リポート
情報提供機能と影響機能を発揮する最適なIRを目指して
佐賀大学 教授 IR室長 西郡 大

はじめに
米国で1960年代から発展したといわれるInstitutional Research(以下、「IR」)は、高等教育機関の関係者の中では、すでに一般的な用語となった。ただし、学内外のデータの収集・分析によって、大学経営や教育研究に関する様々な施策の立案、検証、改善などに寄与することがIRの一般的な役割と考えられてはいるものの、大学によってIRの捉え方は多様であり、大学の数だけIRの形があると言って過言ではない。
佐賀大学では、2012年7月にIR室を設置し、全学的にIRを展開したこともあり、しばらくの間、国公私立を問わず全国各地の大学から訪問調査や講演依頼があった。当時、多くの大学の関心は、「IRが何をもたらすのか」、「IRを導入するために何をすればよいのか」といったものだった。それから数年が経ち、IRに関する書物も多く発刊され、IRに対する共通理解が深まるとともに、近年における各大学の関心は、上記の関心から「IRをいかに機能させるか」という段階に移行したと思われる。佐賀大学のIRも少しずつ形を変えながら進化してきた。本稿では、佐賀大学版IRの変遷と組織的なIR機能の向上に向けた取り組みを紹介する。
佐賀大学におけるIR の位置付け
大学の使命を「教育」「研究」「社会貢献」だとしたとき、使命達成に向けた計画策定・実行に必要なヒト、モノ、カネ、スペースの資源配分、その他重要な意思決定などがマネジメントの役割であろう。そして、統治基盤としての「ガバナンス」と、行動的基盤としての「コンプライアンス」が相互に作用することが望ましい。加えて、大学の組織運営は、構成員のコンセンサス(合意)の形成がとても重視される。そのため、構成員のコンセンサス形成に向けた情報提供が求められる。一方で、大学に限らず組織が活性化するためには、構成員の意識改革は不可欠であり、改善意識や危機意識の喚起とともに、適正な評価を通じた動機づけが必要となる。これらのことから、佐賀大学のIRは、構成員のコンセンサス形成を支援する「情報提供機能」に加え、IRが提供する情報を通して、構成員の意識や行動に影響を与える「影響機能」を重要な機能と位置付けている(図1)。

導入当初のIR体制と活動
IRの活動が機能することを最優先の課題とし、学長直下にIR室を設置した。これは「エビデンスに基づく大学経営を行う」という当時の学長の方針によるものである。室員は18人、専従の事務職員1人を除く全員が兼務である。また、学内のデータを収集する仕組みとして、各現場でデータを管理している事務職員を「拡充メンバー」とすることで、システムを構築せずとも組織的にデータを収集できる仕組みとした。このように、事務組織を網羅的に取り込むことで学内最大の教職協働組織とし、IRの考え方を全学的に共有することを目指した。組織横断的にIR室体制という横串を刺すことで、業務の中にIRの考え方を浸透させ、IR組織のみならず、全ての教職員にとって共通に必要なマインドとスキルを高め、IRを発展させようと考えた。
IR室には、分析のための作業部会を置き、教学、研究、社会貢献、経営基盤の観点から様々な分析を探索的に行った。例えば、入試区分別にみた入学者の修学状況、入学時の競争倍率と卒業率の相関関係、学校基本調査のデータを用いた教育分野別のベンチマーキング、外部資金(研究費等)獲得のベンチマーキングなどである。これらの結果は、毎月、学長とIR室員が勉強会的に行っていたIR室会議で報告された。同会議では分析報告だけでなく、佐賀大学のIRが目指す方向性も議論していたが、IRの目指す方向性が定まるに伴い、理事や管理職も加わり、IRがなすべきことやエビデンスに基づく議論の雰囲気が少しずつ醸成されることとなった。こうしたIR室発足当時の取り組みについては、書箱**1を参照されたい。
組織的なIR 機能の向上に向けて
IR導入後の数年間は、構成員のコンセンサス形成を支援するエビデンスが何かを意識して情報提供を行った。また、大学間、学部間などのベンチマーキング、自己点検・評価書には含めにくいネガティブデータなど、当事者にとって現状や課題を意識せざるを得ないものを積極的に提供するとともに、各部局の取り組み状況や改善による変化を関係者へフィードバックした。一方で、「データ収集→データ分析→課題発見→改善」というサイクルを目指しつつも、それぞれが個別的であり、大学運営の組織的なプロセスとは別の次元で動いていた面がある。そこで、2015年ころよりIRが目指す方向をアドホックな分析から指標モニタリングに基づく内部質保証の支援へ転換し、組織的なIR機能の向上を目指すことにした**2。
