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読まれるための法則
紙とウェブは同じと思ってはいけない

本誌編集長 山口 泰博

2020年07月15日

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近年では、紙媒体とウェブ・メディアの並走運用がほとんどだ。
だが紙とウェブでは、ユーザー限定の会員メディアを除くオープンなウェブでは、読者とユーザーが全く異なる。紙で推す特集や記事が必ずしもウェブでは支持されないことはよくあることだ。人の視線は、短く凝縮されたタイトルと写真などの絵的なビジュアルから入るからだ。

読まれるためには、見出しと書き手と奇抜さ

さて、過去のランキングから分かることが幾つかあるので紹介しておきたい。

筆者が書いた記事がことさらランキング上位にあることを自慢するためにこの項を書いているのではない。

読まれるために必要なのは、内容全体を端的で興味を引く見出しを付け、記事は、簡単明瞭で読みやすい表現や文体にする。これが読まれるための2大要素である。できれば、奇抜、希少、特別で珍しい、写真などのビジュアルを1枚以上付け視覚に訴えることも念頭に置きたい。メディアに載る以上は、普通のことを普通にしていては共感は得にくい。

ランキングで筆者と元編集長が大半を占めているのは、新聞出身で読んでもらうにはどうしたらいいか訓練され、長年の経験で体験的に熟知しているからだ。従って、筆者でなくても新聞や通信社、放送(報道)などのマスコミ経験者が書けば同じ結果だったのではないか。

本誌の編集方針は、原則JSTの広報誌とはせず幅広く情報を発信していくとしている。JSTの広報誌とすればJSTの関係者やステークホルダーしか読まない限定的な記事となる。「産学連携を広く…」を目的にするならこの「広報誌とはせず」の選択は正しい。しかし、報道機関ではない一団体が発行元である以上、100%の客観性を維持するのは難しい。JSTが発行しているのだからJSTの広報に使って何が悪いとなるわけで、時に自分たちで決めた方針を自分たちで破ることもままある。

言うまでもないが刊行物が広く読まれるか否かは、できる限り広報誌にせず、偏向せず、客観性が求められる。

自慢話は好きですか? 誰一人取り残さない――取り残していませんか?

通常の雑誌は発行側で取材し構成するが、本誌は70%以上が外部の執筆者が占めることから、発行元が意図した原稿は上がりにくくPR原稿になりがちだ。記事広告やときにはパンフレットやウェブサイトなどのような広報・宣伝記事になることもある。自慢話は好きですか? 他人の自慢話を聞かされるほど退屈で嫌なことはないだろう。それと同様、自慢話的な記事はアクセス数も低い。だから客観性を意識して、分かりやすく書ける人が書いた記事が読まれるのは自明の理だ。

執筆依頼しても、およそ40%は記事にならない。辞退されるのはまだいいのだが、執筆の承諾後に、フェードアウトされその後音信不通となることも多く記事化の確率が低い。そのためには、媒体力や本誌のブランド力を上げなくてはならない。

大学の先生方の文章は論文体だ。論文は読まれる文章ではなく、関係者にだけ分かればいい。逆に言えば読まれなくてもいい文章と言ってもいいかもしれない。

その文体は、新聞や雑誌などのメディアによる簡単明瞭で分かりやすい文体とは真逆で、難解で不明瞭で分かりにくい。政府や自治体は広報活動の一環であるからリリースか、関係者のみが参加する会議資料のような内容になりがちだ。従って、せっかく素晴らしい取り組みをされていたとしても、伝わりにくいことから読まれない結果につながる。雑誌の読者は誰なのか(ターゲット)を思い浮かべ、一部の関係者や上司だけに向けた内容にならないよう気を付けたいところだ。

新聞やテレビはその昔、義務教育である中学卒業程度で学んだ知識でも分かるように情報を発信してきた。漢字も原則常用漢字を使用する。そして高校進学率が当たり前になってきたころから、文章も時代に合わせてきた。

広く知ってほしい広報活動であれば、ピュアな自分に立ち返り書き直してもいいのではないだろうか。

持続可能な開発目標(SDGs)は、17のゴール・169のターゲットから構成され、地球上の「誰一人取り残さない(leave no one behind)」ことを誓っているが、編成方針の上位にSDGsを掲げる本誌だが、読者の多くを取り残しているように思えてならない。

