を卒業した後も、社会人として働きながら、常に新しい技術を学ぶ必要がある。このような社会人の学びの仕組みを構築するための先駆的な取り組みとして、名古屋大学・静岡大学・広島大学・愛媛大学・南山大学は、「組込みシステム技術者のための技術展開力育成プログラムenPiT-Pro Emb」を推進している。その取り組みを基にして、愛媛大学では独自に、履修証明プログラムとして「AI+IoT組込みシステムエキスパート養成講座」を立ち上げた。本稿では、これらの取り組みを紹介する。

■背景や経緯

わが国の科学技術基本計画において、日本が目指す未来志向の社会概念として、「Society 5.0」の方向性を示している。これは、サイバー空間(インターネットの向こう側)とフィジカル空間(現実社会)を高度に融合させたサイバー・フィジカルシステムによって、人を中心とした諸課題を解決し、多様な幸せ(well-being)の実現を目指す取り組みである。この取り組みを真に実現するためには、情報通信技術(ICT)、インターネット・オブ・シングス(IoT)、人工知能(AI)、組込みシステムなどの要素技術を社会が抱える課題ごとに融合して、解決策を社会実装することの繰り返しが必要である。

例えば自動車は、先進自動運転による安全運転の確保にとどまらず、つながる移動体サービスとしての「Mobility as a Service:MaaS」としての社会実装が進んでいる。そのために、これまでの自動車産業のカーエレクトロニクス分野をはるかに超えた、車の情報化・知能化のための技術開発が必要である。

このような社会・産業・経済の状況を鑑みて、文部科学省は、2017年度から社会人を育成対象とした「成長分野を支える情報技術人材の育成拠点の形成(enPiT)」事業を公募して推進している。この事業に、名古屋大学・静岡大学・広島大学・愛媛大学・南山大学は公募で採択され、5大学が協力して「組込みシステム技術者のための技術展開力育成プログラム(enPiT-Pro Emb)」を推進している。

地方大学である愛媛大学の工学部は、愛媛県の工学系の高等教育機関として、これまでに多くの学生を産業界に輩出してきたが、enPiT-Pro Embへの参画を好機として、今後は、社会人の学び直しである「リカレント教育」にも力を入れるために、enPiT-Pro Embで培った経験を生かして、60時間の履修証明プログラムを設置した。

■enPiT-Pro Emb(IoT/車載組込みシステムコース)

①enPiT-Pro Emb(IoT/車載組込みシステムコース)の概要

enPiT-Pro Embでは、機器に組み込まれたコンピュータシステムである組込システムにおいて、先進自動運転の実現を念頭においた「車載」機器とスマート社会の実現を念頭においた「IoT」機器に焦点を当てた社会人技術者向けの体系的な教育を実施している。この取り組みは、名古屋大学を拠点として、静岡大学・広島大学・愛媛大学・南山大学が連携校として参画している。

②愛媛大学のenPiT-Pro Emb(IoT/車載組込みシステムコース)への貢献

愛媛大学は、連携校として静岡大学および名古屋大学のコースに科目を提供している。なお、提供科目を愛媛大学の履修証明プログラムの選択科目として拡充している。

(1)IoT環境における画像処理・理解技術

近年、製造業やセキュリティ分野において、カメラで映像を取得してIoT技術で解析する技術の導入が進んでいる。人の目で行っていた検査や確認などの工程が自動化され、さらには、取得したデータをクラウドで解析するシステムが構築され始めている。本講義では、そのようなシステムを構築するために必要となる、画像処理技術について学ぶ。

前半は、工業製品や農作物の品質評価の自動化、高齢者の見守り技術や防犯対策など安全・安心を提供するために必要な画像処理の基礎および特徴抽出の方法を学ぶ。後半は、Raspberry Piに画像処理ライブラリOpenCVをインストールし、プログラム演習を通して画像処理、特徴抽出および動体検知の技術を学ぶ。

(2)IoT環境における知的情報処理技術

近年、製造業やセキュリティ分野におけるIoTの導入が広まりを見せている。それに伴い、これまでに人が行っていた様々な工程が自動化され、さらに取得したデータをエッジまたはクラウドで解析し自動的に学習する知的IoT環境が構築され始めている。本講義では、Rasberry Piと深層学習ツールであるChainerを用い、IoT環境においてリアルタイムに学習する深層学習の技術について学ぶ。

前半はPythonコードを基に深層学習について学び、後半は、Rasberry Piに深層学習ツールであるChainerをインストールし、実際にRasberry Pi上で動作する深層学習器を作成することで、IoT環境における深層学習の技術を学ぶ。

