シリーズコロナの善後策

オープンソースによる研究者発の高性能マスク「オリマスク」

電気通信大学 大学院 情報理工学研究科 特任准教授 石垣 陽

写真:電気通信大学 大学院 情報理工学研究科 特任准教授 石垣 陽

2020年10月15日

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背景

4月中旬、知り合いの医師から「医療現場でマスクが足りない、1週間に1枚だ」という連絡を受けた。原料の国内メーカーは数社のみで、品切れが続き価格が高騰していた。信頼性が不明瞭な海外製品の輸入販売が始まっていた。「あの時と同じだ」と筆者は感じた。それは福島第一原子力発電所事故によって引き起こされた、放射線測定器の不足である。当時、国産品は事故後数カ月にわたって入手困難となったため、市場には安価な輸入品が出回った。ところが独立行政法人国民生活センターが、これら9機種を調査すると、放射線量を正確に測定できなかった**1。同センターには多くの相談が寄せられ**2、誤った製品表示や利用方法も指摘された**3

筆者は当時この状況を打開しようと、市民向け放射線測定器「ポケットガイガー」(以下「ポケガ」、図1)というオープンソースの開発プロジェクトを発足した**4。センサーには安価な半導体を採用し、スマホで信号処理を行うことにより小型・低コスト化を実現、クラウドファンディングで世界23カ国から4日間で初期ロットの資金を調達した。これを機にオランダ国防省、大学共同利用機関法人高エネルギー加速器研究機構、慶應義塾大学をはじめ世界の研究者と共同開発を続け、全6モデルをリリースした。初期モデルはFRISKキャンディーの箱に入れて作るDIYキットとすることで1,850円という低価格で頒布(はんぷ)した。測定範囲は0.05uSv/h~10mSv/hと実用上十分な性能を有する。被災企業のヤグチ電子工業株式会社(宮城県石巻市)が量産に乗り出してくれ、延べ10万台以上が頒布された。GPSの位置情報を利用し線量の可視化も可能であり、SNSグループ上では放射線に関する市民と専門家間の議論が活発に行われてきた。

図1:ポケットガイガー外観図
図1 ポケットガイガー(ポケガ)外観図

オリマスク

医師からマスク不足の話を聞いた時、「今こそ研究者が知恵を出し合い、オープンソースでマスクを開発すべきだ」と直感した。「ゴールデンウィークまでの1カ月で純国産の高信頼マスクをオープンソースで開発し頒布する」のが第一目標になった。開発期間とコスト削減のため、初期モデルは折り紙のようにDIYで組み立てる方式とし、「オリマスク」と名付けた。研究者発信の「モノづくり」を短期間で実現するには、利用者や事業者、研究者との協業が要となる。そのためオリマスクのWebページ(図2)では、次の仕掛けを試行した。

図2:4つのメニュー
図2 オリマスクのWebページ 購入する、自分で作る、製造工場になる、オリマスク研究所の4つのメニューがある
①利用者との協業

挑戦的製品の初期利用者(イノベーター)は情報感度が高く、貴重な改善アイデアを持っている。そのような初期利用者を取り込むため、「購入する」に加えて、「自分で作る」というメニューを用意した。一般家庭ではコロナ放電(後述)を行えないので、歯ブラシ(ナイロン)とポリプロピレン不織布との摩擦帯電により捕集効率を高める方法もYouTube動画で紹介した。このように製品の背後にある技術・製法を明らかにすることで、利用者は自由に製品を改良できる。そしてそのアイデアは次のような形でオリマスクの改善に生かすことができた。

  • 生地の一部をカットして子供用サイズのオリマスクを制作している利用者が居た →新ラインナップとして採用した
  • 鼻当てワイヤを外し、患者がMRI(磁気共鳴画像診断装置)内でも使えるマスクを制作している医療者が居た →製品化とはならなかったが、未開拓の市場について貴重な情報を得ることができた
  • 3Dプリンターで防じんマスクに近い形状を製作している専門家が居た →現在、新商品として開発中

このように、利用者を単なる消費者としてではなく、社会実装における評価・改善者と捉えれば、短期間にモノづくりの幅を広げることができる。ソフトウエアのリーン開発*1やアジャイル*2の手法にも近く、研究の社会実装をする上でも有効な方法論といえる。

②事業者との協業

「製造工場になる」というメニューを作り、生産方法を公開して量産企業を募った。すぐに手を挙げてくれたのはポケガの生産工場であるヤグチ電子工業だった。他にも、仙台市の産業振興課からの紹介などで福祉作業所、コロナの影響を受けた印刷工場、病院向け資材メーカーからオファーが来た。また、和紙の工場からプラスチックを使わないエコなマスクの生産を持ちかけていただくなど、新しい産学連携にも発展している。近年では、このように広く社会知を活用したオープンイノベーションによる商品開発を行う企業も増えており、産学連携への活用も期待される。

