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実を結ぶ連携、勝ち抜く大学
―― 産学官連携ジャーナルで変化の兆候を掴め

群馬大学 研究・産学連携推進機構 特任教授/元本誌編集長 登坂 和洋

2020年07月15日

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産学官連携ジャーナル(以下、本誌)の創刊は2005年1月。大学等技術移転法(TLO法・1998年)、産業活力再生特別措置法(日本版バイ・ドール条項、1999年)、知的財産基本法(2003年)など科学技術創造立国を目指す制度整備が進んでいた。

第2期科学技術基本計画(2001~2005年度)の主要な課題として、大学の優れた研究成果を実用化につなげる産学官連携が提唱され、文部科学省は2001年度から産学官連携コーディネーター(CD)支援を開始。同省が2003年度から実施した「大学知的財産本部整備事業」は、大学が組織として技術移転(大学等の研究成果を産業界で活用)の仕組み作りに取り組む呼び水になった。そして2004年4月、国立大学が法人になった。

本誌は基本方針で「科学技術振興機構(JST)の機関誌・広報誌にしない」とうたっている。国立大学法人化の9カ月後、府省庁や様々な支援機関に横串を刺し、産・学・官の連携を促進する役割を担ってスタートした。

恒例の新年度産学官連携予算紹介

筆者が本誌編集長に就任したのは2007年4月(2015年3月まで)。産学官連携に携わる人たちの拡大は続いていた。大学だけでなく、高等専門学校、国の研究機関、都道府県の産業振興の財団・第三セクター、公設試験研究機関など様々な機関がCDらを配置するなどして産学官連携に乗り出した。イノベ―ション・エコシステムを作るために「産学官金連携」が叫ばれるようになり、金融機関の関心も高まった。

本誌創刊後しばらくの間、「産学官連携とは何か」「大学の役割は」が繰り返し問われ、TLO(技術移転機関)、CDへの期待が語られていたが、次第に大学等の具体的な取り組みやCDらの活動を伝える記事が増えていった。2008年2月増刊号では、各省に新年度産学官連携関連予算を紹介してもらう特集を作った。これは2010年から恒例の特集となった。

本誌の読者層は拡大し、文部科学省―JSTの枠を超えて評価されるようになった。

産学官連携推進会議で参加者全員に配布

それを象徴するのが2008年度から産学官連携推進会議(同年度は第7回)で本誌の冊子(pdf 版を印刷したもの)が参加者全員(毎年約4,500人)に配布されるようになったことだ。毎年6月、国立京都国際会館(2011年以降、東京国際フォーラム)で2日間の日程で開催されていた同会議(「京都会議」と呼ばれていた)は産学官連携最大のお祭りであった。事務局は内閣府で、主催は内閣府、総務省、文部科学省、経済産業省、日本経済団体連合会、日本学術会議(2009年以降、そのほかの省、ファンディング機関、国の研究機関が相次いで加わる)。

同会議の受付で全員に配布されたのは本誌の6月号(以後、毎年6月号)(写真1)である。この号の特集「科学で地域を元気にする」の記事は、各府省の政策、シンクタンクの提言、大学改革、地域の取り組み(長野県の革新的デバイス、高知県のスラリーアイス、三重県英虞(あご)湾の環境再生、青森県弘前の光産業、茶の抗アレルギー作用を利用した食品開発)、自治体の科学技術振興策、海外情報(アジア、米・オースチン)など19本。このほか人材育成に関する座談会、連載2 本(新しい技術者像、リサーチアドミニストレーター)などがあり読み応えのあるラインナップだった。

翌年度の同会議からは、軽くしたいという理由で、受付で参加者に渡すのはプログラムと本誌6月号だけとなったので、編集者にとってもJSTにとっても名誉なことであった。

写真1
写真1 産学官連携ジャーナル

コーディネーターの時代

高揚感に包まれていた2000年代はCDの時代と呼んでいいと思う。本誌は彼らのバイブルだった。

読者の関心が高かったテーマは独創的な研究とその実用化。2010年2月号の特集「実用化への志と喜び―語り継ぐ昭和の産学連携」では、大谷杉郎氏(ピッチ系炭素繊維)、増本健氏(アモルファス合金)、大村智氏(天然有機化合物の動物、ヒト用医薬品)らに、各分野で新時代を切り開いた大発明とその事業化の軌跡について寄稿していただいた。同年4月号の特集「ハードディスク革命 岩崎俊一博士の30年」は産、学、科学誌各分野からその歴史的意義を探った。

