特集インキュベート事業

京都リサーチパークの30年
黎明を経て成長・深化する産学公連携活動

一般社団法人Impact Hub Kyoto 顧問/元京都リサーチパーク株式会社取締役 西谷 剛毅

2020年04月15日

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リサーチパークの誕生

1989年、「産業振興の拠点」として民間資本の京都リサーチパーク株式会社が開発した京都リサーチパーク(KRP)は、公的支援機関の立地と34社の入居で供用が始まった。それから30年、東・西地区(敷地面積5.6ha、延べ床面積合計14万6000m)に480社、4,500人が働く街へ成長してきたが、ここにKRPでの産学公連携の歩みを振り返ってみる。

なぜ京都にリサーチパークが?

歴史都市「京都」は日本文化の基盤を形成してきたが「ものづくり」も古く、その必然性を探ると「1200年の継続性」「都市構造」「近代科学の連続性」の魅力的特徴に集約される(図1)。

図1
図1 京都の魅力

「ものづくり」の芽生えは、5世紀ごろに山背(やましろ、京都府南部)へ移植された養蚕、製鉄、須恵器などの技術にさかのぼる。以降、平安京で宮廷工業(織物、染色製品、扇子、漆器、仏具、伸銅、合金鋳造、印刷など)が開花した。時代は下がり、1870年から始まった産業近代化へのインフラ整備(舎密局、勧業場、疎水開削、蹴上発電所など)と技術導入による既存工業の技術革新(西陣織、京染、清水焼など)、および1875年からの大学開学による人材育成と近代科学への目覚めなどが相まって近代産業の第一世代(島津製作所、日本電池、松風工業、立石電機など)が創業した**2**3**5

その後、1944年から第二世代(村田製作所、堀場製作所、ローム、京セラなど)、第三世代(日本電産、任天堂、サムコなど)と創業が続いてきたが、京都には先人の努力の賜物(たまもの)として「ものづくり京都」の豊かな土壌があり、リサーチパーク開発の基盤が備わっていた。

智慧(ちえ)が絞られたKRPの開発

KRPは都市ガス工場の跡地で、大阪ガス株式会社が企図した「跡地の京都活性化への転換」と、地元経済界が希求する「京都を支える次世代産業の育成」が一致して、米国のUniversity City Science Center(UCSC)をモデルに、1984年に開発がスタートした。

米国では1980年にバイ・ドール法が制定され、大学などが主体的に研究成果での起業、技術移転などを行っており、KRPも大学や研究機関、公的産業支援機関と連携する「リサーチパークシナリオ」を描き、各界からの協力を受けながら進められた**1**4

  • ①公的な産業振興・起業支援機能が集積し、地域の産業支援拠点となる。
  • ②大学の研究成果活用システムが整備され、地域の産業のシーズ創出環境が高まる。
  • ③世界の同様地域・大学と連携し、グローバルな起業・事業支援が行われる。
  • ④セミナー・学会・異業種交流等の活発化で、地域の情報能力が高まる。
  • ⑤こうした環境の下、次世代産業の担い手が育っていく。

その結果、京都リサーチパーク株式会社が整備したラボ・オフィス、会議スペースなどと、京都府中小企業総合センター(現京都府産業支援センター「京都府中小企業技術センター、公益財団法人京都産業21」)、京都市工業試験所(現地方独立行政法人京都市産業技術研究所)、財団法人京都高度技術研究所(現公益財団法人京都高度技術研究所:ASTEM)などが持つ技術支援機能、人材育成機能、経営助成機能などの体制が備わったKRPが誕生した。

芽生えた産学公連携活動

当初、国内に「産学公連携」「ベンチャー」の概念は浸透しておらず、KRPは認知度の向上、「産」「学」「公」間のネットワーク構築、起業家発掘に奔走(ほんそう)した。

「産」については、研究者・大学知財や公的支援機関への企業側ニーズの掘り起しとデータベース化が行われたが、KRP社員が大阪~京都間の通勤途上で目にする企業の悉皆(しっかい)ヒアリングを行ったとの逸話が残っている。

