リポート社会人向け組込みシステム技術講座

社会人向け組込みシステム技術教育 enPiT-Pro Emb

名古屋大学 大学院情報科学研究科附属組込みシステム研究センター 特任教授 山本 雅基

写真:名古屋大学 大学院情報科学研究科附属組込みシステム研究センター 特任教授 山本 雅基

2022年3月15日

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■成長分野を支える情報技術人材の育成拠点の形成(enPiT)

文部科学省は、情報技術の実践力を育成することに焦点を当てた教育プログラムenPiT(Education Network for Practical Information Technologies)を2012年度から始めた。enPiTが対象とする受講者は、2012年度から2016年度までは大学院生、2016年度から2020年度までは学部生、そして2017年度から2021年度までは社会人である。

enPiTは、情報技術を高度に活用して社会の具体的な課題を解決できる人材の育成を目指す。そのためには、教条主義的な教育ではなく、実践力を育成する教育が必要である。そこで、産学協働の実践教育ネットワークを形成して、大学におけるIT教育を改革してきた。

2012年度から2020年度までの学生教育においては、大阪大学が運営拠点となり、IT技術の4分野で教育ネットワークを構築した。最終年度では、ビッグデータ・AI分野で10校、セキュリティ分野で14校、組込みシステム分野で10校、ビジネスシステムデザイン分野で10校の大学が、プログラムを推進した。さらに高等専門学校を含む多数の参加校と連携企業に教育ネットワークの輪を広げた。

例えば、筆者が所属する名古屋大学は、組込みシステム分野の中核拠点校であった。名古屋大学のほかに9校が連携校として実践的な組込み教育をリードした。さらに、20の参加校と、50の連携企業が参画して、学生に対する実践的な組込み教育のネットワークを全国に広げた。

2017年度からは、受講者を社会人としたenPiT-Proが始まり、5件の社会人教育プログラムが採択された。筆者らが進める「組込みシステム技術者のための技術展開力育成プログラムenPiT-Pro Emb」はその一つである。以下に、5件の採択されたプログラムの愛称と産業分野と中核拠点校を列挙する。

  • enPiT-Pro Emb。組込みシステム(車載とIoT)。名古屋大学
  • スマートエスイー。AI、IoT、ビッグデータ、ビジネス応用。早稲田大学
  • ProSec。情報セキュリティ。情報セキュリティ大学院大学
  • enPiT-everi。人工知能、ロボット技術。北九州市立大学
  • Open IoT教育プログラム。IoT関連。東洋大学

■組込みシステム技術者のための技術展開力育成プログラムenPiT-Pro Emb

enPiT-Pro Embは、名古屋大学を代表校として静岡大学・広島大学・愛媛大学・南山大学の合計5校で進めている。図1にWebページを示す。

図1
図1 enPiT-Pro Emb Web ページ

組込みシステムとは、特定の機能を実現するために機器に組み込まれるコンピュータシステムであり、機器の付加価値を高める。炊飯器から原子力発電装置まで、多様な機器に組込みシステムが組み込まれている。われわれは、(a)自動運転に代表される技術進歩が著しい自動車の車載組込みシステムと、(b)家電や工作機械をインターネットに接続し新しいデジタル社会を実現するIoT組込みシステムを取り上げて、それらの開発に必要な技術教育を、enPiT-Pro Embで行うこととした。

車載とIoTにフォーカスした実践的な社会人教育を進めるために、われわれは、以下の取り組みをした。

  • ① 以前から大学で実施してきた社会人教育を発展させる
  • ② 企業勤務や企業との共同研究の経験がある大学教員が参画する
  • ③ 企業に教材や講師をご提供いただく
  • ④ 企業アドバイザの意見を聞いて改善に取り組む

