特集知財戦略最前線
医工連携における知財戦略 知財トラブルとその予防法
株式会社IP-Business.pro 代表取締役
浜松医科大学 産学連携・知財活用推進センター 顧問
静岡大学イノベーション社会連携推進機構 客員教授 神谷 直慈

「知財トラブル」というと何を思い浮かべるだろうか。多くの人が「他社に特許権を侵害された」などの特許権侵害に関するトラブルを思い浮かべるだろう。しかしながら、医工連携における知財トラブルは、権利侵害に関するものよりも、むしろ開発グループ内での知財の取り扱いに関する「内輪もめ」が多い。本稿では、医工連携における知財トラブル例とその予防法について解説する。
■医工連携の実際
近年、大学病院などの医療ニーズを企業の技術力で解決することで医療機器開発につなげていく、いわゆる「医工連携」が数多く実施されている。一般に製品開発にはシーズ・プッシュ型とニーズ・プル型があるが、医療機器開発は後者(市場ニーズに合わせて技術を探索して開発)が多い。これは、医療機器は医療現場で用いられるものであるので、開発にあたっては医療現場のニーズが不可欠であり、また医療機関でないと医療機器の開発品を試すことができないからである。2016年に「国民が受ける医療の質の向上のための医療機器の研究開発および普及の促進に関する基本計画」が閣議決定され、この中で「医療機器については『現場ニーズにあった研究開発、現場での改良と修正・最適化』が極めて重要である」と記載されていることもあり、医療ニーズを起点にした医療機器開発が国、大学、自治体などで積極的に推進されている。
では、実際に医工連携はどのような形で進められるのだろうか。図1に医工連携における開発グループの典型例を示す。前述のように医療機関が有する医療ニーズが起点になることが多い。医療ニーズは、例えば、「しゃべり始める前の乳幼児の自閉症を診断したい」、「子宮内の胎児頭部の酸素濃度を測定したい」などである。実際の医療ニーズは「〜したい」程度の情報にとどまらず、医療従事者の診療経験に基づくノウハウやエビデンスなどを多く含んでいる。例えば、前者の例であれば「自閉症を早期診断することで、より早く特別な教育カリキュラムを施すことができ、社会で能力を発揮しやすくなる」という診療ノウハウやエビデンスに基づく情報(どのように診断すれば良いか、何歳くらいに診断できると効果的かなど)を含んでいる。自閉症者の中には特定の環境では極めて高い集中力を発揮する人々がおり、それらの能力を生かすには早期に特別な教育を受けることが望ましいが、現状では通常の教育の中で埋没してしまうことが多い。このように、医療ニーズは単なる情報にとどまらず、医療機関にとっては知的財産的価値を有する情報であると考えられる。
医療ニーズとものづくり企業とを結びつける方法については、様々な方法が試みられている。例えば、医療従事者が企業向けに医療ニーズを発表するニーズ発表会、企業人材が医療現場を見学する医療現場見学会、ホームページに医療ニーズを公開して企業とマッチングするなどがある。医療機関の医療ニーズとものづくり企業の技術シーズとがマッチングすると医療機器開発がスタートする。前述の医療ニーズの例では、視線検知技術(どこを見ているかを目の動きで検知)の技術シーズとマッチングすることにより、しゃべり始める前の乳幼児の診断が可能になり、医療機器開発がスタートした。
医療機関と企業とで開発が進められるが、医療機器を上市するには医薬品、医療機器等の品質、有効性および安全性の確保等に関する法律(通称「薬機法」)の所定の承認・認証を得る必要がある。また、医療機器を製造・販売するには、品質保証や安全確保のための責任体制を構築して薬機法上の「製造販売業」の許可を得る必要がある。開発を担当した企業が許可申請して「製造販売業」になることもあるが、このハードルは高く、既に「製造販売業」の許可を得ている企業と組むことが多い。
このように、医療機器開発は立場の異なる複数の機関が関わることが多い。開発に必要な情報(ニーズ、ノウハウ、エビデンスなど)を提供する医療機関、開発主体であるものづくり企業、製造販売に責任を持ち薬事申請を行う製造販売業などである。また、ものづくり企業が複数になることも多い。このように立場が異なる機関が共同開発を行うと、知財意識の違いから知財トラブルが生じやすい。

