リポート

獣害を逆手にし、イズシカを静岡のソウルフードに

本誌編集長 山口 泰博

2020年04月15日

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日本の代表的な大型野生動物であるニホンジカの個体数が増加中だ。各地の森林で林業被害を引き起こし、自然植生にも悪影響をもたらしている。
奈良公園のシカは別としても、都会で暮らす人にはリアリティーが薄い。イノシシやサルと違い、シカは山林が生息地で里山を越え住宅地にまで下りてくることは滅多にないからだ。
獣害で捕獲したシカを埋めるならせめて大切な命をいただくことで有効に活用したいと静岡県は科学的検証とレシピ提案で地元のソウルフードを目指す。

シカによる被害

農林水産省によればイノシシ、シカ、サル、クマ、カラスなど、野生鳥獣による農作物被害は、2018(平成30)年度で約158億円。6年連続で減少しているというが、被害金額は依然として高い水準で、営農意欲の減退や森林破壊などの影響を及ぼしている。

シカが森林を食い荒らせば、生物の多様性保全や景観保全、災害などによる国土保全など、森林の公益的機能全般に影響を来たしてしまう。国有林での植栽木、剥皮(はくひ)、苗木、下層植生の食害によって森林の荒廃を引き起こす。一度食べられた植栽地は元には戻らない。

実際、静岡県の伊豆エリアで行われた調査でシカは、スギやヒノキなどの皮を剥(は)がし、特産のワサビの葉、みかんは果実だけでなく葉や樹皮まで食べていた。これも特産のシイタケはもちろん原木となるクヌギの皮まで食べ、森林では芽吹き始めた小枝にまで及び、被害の広範さがうかがえる。

静岡県森林・林業研究センターによれば、ヒノキ、スギ、チャノキに加え、柿、桃、キウイなどの果実、キャベツ、ニンジン、ネギ、ニンニク、トウモロコシ、インゲンマメなどの野菜、イモやその葉、花や球根、タケノコ、ワサビ、シイタケ、牧草など多種類にわたる農林作物がシカの胃から出てきたという。

静岡県は東西に長く山が多い地域で、山林をすみかとするシカにとってはまさに楽園なのだろう。個体数が増え過ぎ元々の生息地ではエサが足りず、人間が管理する土地まで下りてくるシカと人間とが共生するためには、シカを適正密度に管理することがどうしても必要である。そのようなことから県では、2011年から増加するニホンジカを適正密度に管理する「低密度化プロジェクト」を立ち上げ検証を重ねてきた。

静岡県立大学食品栄養科学部フードマネジメント研究室の市川陽子教授(写真)らも同プロジェクトに参加し、伊豆や富士、南アルプス地域に生息するニホンジカの生態調査に加わったことで、県内にはシカが非常に多い現実を目の当たりにしたという。

写真
市川教授 手前はイズシカめんち定食

かつて天敵だった日本オオカミの絶滅、戦後から2006年まで続いた雌ジカの禁猟政策、温暖化による越冬、駆除を担うハンターの高齢化と数の激減などが要因と言われる。自然界での食物連鎖はすでに崩壊しているうえに、人による効率的で効果的な捕獲による生息数の調整は困難だ。

獲ったシカを埋めて廃棄するなら食肉として利用を

ハンターらは獲ったシカをその場で血抜きし、さばくことで食肉とし、知人に分けるなどして個人的に活用している。また、ジビエ料理を提供する高級レストランに限定的に契約販売している。そのため一般市場への流通はほとんどなかった。また、駆除のために従来から行ってきた銃による大量捕獲では食資源化が難しく、捕獲後は土中に埋設処理している。これでは駆除を行うハンターの精神衛生的にも良くない。近年はハンターの数も激減しており、また高齢化も進んでいる。

こうした中、シカが活動する夜間に捕獲できるくくり罠が推奨されるようになり、最近では主流になってきた。この方法なら少人数で省力化でき、一頭一頭に向き合いつつ、全体としてはまとまった数の捕獲が可能だ。しかし獲ったシカを衛生的に処理するジビエの食肉加工施設と、シカ肉の活用方法がなかったために有効利活用ができなかった。せっかく獲ったのなら、食肉として活用できないだろうか。そんな思いから、市川教授は獣害となるシカを食品として利用すべく検討してきた。

しかし牧場などで飼育されてきた肉を食べ慣れてきたことから、野生のシカはノミやダニ、リケッチア(細菌より小さくウイルスより大きい微生物)による感染症などを不安視する声も少なくない。食肉としての安全を担保するデータもないことから、人に対する影響が分からなかったという。そこでプロジェクトの初期にはまず、微生物学の研究者らによってヒトへの感染がないことが確認された。実際のところ伝染病については野生のほうが安全で、飼育されている家畜のほうがリスクが高いという。1頭が感染すると全てに感染している可能性があるからだ。シカ肉食用の危険性は生食によるE型肝炎のリスクのみで加熱すればその危険はない。

さらに銃で仕留める狩猟と違って、罠による捕獲はシカが狂騒状態となることからその影響も不安視されたという。括(くく)り罠は、足にワイヤーが括られ逃げようとすればするほど足が締め付けられるので、最もストレスが大きい罠と言われている。そのストレスからシカ肉に悪影響があるのではと危惧されたのだが、市川研究室の研究の結果、予想に反し巻き狩りで捕獲したシカの肉よりも軟らかくて保水性があり、アミノ酸が多くかえっておいしい肉だと分かり、晴れて食肉として害がないと証明された。

くくり罠で捕獲中のシカ

科学的検証で分かったシカ肉のおいしい食べ方

シカ肉を食肉とした場合、野生の個体差や捕獲方法によるストレスが肉質に影響するのか、熟成するとどう変化するのか、調理法や添加食材による変化など疑問点は尽きない。そのため科学的検証を行い、さらに官能評価や物性測定など肉の特性を検証する必要があった。