「学」については、各界協力者およびASTEM設立に尽力された先生方による連携拡大、大阪ガスの研究所経歴者による連携拡大および研究シーズなどのデータベース化が図られ、産学間のマッチングも始まった。

海外連携は京都リサーチパーク株式会社の子会社である株式会社Science Center International(UCSCとの合弁会社)による活動と大阪ガスのネットワーク活用が主で、世界最初の「次世代リサーチパーク世界会議」「アジアサイエンスパーク会議」などの組成も行った。

また、研究会・学会などの誘致はKRPの知名度向上と産学公連携活性化の重要な手段で、KRPの企画営業力で誘致と社会ニーズの拾い上げを行った。

根っこは外さないが、揺れる産学公連携活動

公的支援機関の拠点化は、来訪企業、ラボ・オフィス入居者、ASTEMが併設したVIL(Venture Incubation Laboratory)入居者に支援機関への親和性を生み、起業や地元企業の技術革新・業容変革、第二創業を生み出していった。

しかし1991年からのバブル崩壊は、企業内に研究意欲の減退や外部委託への移行などの変化を生じ、レンタルラボ入居企業をはじめ退去が相次いだ。

アンカー業種育成の必要性を感じたKRPは、黎明(れいめい)をも見ない「マルチメディア」に注目して1992年「デジタルメディア京都」、1995年「マルチメディアよろず相談」、1998年「ゲームアーカイブプロジェクト」と矢継ぎ早に支援事業を組成させ一定の成果を得た。現在もこの業種の活力は続いている。

一方、「産」「学」の連携は1998年に設立した関西TLO株式会社の大学知財の掘り起し、知財維持・移転などの活動で軌道に乗りつつあったが、1999年日本版バイ・ドールの制定、2004年国立大学の独立行政法人化で知財の学内内包化が進み、KRPは新たな連携モデルを必要とした。

以後、自主あるいは自治体からの委託事業での起業の啓蒙(けいもう)・発掘、支援に移り、2008年「再生医療ビジネスサポートプラットフォーム」、2011年「イノベーションイニシアティブ」、2012年「京都職人工房」、2019年「miyako起業部@KRP」と、社会ニーズに合わせた事業が継続されている**4

他方、京都では国立研究開発法人科学技術振興機構(JST)の「知的クラスター創成事業」への採択を契機に、基礎研究から社会実装化への産学公連携活動が進んでいる(コアオーガナイザーはASTEMが務めている)(図2)。

図2
図2 産学公連携 基礎研究から社会実装へ**5

これは1970年ごろに松波京都大学名誉教授が研究に着手したSiC電力デバイスについて、2002年からの第一期で産学連携研究が促進され、第二期で量産化が達成された。2013年からは「スーパークラスタープログラム」で社会実装化に取り組み、現在はエネルギー、環境、医療分野の喫緊な課題解決に向けた製品開発が進んでいる**5。基礎研究の社会実装化はステージに応じて必要な資源を適宜結集させるマネジメント力が肝要であるが、本事例はその成功モデルで実践の場としてKRPが一端を担えた事はうれしいことである。

おわりに

KRPが目指した目的は共有化され、全国に産学公連携活動の「場」「制度」「システム」が整備された。現在、KRPはビジネス&リサーチパークの道を歩んでいるが、今後も深化を続ける産学公連携活動の一端を担い、京都、関西、日本の産業活性化の一翼を担う街へと成長することを期待している。

参考文献

**1:
木村隆之.京都リサーチパーク開発のめざすもの.都市研究・京都.1994,No.8.
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**2:
日経都市シリーズ・京都.1998.
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**3:
京都経済同友会:京都再発見 No.1 ~ 23.
https://www.kyodoyukai.or.jp/rediscovery/,(accessed 2020-04-15).
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**4:
水野成容.京都におけるイノベーションハブ- KRP(京都リサーチパーク).地域開発.2017年12・1月号,通巻623号.
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**5:
西本清一.2019 年度アドバンスド研修(企業社員および研究所所員向け講義資料).
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