enPiT-Pro Embの代表校である名古屋大学は、2004年からは文部科学省の新興分野人材養成プログラムで社会人の組込みシステム技術者教育を行い、プログラム終了後は自立して社会人教育を継続してきた。他方、連携校の静岡大学は、2012年から文部科学省の制御系組込みシステムアーキテクト養成プログラムで社会人教育に取り組み、プログラム終了後は地元企業らと作ったHEPT(Hamamatsu Embedded Programming Technology)コンソーシアムで社会人教育に取り組んできた。

enPiT-Pro Embでは、これら名古屋大学と静岡大学の社会人教育経験を踏まえ、さらに各大学の特性を生かして、社会人向けの組込みシステム教育を他の地域に広げた。現在は、5大学が相互に教育科目を提供し合い、車載とIoTの社会人向け組込み教育の質向上に取り組んでいる。

例えば名古屋大学は、他大学からの科目提供も受けて、以下の3種類の社会人教育に取り組んでいる。

①車載組込みシステムコース

120時間から144時間かけて、車載組込みシステム技術を体系的に学ぶ。時間数になるまで科目を選択して受講する。

②車載組込みシステムスペシャリストコース

セキュリティや開発プロセスなど、特定の技術を30時間かけて学ぶ。時間数になるまで科目を選択して受講する。修了後に車載組込みシステムコースに編入可能。

③コースを構成する科目の単独受講

コースには1日(6時間)から5日間で学ぶ30科目が用意されているが、特定技術のみを学びたい受講生向けに、1科目から選択して受講できるようにしている。

以上の教育は、全てZoom、ブレンド(Zoom+e-Learning)、対面で提供され、講師から直接に講義を受ける。疑問点を直ちに講師に問い合わせたり、講師や他の受講生と意見交換をしたりできるので、高度な内容を学ぶに適した教育手法であり、中級以上の能力を有する技術者教育に適している。なお、車載組込みシステムコースは、名古屋大学情報学研究科の「履修証明プログラム」の認定も受けている。

「履修証明プログラム」とは、大学などが、社会人に一定のまとまりのある学習プログラムを提供し、修了者に履修証明書を発行するプログラムである。名古屋大学と広島大学と愛媛大学がenPiT-Pro Embで実施する教育は履修証明プログラムに登録されており、静岡大学は登録予定としている。さらに、文部科学省は、社会人や企業などのニーズに応じた実践的・専門的なプログラムを「職業実践力育成プログラム」(BP)として認定しており、名古屋大学ではBP認定を取得し、愛媛大学は申請を計画している。また、厚生労働省は、専門実践教育訓練給付金制度や雇用調整助成金制度を有しており、名古屋大学と静岡大学のプログラムが登録されている。

さらに、5大学は合同で、e-Learningコンテンツを自習する教育も提供している。

①組込みシステム基礎コース

組込みシステム技術の基礎を、e-Learningで自習する。

e- Learningは、Zoomや対面教育のように、受講者は講師と直接のやりとりをしない。そのために、比較的に容易に理解できる初級の内容を学ぶに適した教育手法である。ただし、enPiT-Pro Embでは、後述するLMS(Learning Management System)に用意した電子掲示板を用いて講師とのQ&Aを可能として、e- Learningであっても教育効果の向上を目指している。

■コロナ禍での社会人教育

enPiT-Pro Embは実践力の育成を目指すので、知識だけではなく演習をカリキュラムに取り入れている。演習は、グループディスカッションや文書作成やプログラミングなど多様である。マイコンボードを用いた実機演習も行われている(写真1)。