すると2歳の若いメスが軟らかくおいしいとされてきたシカ肉は、物性測定、アミノ酸測定、官能評価の結果のいずれにおいても、年齢や雌雄で特徴付けることはできず、個体差の方が大きかった。しかし、肉の硬さの評価では、シカ肉も牛肉などと同様に熟成すると軟らかくなり、おいしくなること、熟成期間の最適期間は5日であることを突き止めた。

このほかシカ肉は牛や豚と比べても、高たんぱく質で低脂肪、高鉄分であることから、食材として優れた健康食と言える。ひき肉にすれば、捨てることなく端肉も利用できるという。シカ肉は牛肉などの他の赤身肉と比較しても鉄分が多く、女性の貧血予防やアスリート食としても効果的だ。

レシピを工夫して分かりやすいソウルフードに

イノシシやシカ、クマなどの狩猟肉であるジビエ・山肉は、一般的には生臭いと敬遠されがちだ。そのため「ジビエ臭」を出し過ぎると嫌がられ、なければ豚や牛のほうがいいと言われることも。人によって好みがばらばらで着地点を見いだせず、提供方法が難しいと市川教授。

静岡県は、地元で採(獲)れる農産品や魚介を使ったB級グルメの多い地域として知られる。その代表格といえば富士宮焼きそばや浜松餃子(ぎょうざ)だろう。このほかにも、遠州焼き(浜松市)、みしまコロッケ(三島市)、桜えびのかき揚げ(由比町)、黒はんぺん(焼津市)、漁師飯のねごめし(伊東市)、伊勢えびラーメン(南伊豆町)、とろろ汁…とソウルフードが目白押しだ。

そこで分かりやすくて静岡県ならではのレシピで浸透させようと考えたのがシカ肉の「肉まん」だった。しかし大量生産できる商品性も考慮したのだが、地元の食品加工業者では1日の生産能力は200個が限界で、商品化を断念せざるを得なかった。そしてたどり着いたのがメンチカツだ。伊豆でシカの食害にあっているワサビの茎とシイタケも肉と一緒に練り込んでストーリー性を持たせ、伊豆特産食材をふんだんに活用したメンチカツに仕上げた。一般の人達にもなじみやすい形でシカ肉を食べてもらい、それをシカの個体数の適正化につなげ、シカと人間との共存共栄を図りたい。「食べて森を救う!」のメッセージを多くの人に届けたいと考えている。

脂身のない赤身のシカ肉は、豚や牛と同じ作り方では固くなる。だからといって脂を足すためにシカ肉以外の肉を加えれば本来の目的が違ってくる。そこで玉ねぎで「ジューシー感」を補った。玉ねぎは適度に臭みを消し甘みが付く。このほか、このレシピは「イズシカめんち(伊豆の鹿のメンチカツ)」の定食として、「ごはん屋さくら」(店主:伊藤忠雅氏)で商品化された。ソースも醤油ベースのワサビソースが考案され、定食には、シカの角に見立てたゴボウの天ぷらが2本と伊豆特産の干しシイタケの含め煮も添えられている。「イズシカめんち」と「イズシカめんち定食」は、2017年「大学は美味しい!!」フェア(新宿高島屋)でも販売され大好評を博した。

捕獲したシカ

背景を知ってほしい

静岡県立大学では、全学共通科目に「しずおか学」を設けており、その一つの「地域食材学」の中でシカ肉の食資源化に関する講義を行っている。そこで分かったのは、学部によって反応が全く異なる意見だった。「国際関係学部の学生は、広い視野で見るし、経営情報学部はビジネスやマーケティング思考で、こんな仕掛けをすれば売れるのではと話します。看護学部は、人の勝手で命を奪うことをしていいのかと顔をしかめ、薬学部の学生はデータに興味を持ちます」と市川教授。専攻によって考え方や見る方向が違うのは新鮮な驚きだったに違いない。中にはシカは食べられることさえ知らない学生もいたという。

全国各地の森林で多発する野生鳥獣による被害問題。野生シカの生息数増加や農作物への被害が出て被害を防ぎ共生を図るために捕獲したシカを食資源として活用する。駆除されたシカの「命を大切に頂く」ための取り組みであり、無駄にせずおいしく頂くための食肉特性、調理性の研究である。市川教授はこれらの背景を知ってほしいと話していた。

北海道はエゾシカが定着し、長野県もシカ肉を有効活用するシカ肉「先進県」だ。静岡県では「ニホンジカ低密度化プロジェクト」の活動が起点となり、公設の食肉加工施設では珍しいシカとイノシシ肉を扱う「伊豆市食肉加工センター(通称イズシカ問屋)」が整備され、2020年3月現在、民間施設を中心に13カ所へと処理施設が整備された。

2011年の「低密度化プロジェクト」スタート時からすれば、さばき切れないほどジビエ食肉加工施設への搬入量は増えたが、利用したい人にとっての安定供給までには至らない。

一般的に牛の歩留まりは57~63%、豚は65~70%(公益財団法人日本食肉消費総合センター)だ。一方、市川教授らの問屋や飲食店からの聞き取りでは、シカ肉は15~38%だという。今後は他の部位に加え、骨、皮なども捨てるところがないくらいに活用し付加価値を上げ、シカの歩留まりを2割上げる必要性を指摘する。さらに、シカ肉の流通網と扱う店舗などのエリアを広げることも課題だ。今後は、牛、豚、鶏肉との違いをマッピングして、視覚的にシカの特性を分かりやすくし、食べ方の提案やその他のレシピも増やしたいという。

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