最近では、大学経営にKPI(Key Performance Indicators)などの目的や計画に関する具体的な指標を意識した進捗管理や自己点検・評価が求められるようになった。しかし、指標を選定しても体系的・組織的に活用されなければ効果がない。指標の定期的なモニタリングによって、重要な指標の実態を関係者が認識し、課題がある場合には改善することが機能的と言えるだろう。
以上のことから、IR室では、中期計画などで取り組むべき重点事項を指標化し、各指標の実績や進捗状況を定期的にモニタリングできる体制へ移行した。実際には、役員と部局長が情報共有や意見交換を行う会議(毎月)において、各指標の実績や進捗データとともに、毎月の法令遵守対応、広報活動実績(プレスリリースや報道数)、人材配置・人件費の状況、学生状況(現員、休学、退学など)、予算執行状況、学生カウンセリング実績(相談件数、経過状況等)、派遣留学生数、就職状況、図書館の貸し出し状況、外部資金情報(申請・受入情報)、附属病院の経営情報などをIR室の情報収集体制を通じて収集・集約し、月例データとして提出している(現在は100頁を超える)。
この月例データのモニタリングによって、大学が目標値として設定した教育、研究に関わる指標の現状把握や大学運営上のリスクの早期発見が可能となる。IR室の業務は、月例データの収集と集約、データの動きから見える「気づき事項」の抽出である(例えば、前年度同月と比較したデータの変化など)。「気づき事項」として課題やリスクが抽出された場合、関係する部局に対し、学長や理事から原因解明や対応策の検討が指示され、当該部局は、検討結果を報告しなければならない。なお、課題の原因分析や対応策の具体的な検討などは、指摘された部局や関係の専門委員会、センターなどが行う。つまり、IR室が重要指標のモニタリングを支援することで課題発見や気づきを促し、課題が発見された場合には、改善やアクションを実際に担う部署が詳細分析を行うことで、PDCAのCheck からAction のプロセスを強化している。これまでの事例として、就職率の向上、休学・退学者数の抑制に向けた改善、図書館の利用状況や貸出数に関する分析、光熱水料金の削減、附属学校園の事故防止に関する改善などが挙げられる。
他方、指標モニタリング支援だけでなく、ヒト、モノ、カネ、スペースといった資源の最適化を行うための根拠となる情報提供もIRの重要な役割である。佐賀大学には、「評価反映特別経費」というIRデータを用いて学長裁量経費の一部を部局へ配分する仕組みがある。ここでのIRデータとは、教学、研究、社会貢献、経営基盤の視点から、中期計画達成に向けて確実な進捗が求められるものや、大学として特に行動喚起したい取り組みなどを指標化したものであり、その実績や進捗に関するデータである。これらの指標は、先述した月例データにも含まれているため、各部局は、モニタリングによって状況が芳しくない指標を把握し、必要に応じて改善に取り組むことができる。各部局が取り組んだ結果は、部局間比較、経年比較、全国平均とのベンチマーキングなど、指標の特性に合わせた基準によって評価し、それぞれの達成状況に応じて予算を配分する。つまり、IRの情報提供機能と影響機能の発揮を期待した仕組みと言える。
最適なIRの在り方を目指して
筆者は、佐賀大学のIRに約10年にわたり携わってきた。この経験から分かったことは、IRは常に変化し続けるということである。学長をはじめとする執行部の考え方によってIRの在り方は変化するし、IRデータの活用という観点では、異なる部署のデータを結合するなど複雑な処理を要する高度な分析が求められるようになった(例えば、財務データと研究実績データの結合した費用対効果の分析など)。さらにデータの正確性や鮮度も従来以上に期待されている。こうした変化に対応するために、2020年度からBI(Business Intelligence)プラットフォームを導入した。当面は、本システムの活用基盤を構築する予定である。「“情報提供機能”と“影響機能”を発揮するための最適なIRとは何なのか」を問い続けながら、これからも変化し続けるだろう。
参考文献
- **1:
- 佛淵孝夫.大学版IR の導入と活用の実際.実業之日本社.2015.
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- **2:
- 佐賀大学IR 室.大学マネジメントとIR 最適なKPI の設定を目指して.昭和堂.2015.
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