リポート

産学官連携が織りなす「後継者育成」の景色

北海道大学 産学・地域協働推進機構 産学協働マネージャー 城野 理佳子

写真:北海道大学 産学・地域協働推進機構 産学協働マネージャー 城野 理佳子

2020年09月15日

  • Twitterを開く
  • Facebookを開く
  • LINEを開く
  • 印刷ボタン

事業承継と後継者の育成は中小企業にとって喫緊の課題となっている。特に地方においては若い人材の首都圏への流出について指摘をされる。また一方では、後継者と経営者のコミュニケーション不足で後継者の育成に頭を抱える経営者も少なくはない。三晃化学株式会社(北海道札幌市)では、6年前に長男の庸介氏が東京の大手企業を退職し、父の経営する会社に就職した。庸介氏は自社の営業を担当する一方で、産学官連携による共同研究に取り組むなど、幅広い活躍を見せている。本稿では中小企業が産学官連携を後継者の人材育成に取り入れている事例を紹介する。

きっかけは、1本の電話から

庸介氏が就職して4年ほどたったある日、父である渡邊社長の元に1本の電話があった。「ここで勉強できることは終わったから、戻ろうと思うのだけれど」当時を振り返り渡邊社長は、上場企業を辞めて戻るという息子からの電話にはとても驚いたと語る。庸介氏は「小樽商科大学のビジネススクールに入学を決めていた」と話し、渡邊社長のあずかり知らぬところで、庸介氏は家業を継ぐための準備と経験を積み、経営者としての将来のロードマップを描いていた。やる気を持って家業を継いだ後継者を、いかにして経営者として育成するのか、特に中小企業では父と子という近い関係性もあり難しさがある。ゆえに、実際に息子が家業を継いでもスムーズに継承されないケースが散見される。

渡邊社長と庸介氏

企業経営で父が息子に伝えたいこと

「企業経営なんて全然楽しくないですよ」と、渡邊社長は笑顔で語った。三晃化学は炭鉱内部に空気を送るための炭坑用ビニール送風管を作る企業として1956年に先代が立ち上げた。当時、東レ株式会社と技術提携をして「三晃式ナイロン風管」を開発し、国内外の炭坑・鉱山などに使用されてきた。1960年ころから石炭産業が衰退の一途をたどる中、渡邊社長は創業時からの縫製技術を生かして農業資材の開発に着手した。北海道大学農学部教授のシーズを元に農業用の防風網を開発したことで活路を切り開き、その後も現場のニーズに合わせた様々な農業用、土木用の資材を、大学と連携して開発した。現在では約60種類のオリジナル商品を製造・販売するなど、北海道の1次産業を支える企業として大きく成長を遂げた。

渡邊社長は「新たな商品を試行錯誤して研究開発を重ね、それが現場で使われることを想像することがとても楽しい」と語る。研究開発は全てうまくいくとは限らない。しかし一方では、現場ニーズを取り込み、ニッチな市場に新たな商品を迅速に投入できることが中小ものづくり企業の強みである。しかし、その精神・ノウハウを次世代に引き継ぐことは難しい。その際、産学官連携は、研究所を持たない中小企業において、経営者が研究シーズから商品開発のヒントを得る機会を担っている。

主力製品の一つである防風網

産学官連携は「人と人とのつながり」

産学連携研究による成果は、すぐには結果が見えにくい場合が多い。特に中小企業においては、結果が見えにくい研究開発は評価につながりにくく、担当する社員のモチベーションの維持や、社員同士での理解が得られにくいなどの問題がある。しかし「社長」や「後継者」となれば話は別である。現在、庸介氏が岩手大学の芝﨑祐二准教授と進めている共同研究は新規素材の開発であり、その成果が出るまでには5~10年という期間が予測される。庸介氏は「今はまだ大学側での素材開発が中心だが、いずれは様々な用途での展開を考えていてとても楽しみ」と語る。芝﨑准教授との連携は会社全体に広がり、社員研修の一環として、高分子についてのセミナーを開催したこともあった。「大学の先生が講義をすることで、社員も真剣に勉強して、仕事への自信にもつながった」と、渡邊社長は話す。

産学官連携の本当の価値とは

渡邊社長は「息子には外部の知識を取り込んで、人間として成長してほしい。会社の成長は社長の器の大きさで決まる」と語った。会社の仕事だけをしていると、仕事の関係先だけで終始してしまうため、人間関係の幅を広げることは難しい。ともすれば、業界の中の偏った見方、考え方に陥りがちである。渡邊社長は、産学官連携を通して官や学の関係者と接点を持つことにより、会社をブラッシュアップすることができると考えている。「“官”の関係者の『標準的な考え方』や“学”の関係者の『忌憚(きたん)のない率直な意見』は、企業にとって重要なヒントであり、企業の永続性につながる」と語り、「関係者と直接知り合うことで、『生きた情報』を得ることができる」とも渡邊社長は話す。一般的な情報はインターネットで収集出来る時代ではあるが、中小企業にとって本当に必要な情報は直接得るしかない。渡邊社長にとっての産学官連携とは、そこに携わる全ての関係者との関わりも含めた「行為」そのものに意味があり、「会社磨き」として捉えている。

現場のニーズから作られた「ベコジャン」
冬期間の仔牛の体温低下を防ぐ

経営者への着実な歩み

最後に、昨年末から流行している新型コロナウイルス感染症の話を伺った。同社は札幌市からの要請で、不足している防護服を一週間で1,000着作り寄付をしたという。通常、三晃化学では防護服などは作っていない。同社の縫製技術と、取り扱う様々な生地を組み合わせることで実現は可能だったが、収入につながる話ではない。それを引き受ける決断をしたのは、庸介氏だった。「産学官連携やビジネススクールで学んだことなど、広いネットワークの中で、これからの企業のあり方や考え方を学んできたからこそできた判断だった」と、渡邊社長は息子の成長に目を細める。

「社長は孤独だ」と言われる。社長の見る「景色」は社長にしか理解できず、後継者の育成も社長にしかできないのかもしれない。筆者は近年、何度か産学官連携に取り組んでいる道内中小企業の若い後継者と接する機会があった。とても熱意があり、優秀な方々で、生き生きと仕事に取り組んでいる印象を受けている。事業の継承は地域の中小企業だけではなく、地域にとっても重要なことであり、特に経営者の育成は難しい課題である。産学官連携による研究は成果が出るまでに時間を要するといわれるが、経営者の人材育成も短期間に成し得るものではない。三晃化学では産学官連携でつながった関係者と共に経営人材も一緒に成長していく人材育成モデルを試行しているのではないかと考える。今回の取材で、地域における大学の役割、また大学の新たな価値について知ることができた。

2020年9月目次

クローズアップ
リポート
連載
巻頭言
視点