(3)IoTにおけるテスト技術およびセキュリティ技術

IoTでは、あらゆるものがインターネットでつながり、非常に複雑なシステムとなっているため、システムのディペンダビリティの確保が重要な課題となっている。本講義では、IoTの機能安全の保証技術およびセキュリティ保護技術について学ぶ。

前半では、機能安全の課題、国際規格、機能安全保証のためのテスト技術を学習し、FPGA上でテスト機構の設計と実装を演習することで、IoTにおけるテスト技術を学ぶ。後半では、IoT環境におけるセキュリティ問題と暗号について学び、Raspberry PiにおけるRSA暗号を実装することでセキュリティ保護の暗号技術を学ぶ。

■愛媛大学履修証明プログラム AI+IoT組込みシステムエキスパート養成講座の概要

①目的と背景

Society 5.0および第4次産業革命の実現のためには、人工知能(AI)とIoT環境における「つながるデバイス」の社会的な普及が必要不可欠である。本履修証明プログラムは、AI+IoT組込みシステムの要素技術(画像処理・理解、知的システム、ディペンダブルシステム)の座学と実習により、コンピューター工学の基礎を理解し、IoT環境において知的な組込みシステムの開発ができる人材、またはその導入の際の計画立案ができる人材を育成することを目的とする。

これまでに、2018年度および2019年度に愛媛大学内で選択科目を無償で開講し、県内外、官民の延べ受講者が50人であった。また、2020年度はコロナ禍であることから、遠隔講義で選択科目を無償で開講し、延べ受講者43人である。2021年度から、必修科目も含む履修証明プログラムを有償で実施している。

②コースの構成

愛媛大学履修証明プログラムは、60時間の体系的な教育プログラムである。なお、科目の内容は静岡大学、名古屋大学に提供した科目の内容を拡充している。

・選択科目:次の4科目から2科目を選択(24時間)

画像処理基礎(12時間)、AI基礎(12時間)、組込みシステム開発基礎(12時間)、グループ演習(組込みシステム開発実習)(12時間)

・必修科目(36時間)

IoT環境における組込みシステム開発演習Ⅰ(12時間)、IoT環境における組込みシステム開発演習Ⅱ(12時間)、IoT環境における組込みシステム開発演習Ⅲ(12時間)

③コースの特徴

本履修プログラムの特徴を以下に述べる。

(1)座学に加えて、クラウド上や実機の上で実習を行うことで、知識を定着できることである。最近、書籍などでデモ・プログラムを利用して、自習することもできるが、組込みシステム、AI、画像処理関連の演習は、クラウドや実機を使うことが多く、初心者が個人で実習環境を構築する時点でトラブルが発生し、学習自体を諦める場合が多い。本プログラムを履修することでその障壁を容易に越えることができる。写真1に講座の模様を示す。

写真1
写真1 講座の様子

(2)12時間×3セットで構成されたIoT環境における組込みシステム開発演習では、図1に示すようなIoT×AIのエッジコンピューティングを自分で開発する。具体的には、以下のプロセスで実施する。

・これまでにわれわれが共同研究において解決した課題を例題として与え、それを参考にして、自分で課題を設定する。

・組込みシステム開発の基礎であるV字開発モデルに従って、設計・開発とテストの工程をリンクさせながら開発を進める。設計・開発を「要求分析」、「要求定義」、「基本設計」、「詳細設計」、「開発・コーディング」の順番で行い、各工程が終わるごとに、それぞれの抽象度におけるテストを実施する。

・各工程において、必要であれば、大学院生と協働でグループワークを行う。

図1
図1 IoT × AI のエッジコンピューティングを自作する概要

■プロジェクトの課題

新しいリカレント教育の課題は、安定した受講者の獲得である。自分のキャリアアップのために、受講費用と受講時間をかけても新しい知識・技能を身に付けることが自身への「投資」となることだと考えられる人を探すことである。同時に、自分に「投資」する人に対して、その行為を評価して、何らかの「投資」を行うことを考える会社を探すことである。リカレント教育が定着するためには、大学、企業、社会人のそれぞれの考え方を変える必要がある。

■プロジェクトの展望

コロナ禍でも飛躍する企業の組織作りとして、「できる人を探す」から、「できる人に育てる」ことへ企業意識を変革し、地域の企業と愛媛大学が協働して、高度な人材を育成していくことが必要である。さらに、受講者の距離と時間の壁を越えるために、オンライン講義を利活用することも検討している。