■知財トラブル例と類型
医工連携で生じる知財トラブルは、大きく分けて2種類に分類される。
(1)医工連携に限らず一般のコンソーシアム型研究開発でも発生し得る知財トラブル
(2)医工連携特有の知財トラブル
上記(1)は、知財権の帰属、出願費用負担、共有特許の不実施補償、グループ内の実施権などの問題で、医工連携に限らず一般の産学連携やコンソーシアム型研究開発でも発生し得るものである。ただ、医療機器開発では参加機関が多くなる傾向があり、立場が異なる機関(医療機関、薬機法の製造販売業など)が混在しているため、この問題が顕在化しやすい。一般的なコンソーシアム型研究開発での知財問題(帰属、費用負担、不実施補償など)については既に多くの報告書などがあるので本稿では詳細には説明しない。参考になるものとして経済産業省の「委託研究開発における知的財産マネジメントに関する運用ガイドライン」がある。経済産業省系の委託研究開発では、このガイドラインに基づいて研究開発の早期にグループ内で知財合意を締結することが求められており、グループ内の知財トラブル低減に貢献している。
一方、上記(2)は医工連携特有の知財トラブルであり、例えば以下のような事例がある。
①医療ニーズ提供に関するトラブル
大学が主催する医療ニーズ発表会や医療現場見学会などで医療ニーズを聞いた企業が、医療機器を独自開発し、企業単独で特許出願した。もしくは、他の医療機関と連携してしまった。医療ニーズを提供した大学側は「医療ニーズは自分たちの知的財産である」ので勝手に流用してもらっては困ると主張し、企業側は「医療ニーズそのものは発明のきっかけにすぎず特許の対象ではない」ので問題ないと主張してトラブルに発展した。
②診療ノウハウや臨床データの取り扱いに関するトラブル
医工連携において、大学が診療ノウハウや臨床データを企業に提供することで医療機器開発に成功した。ノウハウやデータが開発に大きく貢献したがこれらは特許出願の対象になるものではなかった。大学側はこれらが重要な知的財産であることを理由に対価を要求したが、企業側は特許出願されていないのを理由に対価に支払いを渋り、トラブルに発展した。
医療ニーズ提供者は共同発明者か
医療ニーズ、診療ノウハウ、臨床データなど、直接的には特許化が難しい情報の取り扱いに関する問題が多い。これらの情報は医療機関にとっては重要な知的財産であるが、企業側からすると直接的には特許の対象ではないので軽んじる傾向がある。図2にこれらの問題点をまとめた。どちらが正しいというわけでなく、意識の相違の問題であるので、意識合わせが重要である。
なお、「医療ニーズ」に関しては、ニーズ提供者が発明者になり得るか、という問題も存在する。医療従事者から医療ニーズを聞いた企業担当者がそのニーズを具体的に解決する手段を発明した場合、原則として具体的解決手段を発明した企業担当者は発明者になるが、医療ニーズを提供した医療従事者が共同発明者になり得るか、という問題である。学説や裁判例によるとニーズ提供者が「新しい着想の提供(課題の提供または課題解決の方向づけ)」を行った場合に共同発明者になり得るとしているが、グレーゾーンが広く、また当事者の意識のズレも大きいため、トラブルに発展しやすい。これも事前に当事者同士で意識合わせをしておくことが重要である。なお、この詳細に関しては、筆者がAMED在籍時に関わった「医工連携における知財権の活用に関する調査研究」報告書(日本医療研究開発機構(AMED)、2017年6月)に記載されているので参照されたい。

■「医」と「工」のスマートな知財連携に向けて
トラブルは知財意識の相違、初期の段階で意識合わせを
近年、「モノ(製造)」→「コト(サービス)」の産業構造の変化の中で、知財戦略が大きく変わりつつある。もともと特許制度は製造業に適した制度であり、従来の知財戦略は特許が中心であったが、最近のAI・IoTの進展に伴い、データやノウハウなど、特許の保護対象になりにくい知的財産の重要度が増している。知的財産とは「財産的価値を有する情報」であるとして、特許の保護対象になるものは特許法で排他的独占権として保護されるが、それ以外の、特許の保護対象になりにくい知的財産(データやノウハウなど)は情報コントロールと契約により保護・活用していくことになる。もちろん、不正競争防止法でも保護されるが、これは漏洩や盗用などへの非常手段であり、保護・活用の基本は契約である。
これを医工連携で考えると、医療機関側は、特許化しにくい医療ニーズ、診療ノウハウ、臨床データなどの知的財産について、情報コントロールと契約により保護・活用を模索していくことになる。具体的には、開示にあたっては企業側に秘密保持義務を課すなどが考えられる。一方、医療機器開発においてこれらの知的財産は新たな価値創造にとって極めて重要であり、企業側も特許のみならず、これらの知的財産についても財産的価値を認めていくべきであると考える。いずれにしても、これらは特許権のような法的な権利ではなく、契約マターであるので当事者の話し合いや意識合わせが重要である。
前述のように、医工連携における知財トラブルは知財意識の相違に起因するものが多い。この相違を残したまま開発を進めてしまうと、後になるほど調整が難しくなる。特に、公的資金が入り開発が佳境に入ってくると引くに引けなくなってしまい、トラブルに発展しやすい。逆に、開発前や初期の段階で意識合わせをすれば、相違が埋められなければ開発を取りやめる選択肢も残り、交渉もしやすい上にトラブルにも発展しにくい。理想的には早期の契約が望ましいが、契約ではハードルが高い場合は、タームシートや議事録など書面で残しておくことでもかなりのトラブルが予防できる。
医療機器開発においてグループ内の知財トラブルは大きな支障になることが多く、またトラブルが原因で参加者の情熱が削がれてしまって医療機器開発自体が頓挫してしまうこともある。医療機関側は特許に関係なく何らかの知的貢献をしており、一方で企業側は事業化のリスクを負っている点を双方がよく理解した上で、できるだけ早いタイミングで意識合わせをしておくことが肝要である。知的財産はブレーキにせず、むしろアクセルにすべきであり、開発当事者全員が気持ち良く開発に参加して医療機器開発の究極の目的である「より多くの患者を救う」に共通して向かえることを期待したい。