この時期の大型インタビュー記事では、細野秀雄氏「材料科学の“新大陸”を発見 研究にオール・オア・ナッシングはあり得ない」(2009年6月号)、林主税氏「修練を積んだ人がイノベーションを起こす」(同)、審良静男氏「免疫学の大革命が始まった!」(2010年6月号)、松波弘之氏「低炭素社会支えるシリコンカーバイド デバイス実用化への道を切り開く」(2010年12月号)、遠藤章氏「誠心誠意取り組んで、失敗しても悔やまない」(2011年1月号)、赤﨑勇氏「青色LED 実現への道 未到の領域『われ一人荒野を行く』」(2011年4月号)などがある。

2011年3月の東日本大震災は、その復興に地域の産学官民連携がいかに重要であるかを見せつけた。本誌は生活・産業の再生を積極的に取り上げ、関連記事は2015年までの5年間だけでも約90本になった。

イノベーション推進へシステム改革

第4期科学技術基本計画(2011~2015年度)では科学技術政策とイノベーション政策の一体的展開が打ち出され、科学技術イノベーション推進に向けたシステム改革がテーマの一つになった。

2011年から2012年を境に、産学官連携の世界の雰囲気が徐々に変化していった。大学等の技術シーズを起点にする技術移転モデルに対する見直しの機運が高まっていた。

2011年度、文部科学省が「リサーチ・アドミニストレーター(URA)を育成・確保するシステムの整備」事業を開始。同省が2013年度に実施した「研究大学強化促進事業」も支援の柱はURAの確保・活用だった。これらを契機にURAは他の大学にも広がった。

一方で、競争的資金プログラムの大型(拠点構築型)化が進んだ。2013年度センター・オブ・イノベーション(COI)、2015年度リサーチコンプレックスとイノベ―ションハブ、2016年度産学共創プラットフォーム共同研究推進プログラム(OPERA)がそれぞれスタート。大型の産学連携での研究推進、独創技術の事業化を目指す取り組みも「選択と集中」の波に飲み込まれていった。

新しい共同研究の仕組み詳報

2010年代前半、本誌がよく取り上げたテーマは、システム改革(ビジネス創造の歯車をどう回すか)、ビジネス創出のための人材育成、起業・大学発ベンチャーなどである。

2011年9月号に掲載した後藤芳一氏「大阪大学・共同研究講座 産学官連携『第4の潮流』に向けて」と、同講座に関するシンポジウム報告は、同大学が全国で初めて取り入れた産学共同研究の新しい仕組みの詳しい解説だ。こうした講座はその後、全国の大学に広がった。

大学改革というテーマにも力を入れた。システム改革と表裏の関係にあるのが大学改革だからだ。村上敬宜氏「日本の大学は変われるか(図1)」(2014年1月号)、梶谷誠氏「社会の発展への寄与と大学改革 モデル探しをやめ、自ら考え一歩ずつ前へ」(同年10月号)、結城章夫氏「山形大学の有機エレクトロニクス研究 伝統の強み生かし世界と戦う拠点整備」(2015年1月号)、橋本和仁氏「成長戦略 次のテーマは国立大学改革」(同年3月号)などはいずれも反響が大きかった。(山形大学の学長だった結城氏の戦略については、筆者の本誌連載「地方国立大学は産学官連携でどう活路を見いだすか」(2019年2月号~2020年1月号)第1回で詳しく読み解いた。)

図1  日本の大学は変われるか**1

文部科学省と経済産業省が共同で策定し2016年11月に発表した「産学官連携による共同研究強化のためのガイドライン」は資金、知財、人材の3方向から大学の産学連携本部の機能強化を求めるもの。これも大学改革の文脈で捉えることができる。

現場の息遣いが感じられ、変化の兆候をいち早く掴めるのが本誌の強みだ。政策のトレンドは? 大学改革の方向性は? ――こんな視点で読むと示唆が得られるかもしれない。

参考文献

**1:
村上敬宜.日本の大学は変われるか―フィンランドの大学改革、産学連携が教えること―.産学官連携ジャーナル.2014 年1 月号
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