政府や大学などに寄ったJSTでは、中立的立場を貫くことが困難であることから、外部の執筆者に対しタイトルや小見出し、中の文章表現などの変更の打診は難しい。より読んでほしいという思いは、著者とは完全に一致することはない。とはいえ、発行元の筆者が取材し書いても報道機関でもないことから、間違い予防を優先するため原稿を取材先に確認を依頼する。すると、それだけで客観性は失われてしまう。中には広報用のプレスリリースのような体裁になるほど修正されることもあり、取材先の関係者は広報・宣伝活動の延長で修正し結果的に客観性の微塵(みじん)もなくパンフレットのような誌面と化す。筆者が絶対使用しない表現や文言、文体まで変えられると、もうそれは筆者が書いた原稿ではなくなりゴーストライターと化してしまう。

筆者は、外部に原稿を依頼され、確認を求められてもほとんど直さない。事実関係の間違いと読みにくい、紛らわしい箇所のみ赤を入れる程度だ。その媒体には媒体の特性や意図があるからで、そこを必要以上に手を加えれば、その媒体の客観的視点が薄れ自慢話になるからだ。そもそも自分の好きなように書きたいとか修正したいなら、自費出版か広告といった金銭を対価とすべきである。もしくはブログなどソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)でもいい。媒体側の校正や校閲、査読が反映されるからこそ読まれる記事や図書になる。

読まれない記事の特性は、広報・宣伝、広告、PR的記事のような自慢話だ。普通のことを普通に取り組んでいる新規性や差別化のない記事である。こういうネタは、マスコミ出身者がいくら分かりやすく書いても読まれない。

紙とウェブの違いが浮き彫りに

従来から「顔(書き手)の見える情報」は、文責の所在を明確にし、書き手を前に出すことで間接的なプロモーション効果を狙っている。民間のマスコミではプロモーションに加え、新聞、雑誌、テレビ離れによる収益源補完のため、書き手を前に出すことを積極的に行っている。

新聞が1面トップで、でかでかと掲載する記事のように、本誌でも特集をイチオシで表紙にタイトル表記するが、サイトではアクセスが伸びない。これはよくあることだ。作り手と受け手との間にギャプがあることがインターネットの登場で分かったことだ。「読者や視聴者は、〇〇を求めている」と決め付けていた過去の作り手には耳の痛い結果だった。

雑誌(紙)とウェブのユーザー思考の違いは、読まれる記事のジャンルにも如実に現れる。

新聞を例にすると一般紙サイトは、おおむね社会(面)、政治(面)、経済(面)の記事の順にアクセス数が多い。しかし社会カテゴリーは最もアクセスを集める媒体力的には稼ぎ頭となるはずだが、広告掲載が敬遠され収益的に貢献しない。

参考までにスポーツ紙は、紙の読者傾向の予想に反して、最もアクセスされるのは芸能だ。次いで、野球、サッカーが拮抗し、その次に競馬が入る。ただし各スポーツ紙によって「強み」があり、若干入れ替わる。一般紙の社会と同様、アクセスを稼ぐ芸能面の広告も入りにくい。

各メディアはウェブと紙でも異なる情報を掲載する。紙は有料で販売しているから、紙を売るためと、ウェブで広告と会員収入を得るためだ。従って、紙で掲載された記事は「チラ見せ」か「ベタ記事」や通信社原稿が主体で、追加で1日数百本の速報やリザルト、オリジナル原稿やコンテンツで違いを見せる。見出しも紙とは異なる見出しで再編集する。

いずれにせよ、紙とウェブは全く異なるメディアなのだ。

インターネットによる情報発信が主軸になる現代において、常に新しい情報、速報、紙とは異なる独自コンテンツをサイトで発行するメディアが一般化する中、本誌は、誌上で掲載した記事を本誌サイトにそのまま掲載しているが、紙とネットの特性を生かし切れていないのは課題の一つだ。

読者層とユーザー層・数

本誌のような雑誌はマスメディア業界では媒体と呼ばれてきた。その特徴や属性を現した資料は媒体資料と呼ばれている。サイトはメディア・レップ(ネット専門広告代理店)によって媒体がメディアと呼ばれるようになり、媒体資料のことをメディア・シートと呼ぶようになった。紙媒体なら発行部数、放送は視聴率・聴取率が馴染み深い指標だ。

ウェブ・メディアの場合、月間や1週間単位でのユニーク・ユーザー(UU)数やユニーク・ブラウザ―(UB)数が指標とされる。補足的にはトータル・ページビュー(PV)も指標とするが、PVは広告掲載のインプレッション数を稼ぐためやメディアの価値を大きく見せるため、記事なら数ページに分割しあえてクリックを誘導し、意図的にPVを増やすことができる。また画面遷移の構成が不得手な運営者が原因で、余計なクリックを強いる構造のサイトもあるためPVはあてにならない。