写真1
写真1 模型自動車を用いた演習風景

しかし、コロナ禍により大学の入構規制や企業の出張規制が行われ、直接に顔を合わせての対面教育ができなくなったので、以下のように教育のオンライン化に取り組んだ。

①Zoomを用いた講義

Zoomがまだ知られていなかった時期には、Zoomの使用法をまとめた資料も作成した

②Zoomブレイクアウトルームを用いたグループ討議演習

受講者は複数のブレイクアウトルームに分かれて少人数で討議をする

③ Virtual Box、AWS(Amazon Web Services)、Google Colaboratoryなどを用いたプログラミング演習

オンライン受講をする受講者のパソコン(PC)にプログラミング演習環境を配布し演習する

④Google Classroomを活用した環境整備

教材提供
講義録画の配布
Q&A掲示板
修了テスト

enPiT-Pro Embの受講者を対象にコロナが終息後の教育方法のアンケートを実施したところ、回答者の87%がオンラインを希望した(10%が全てオンライン、77%が可能な限りオンライン)。大学における学生教育では、対面教育が求められているが、社会人教育ではオンライン教育が求められる。今後とも、大学の常識に縛られずに、社会のニーズを聞きながら適切に社会人教育を提供していく。

■産学官連携で社会人の組込みシステム教育を持続させる

組込みシステム技術は進歩が早く、企業で働く技術者は、学生時代に学んだ知識だけでは新製品を開発できない。これが、社会人がenPiT-Pro Embを受講する理由の一つである。つまり、enPiT-Pro Embの受講者は、自己の趣味や一般教養のために学ぶのではなく、技術者として活躍する能力を獲得するために学ぶ。そこで、教育水準が初級水準にとどまっていると、他社との製品開発競争に勝つ能力が高い技術者の育成には不十分である。従って、enPiT-Pro Embのような大学が提供する社会人教育では、高度な技術を実践的な教育で提供して、受講者の製品開発能力を高めことを目指す必要がある。

名古屋大学を含めた5大学は、enPiT-Pro Embを始める前に複数の教育コンテンツを有していたが、各大学が得意とする技術領域は限定されていた。さらに組込みシステム産業では技術進歩が早いので、既存の教育コンテンツだけでは、社会の新しい要求に応えているとは言い難い。そこで、文部科学省の補助金を用いて、カリキュラムを整備した(学官連携)。その際に、企業に教育ニーズをヒアリングするとともに教育コンテンツの提供も受けた(産学連携)。

enPiT-Proの補助金は2021年度に終了するので、enPiT-Pro Embの5大学は、2022年度からは自立して社会人教育を実施する。enPiT-Pro Embを通して開発したカリキュラムを用いた教育の継続は、事務局経費の手当と講義をする教員と企業講師の協力が得られれば可能である。しかし、技術進歩や産業界を取り巻く環境変化に対応するために、新しいカリキュラムを開発し続けることは、大学だけでは予算面でも技術面でもほぼ不可能であると言わざるを得ない。

国連は持続可能な開発目標(SDGs)を2015年に全会一致で採択した。日本を含む各国は「収益と社会貢献・社会課題の解決は対立するものではなく両立されるべきもの」として「持続可能な世界の実現」に取り組んでいる。SDGsのニュースに触れるたびに、「収益と教育投資は対立するものではなく両立されるべきもの」として「教育投資が持続可能な企業の実現」の着実な道であると、ぜひ「教育」に思いをはせていただきたい。

例えば、昨今の自動車産業はCASE(Connected, Autonomous, Shared, Electric)領域で活発に開発が行われており、今後ともその傾向が続くと思われている。だから、企業XにCASE技術がないと、CASE領域に参入できず時代遅れとなる。しかし、企業Xが社員にCASE技術を学ばせる教育投資をすると、CASEの仕事を受注でき、将来の成長が約束される。さらに教育を受けた技術者は、働きがいを感じて仕事をするので、企業Xの企業風土が良くなり、リクルートも強くなる。

実は、SDGsの目標の一つに「8. 働きがいも経済成長も:すべての人のための持続的、包摂的かつ持続可能な経済成長、生産的な完全雇用およびディーセント・ワーク(働きがいのある人間らしい仕事)を推進する」がある。この場合、企業Xは教育投資により、SDGsの8番目の目標を達成したのである。

国や企業や個人を取り巻く環境が急速に変化する現在、組込みシステム産業が持続して成長発展を続けるにはどうすれば良いのか。産学官が連携して社会人教育に取り組むことは、一つの着実な解ではなかろうか。