③研究者との協業

マスクは表1に示す通り複合領域的であるため、開発にあたっては異分野との研究連携が重要となる。「オリマスク研究所」では研究ノートや実験データを情報発信することで、以下のように多くの研究者と連携ができた。

  • オリマスクで採用したスパンボンド不織布は調達性が良く、通気性も高い反面、比較的目が粗く微粒子が捕集しにくい点が課題だった。コロナ放電やエアロゾルの専門家から助言を得られ、不織布に対してコロナ放電+加熱による帯電処理(エレクトレット加工)を行い、静電気力により捕集効率を高めることができた(図3)。
  • 開発結果を元に、医学系の研究者と共同での学会発表や、論文化の動きも始まっている。
  • オリマスクで開発した新材料を用いて、新しい防じんマスクを作るべく、産業衛生学の研究者やメーカーとのコラボレーションも始まった。
図3:スパンボンド不織布へのコロナ放電加工による捕集効率の向上例
図3 スパンボンド不織布へのコロナ放電加工による捕集効率の向上例

表1 マスクに関わる分野・学問の例

表1:マスクに関わる分野・学問の例

1 BFE : Bacterial Filtration Efficiency(バクテリア飛沫捕集効率)、細菌を含む粒子、平均φ 3um
2 PFE:Particle Filtration Efficiency(ラテックス微粒子遮断効率試験)、ポリスチレン微粒子、平均φ 0.1um

④メディアでの発信と市民リスクコミュニケーション

プロジェクトが進むと、メディアへの掲載依頼が多く寄せられた。NHK ETV特集「マスクが消えた日々〜医療現場をどう守るのか〜」では、オリマスク開発の様子が密着取材(図4)された他、朝日新聞**5や民放の情報番組などでは、布マスク、ウレタンマスク、不織布マスクの適切な使い分けについて筆者らの提案が紹介された。市民が適切なリスク回避行動を起こすには、一方向的な指示のみならず、科学的根拠に基づく判断材料の提供と、疑問の解消が有効である**6。メディアを介した研究者と市民との対話も、リスクコミュニケーションにおける重要な要素といえる。

表1:マスクに関わる分野・学問の例
図4 NHKの密着取材でも放映された著者のYouTube動画(緊急事態宣言期間中に自宅キッチンで実験を行った)

利用者目線の「マスク・コミュニケーション」を目指して

昨今、マスクに対する不信・過信や、知識不足による漏れ率の増大、あるいは誤った廃棄による環境汚染など様々な不利益が生じている。これらを解消するためには、マスクの背景技術に対する興味や理解の向上と、正しい使い方を可視化する技術が有効だろう。品不足が一段落した今こそ、新しいマスク・コミュニケーションのあり方について考えてみたい。

参考文献

**1:
独立行政法人国民生活センター報道発表資料:比較的安価な放射線測定器の性能(2011年9月8日).
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**2:
独立行政法人国民生活センター報道発表資料:比較的安価な放射線測定器の性能-第2弾-(2011年12月22日).
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**3:
独立行政法人国民生活センター報道発表資料:デジタル式個人線量計のテスト結果,平成24年5月24日.
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**4:
環境・福祉分野におけるスマートセンシング調査研究委員会 監修:スマートセンシングの基礎と応用,2017年10月5日発行.(3.8参加型の放射線モニタリング事例を参照)
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**5:
朝日新聞:夏マスク、どう選ぶ? 「密リスクが高い日は不織布を」、2020年7月12日15時00分配信.
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**6:
田中 健次,伊藤 誠:「災害時に的確な危険回避行動を導くための情報コミュニケーション」,日本災害情報学会誌,No.1,pp.61-69(2003).
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**7:
大西 一成:マスクの品格,幻冬舎メディアコンサルティング(2019/12発売).
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**8:
木村 一志:静電フィルターの機能と応用,繊維学会誌,1995年51巻8号,pp.332-339.
https://doi.org/10.2115/fiber.51.8_P332
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*1:
リーン開発とは、トヨタ生産方式を源流とする製造業の開発手法を、ソフトウェア開発に応用したもの。納期や仕様ありきではなく、計画そのものを柔軟に修正しながら顧客ニーズに合致するまで改善を繰り返す点が特徴である。計画技術者への権限移譲、顧客の開発参加、不必要な意思決定の排除などの特徴がある。アジャイル開発の一種とされる。
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*2:
アジャイルとは、従来のウォーターフォールモデルのように厳密な計画策定に時間をかけるのではなく、実装とテストを細かく繰り返しながら適応的にソフトウェア開発を行う手法。小さな開発単位(計画・設計・実装・評価)の反復を繰り返すため、予期しない変化・仕様更新にも対応しやすいとされる。
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