本誌サイトは広告メディアではないため、意図的にPVを稼ぐ構造にしていない。余計なクリックをしないでもいいようユーザービリティーが最優先だ。したがってトータルPVは少ない。

このように、非メディア系の方々には理解できそうにないほど、意識高い系メディア人からすると、発行元の校正や査読に消極的な寄稿者ほどやっかいなことはない。また、発行元には編集権があってしかるべきだが、原稿確認の際、指図を助長するような依頼の仕方も感心できない。

ウェブサイトは、ログが取れなかったり、サーバーが込み合うなどしてダウンすれば、広告主にはアクセス数を保証しなくてはならないことから責任問題に発展する。掲載期間中にログが取れなければ、保証していたアクセスの3倍返しという暗黙のルールがあり、メディアサイドは約束していた広告主に対し、3倍に相当するアクセスを無償で提供することになる。有料会員性のサービスでも減額か追加のサービスが必要になるだろう。無料だからといっても情報サービスとしてインターネットで公開している以上、非難にさらされることをリスクとして捉えなくてはならない。サイトが閲覧できなくなっても焦らないことが筆者には信じられない世界なのだ。

昨年4月は、ログが取れていなかった。このことは、アクセス(利用者)数を増やす、筆者の担う業務上の目標が1年分無になっただけの問題だが、もっと騒ぎになるのかと思えば全くならず、この情報リテラシーの低さには言葉を失った。

広告媒体でもなく有料サービスでもなく、無料でも相当数のユーザーを抱えるサイトでなかったからリスク化しなかったと言えるのだが、意識を改善すべきテーマだろう。でなければいずれしっぺ返しに合うことは間違いない。

本誌は雑誌など紙媒体のカテゴリーで分類されるが、有料・無料の違いからフリーペーパーに属する。だが本誌サイトと同様広告媒体ではないため、市中の至るところでラックを設置し、自由に手に取ってもらうことで発行部数を増やす媒体ではない。

しかしそれでは、どこの誰でも自由に発行できるパンフレットやフライヤーと同じとなるため、国際標準逐次刊行物番号(International Standard Serial Numbe:ISSN)を取得している。本誌はISSN2186-2621、本誌サイトは ISSN1880-4128 である。

本誌は、産学連携に直接的に関わるコアの組織や人に定期配送する関係者限定雑誌だ。毎回2,300部印刷し、およそ2,100部を定期配送、残りは関連イベントでの配布と執筆元と取材先へ配布する。従って本誌は補完が目的で、サイトを周知メディアとして位置付けている。

一般的に、本誌、本サイトに掲載されるとき、パブリック・リレーションズ(PR)が目的になるため媒体の影響力は多くの利用者による数とブランドで評価される。学術を生業としていれば、インパクトファクターを気にするかもしれない。しかしその意味では、媒体力は弱小と言わざるを得ないが、唯一の専門性で存在価値を高めブランドを構築していくしかない。

産学官連携ジャーナル 雑誌 刷数・配布先(読者層)

●雑誌の刷数:2300部
●配布先(読者層)
① 内閣府、文部科学省、経済産業省などの各省庁、そのほか国の機関
② 国会議員(文部科学委員会、経済産業委員会、科学技術・イノベーション推進特別委員会)
③ 都道府県、一部の市区町村(自治体)
④ 大学等(大学、大学院、短期大学、高等専門学校、専門学校)
⑤ 研究機関(独法・国研、公設試など)
⑥ 学会、NPO、各種社団・財団・協会・機構、TLO(技術移転機関)などの産学連携事業を推進する団体
⑦ 経団連、各商工会議所、各産業支援機構、中小企業団体中央会などの経済団体
⑧ イノベーション推進企業
⑨ 信金、VC、銀行などの金融機関
⑩ マスコミ関係者
●約5万UU/月間:上記雑誌のユーザーに加え、その他一般

プロ1 一般9 専門誌なのに広く周知 記事選定の難しさ

雑誌の送付先は、関係者限定なので読者層は明確だ。従って、誰でもアクセス可能なウェブがメインのオンライン・ジャーナルだと理解できるだろう。これはユーザー(読者)比率からからも明確だ。

ウェブ版のユーザーは、雑誌の読者、つまり産学連携に関わる「プロ」がおよそ10%、キーワード検索などから流入してくる「一般」がおよそ90%である。本誌の使命の2大目標が、プロに対してモデルとなる事例や参考になる情報の発信と、広く産学連携を知らしめることである。前者はプロ向きの内容、後者は一般向を意識しなくてはならない。これが編集する上でもっとも悩ましい。プロ向きの記事は、一般ユーザーを意識しないでより専門的な内容でもいいが、広く知らしめるための一般向けの記事は、世間の関心やトレンドなども加味した読みやすい記事が必要だ。しかしこの一般向けの情報は、プロにはあまり必要のない情報となる。そうは言っても、一般の90%ユーザーを無視していては周知困難である。同じ産学連携に関する記事でも微妙に相反する。

プロと一般ユーザー比率
プロと一般ユーザー比率

掲載記事が決まる仕組み

本誌の記事は、年度末に記事の編成方針を決め、発行推進委員会に諮(はか)り大きなフレームを承認いただく。その方針の下、月一で編集委員会の方々に集まっていただき(現在はリモート会議)、記事や企画などの情報を提供いただく。その掲載の可否を議論するのが編集委員会である。しかし、雑誌の体裁を維持するにはそれだけでは不足するため、編集長が集めて記事化するものも多くある。

紙媒体では通常、表紙に特集タイトルを大きく掲載し、読んでほしいと推奨する場合が多い。だが先述のようにサイトでは、特集記事が上位を占めることは少ない。特集などの企画や記事化で最も重要なのは、テーマ、意図(なぜ記事化するのか)、背景(社会の流行や事象)、読者ターゲット、類似記事との差別化が、読まれるか読まれない(売れる売れない)を決定付ける。

だが費用、マンパワーが十分とはいえない体制のため、現状をどう最大化すべきか悩ましい。元キリスト教カトリック修道女シスター・セント・ジョンで元学校法人ノートルダム清心学園理事長の故・渡辺和子氏の言葉ではないが「置かれた場所で咲きなさい」を胸に工夫するしかない。

歴代編集長

雑誌作りは通常、編集発行だけを切り取ると、ライター(ライティング)、カメラマン、校正、デザインなどは編集プロダクション(編プロ)と組んで作っていく。そこに専門性が加われば、例えばファッション系雑誌では、さらに業界のプロ集団のブレーンを集め、それなりの大所帯で読者のニーズに応えられるようコンテンツを充実させる。発行元は全体の方向性を示し、一部の記事は発行側でも取材し撮影し出稿、校閲する。編集作業の7~8割は外部スタッフとともに作っていくのだが本誌はそうでない。

編集長と言っても、兼デスク、構成・編集、校正・校閲、取材・記者、雑用までをこなさなくてはならない。従って、取材経験があり書けなければきつい。そういう点では、報道機関でマスコミ出身者の3代目は正しい選択だった。JST内では花形ではない仕事でも、新聞や雑誌作りが日常だった者にとっては、非常に楽しい仕事で水を得た魚とはこのことだと感じている。

創刊した2005年1月~8月の9カ月間は、江原秀敏編集委員長兼編集長、2005年9月~2007年3月)の1年8カ月は、故・加藤多恵子編集長、2007年4月~2015年3月から8年は、登坂和洋編集長が務めた。2015年4月~2016年3月の1年は、田井宏和編集長だ。短いのは登坂編集長の任期終了と定年にともない後任(筆者)が見つかるまでの1年限定の中継ぎとして着任されていたからだ。

筆者が縁あって2016年1月から引き継ぎのため、非常勤の編集長補佐として本誌の編集に参画することになった。正式には2016年4月から5年の任期で5代目編集長として今に至っている。今年度は最終年度で、5年間で雑誌の刷新と本誌サイト・リニューアルを密かに考えていたので、最終年度の今年ぎりぎりでリニューアルできたことは感慨深い。

大手全国紙と地方紙で「産連界」を最も長くウオッチしてきた登坂元編集長は、マスコミ業界の先輩であることから、編集長業務の全てを引き継いだ。

いちいち説明しなくても、構成や取材、雑誌制作の工程、業界用語、訓練されてきた感覚などメディアリテラシー、情報を扱う者同士が享受する阿吽(あうん)の呼吸で進められる気安さは元同業者でなければ通じ合えない。

過去16年分の本誌の歴史や記事を振り返ることができるのは、創刊時は別にして、8年分の登坂元編集長と5年目の筆者で13年分である。

本号では、登坂元編集長にも本誌取材活動から見えてきた思い出深い記事について触れていただく。


歴代編集長

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